信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。
彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった。地所や家屋を持っている人たちは、それを売り、売った物の代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。そしてそれぞれの必要に応じて、だれにでも分け与えられた。(使徒行伝4:32,34-35)
1.ソ連型社会主義の限界
私が高校3年になる少し前、1985年3月にミハイル・ゴルバチョフがソビエト連邦(ソ連)共産党の書記長に就任した。ゴルバチョフはペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を断行した。その後、ソ連・東欧の社会主義国では盛んに改革が行われたが、1917年のロシア革命以来続いてきたソ連型社会主義は、明らかに限界に近づいていた。
しかし、その時代でもなお、日教組の活動に熱心な社会科教師は、「社会主義国は教育も医療も無料ですばらしい」などと言って、授業で礼賛していた。
マルクス=レーニン主義を基本思想とする社会主義国で、思想・信条・信仰・言論・表現・出版・通信・結社・集会の自由といった基本的人権が尊重され、守られたところがあっただろうか? 20世紀の後半において、それを実現しようとした国々はことごとく、ソ連によって民主化運動が潰された。ソ連は異常な国だったのか? 我々自由主義陣営の国から見れば異常だが、マルクス=レーニン主義は共産党一党独裁の全体主義なのだから、それが「正常」だと言えるのかもしれない。
1986年4月26日にソ連でチェルノブイリ原発事故が起こった。私が大学に入学して間もない時だった。資本主義国よりも社会主義国の方が環境汚染がひどくて、国家・行政の管理がいい加減なものであることが、知られるようになった。国営や公営の企業は非効率的で、汚染を撒き散らしており、製造された自動車は排ガスがひどい。
あの頃は日本でも、反原発運動がテレビや出版物を通して国民に広がり、なかなか盛況であった。しかし、それは長続きしなかった。
反原発運動の危機感は、オウム真理教や統一協会など、終末論を強調するカルト宗教を助長した面があったかもしれない。
3.複眼的思考
そのような時期に、私は教養部のゼミで国際政治・安全保障論を学んだ。扱っていたテーマは「戦後日本の再軍備化」、大嶽秀夫氏の著書がメインの教科書だった。
そのゼミで最初に指導されたのは、左から右までいろいろな立場の新聞やオピニオン誌を、比較して読むことだった。
赤旗、毎日、朝日、読売、日経、産経
前衛、世界、中央公論、文藝春秋、正論、諸君!
といったところである。
人間には、「事実」とか「真実」とかいったものを正確に認識することが、大変困難である。それにできる限り近づいていくためには、一つの視点だけでなく、多角的な視点が必要だ。複眼的思考である。
そして、収集した資料から抽出した、相矛盾する雑多な情報を整理して、分析し、判断する。これは帰納法である。
ただし、その作業においても、やはり当人の「世界観」がフィルターとして作用することが避けられない。それが無ければ、判断はできない。いわゆる演繹法である。
その自分の世界観や歴史観といったものも、一つの「仮説」に過ぎない。それは、帰納法的な作業を続けていく中で、修正されるのがノーマルであり、良いことである。
4.新左翼の過激派
さて、80年代後半はまだ、左右の政治思想がはっきりしていて、緊張感があった。
千葉大のキャンパスでは、中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会 )と革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)が喧嘩したり、中核派と原理研究会(統一協会の学生組織)が喧嘩したりといったことが日常茶飯事だった。
中核派は、火炎瓶や火炎放射器、爆弾、ロケット弾等を使って、ゲリラ闘争を行っていた新左翼の過激派だ。革マル派は、ヘルメットをかぶって隊列を組み、ホイッスルを鳴らしながら行進して、何やら叫んでいた。
なお、大学の自治会は、共産党系の民青(民主青年同盟)が支配していた。
5.経済システムのトリアーデ体系
私が学んだ千葉大学法経学部経済学科にはマル経(マルクス経済学)は無いのだが、近経(近代経済学)も行き詰っていたから、「第三の経済学」を手がける学者がぼちぼちと増えていた。そんな次第で、私は「エコロジー経済学」を扱っていた工藤秀明教授のゼミに入った。
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授業では岩田昌征教授の「比較経済体制論」が面白いものであった。岩田氏は、ユーゴスラビアやポーランドの労働者自主管理型の社会主義を研究していた。
第一類型:「交換」を基本原理とし、企業を主体とする資本主義
第二類型:「再分配」を基本原理とし、国家を主体とする国家社会主義
第三類型:「互酬」を基本原理とし、労働者や市民を主体とする自主管理社会主義
岩田教授は、これらの成すトリアーデ体系を見事に描いていた。岩田教授は、脱イデオロギー化して、純粋に経済システムとしてこれら三つを普遍化し、分析した。そこが岩田理論の優れたところだ。
その元ネタは、経済人類学の大家カール・ポラニーだと思われる。ちなみに現代経営学の大家ピーター・ドラッカーは、ポラニーと親交があり、21世紀の「ネクスト・ソサイエティ」の中心的な問題は市民ソサイエティである、というようなことを述べている。
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6.現代社会主義の新地平
私は就職活動で、関東と関西の12の生協(生活協同組合)を回った。第三類型の経済社会システムが持つパースペクティブを知りたかったからである。とりわけ、エコロジーに有効なシステムを知りたかった。
コープ神戸は私の地元の生協であり、組合員数が160万人以上、職員数9000人以上のマンモス生協である(2015年3月末現在)。日本の他のマンモス生協は共産党と関係のあるところが多いのだが、コープ神戸は違う。賀川豊彦のキリスト教精神が今も生きていて、大変魅力的だ。
しかし結局、私が選んだのは、生活クラブ生活協同組合・神奈川であった。ここも共産党系ではない。全国の消費生活協同組合の中では中規模であるが、大変ユニークな活動をたくさん行っている先進的な生協である。その特徴を一部紹介する。
・「食の安全」に取り組んでおり、化学調味料や合成着色料などの食品添加物を使用しない。
・産直運動、リサイクル運動、せっけん運動等を発展させて、高いレベルでエコロジーを実践している。
・「班」や「支部」「委員会」等の活動が盛んで、組合員による自主運営・自主管理を実現している。
・組合員の女性たちが中心となって、ワーカーズ・コレクティブ(労働者協同組合)を次々と生み出している。
・福祉クラブ生協を生み出して老人ホームを経営するなど、社会福祉事業を積極的に行っている。
・組合員の女性たちが中心となって「神奈川ネットワーク運動」を行い、代表者を地方議会に送っている。
7.脱イデオロギー化と経済システムの最適化
さて、1989年6月にポーランドの選挙で統一労働者党が敗れて、複数政党制に変わり、ポーランド人民共和国は崩壊した。1989年11月10日にベルリンの壁が市民の手によって破壊された。東欧各国の共産党国家は次々と崩壊して、複数政党制の民主国家に変わっていった。1991年12月25日、ソ連の大統領ミハイル・ゴルバチョフの辞任に伴い、ソビエト連邦が解体された。
ソ連崩壊後、マル経(マルクス経済学)は下火になったが、マルクスの新しい解釈を提案する学者や政治家も出てきた。柄谷行人によれば、マルクスがめざした共産主義社会は第三類型に近い協同社会である。
私は、柄谷が説くようにすべての社会を 第三類型に特化するのではなくて、
(1) 企業(株式会社)
(2) 政府(国家、地方行政)
(3) 非営利市民組織(協同組合、NPO法人、社会福祉法人、他)
が、それぞれのシステムに適した分野を担当するように、社会の各分野を再調整・最適化していくことが良いと考える。
たとえば、農協(農業協同組合)が非効率的であれば、農業を企業化していくのが良策だろう。これは今、日本で実際に進められている。社会福祉の分野でも、企業が良いサービスを提供する時代になっているのである。状況の変化に応じた柔軟な対応が必要だろう。