近年、「使徒」を称するリーダーと教会の運動が世界的に広がり、日本にもその波が押し寄せています。フラー神学校の教授、教会成長運動の研究者、聖霊の第三の波(力の伝道)の指導者として著名なピーター・ワグナー氏は1994年に、その著書『使徒的教会の到来』の中で、NAR (New Apostolic Reformation: 新しい使徒的宗教改革)という呼称を提唱しました。彼はその定義を次のように述べています。
「新しい使徒的宗教改革とは、21世紀の始まりに向けて、世界中のプロテスタント教会に少なからぬ変化をもたらしている神の働きである。過去500年ほど、教会は何らかの形で教団教派という枠組みの中に属しながら成長してきた。兆しは1900年代の初頭から現れ、特に1990年代に明確になってきたが、地域教会の牧会、教会間の関係、経済管理、伝道、宣教、祈り、指導、訓練、超自然的な力の現われ、礼拝などの重要な分野において、新しい形態と方法が現れてきたのだ。それらの教会のいくつかは伝統的な教団に属し、他の大部分はより緩やかな使徒的ネットワークに属している。世界のほぼ全域において、新しい使徒的教会は最も急速に成長している」(20ページ)。
この運動については、ウィリアム・ウッド氏が詳しく解説し、警告を発しています。
日本の教会に忍び寄る危険なムーブメント –NARに関する警鐘を鳴らす– | 真理のみことば伝道協会
ウッド氏が主だった自称使徒として挙げているのは
ピーター・ワグナー氏(2016年死去)
ベテル教会のビル・ジョンソン氏
ハーベスト・インターナショナル・ミニストリーのチェ・アン氏
モーニング・スター・ミニストリーズのリック・ジョイナー氏
キャッチ・ザ・ファイヤー・トロントのジョン・アーノット氏
です。
ウッド師の主張に対する重要な反論もありますので、ご注意ください。
1999年から毎年、 “Apostolic Council of Prophetic Elders” (預言者的長老たちの使徒的協議会)が開かれています。この運動の根本的な問題の一つは、「使徒」「預言者」が「新しい啓示」を行っていることです。
現代において「使徒」を称することが、なぜ問題なのか。ここで筆者は、その運動の根本的な問題について啓示論・正典論のコンテクストにおいて簡単に論じたく思います。
2.使徒とは何か
そもそも「使徒」とは何でしょうか。「使徒」の原語 ἀπόστολος(希:アポストロス)は「遣わされた者」という意味です。まず、主イエスご自身が、父なる神からこの世に遣わされた「使徒」でした(ヘブル3:1)。そして、主イエスがこの世に遣わす弟子たちが、「使徒」と呼ばれました。
第一に、主イエスと共に宣教活動を行って、主イエスによって直接選ばれ、遣わされた12人の弟子を「12使徒」と言います。
さて、イエスが山に登り、ご自分が望む者たちを呼び寄せたので、彼らはみもとに来た。イエスは十二人を任命して、使徒と呼ばれた。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして宣教をさせ、彼らに悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。こうして、イエスは十二人を任命された。シモンにはペテロという名をつけ、ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。次に、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党員シモン、イスカリオテのユダ。このユダが、イエスを裏切ったのである。(マルコ3:13-19)
「12人」というのは、イスラエルの12部族に対応した数です。12使徒は、「新しいイスラエル」である教会を築く礎石となった特別な人たちです。
まことに、あなたがたに言います。人の子がその栄光の座に着くとき、その新しい世界で、私に従ってきたあなたがたも12の座に就いて、イスラエルの12の部族を治めます。(マタイ19:28)
12使徒のひとりイスカリオテのユダが欠けたため、使徒たちはその欠員を補う人物を選びました。その選出の条件とされたのは次の三つです。
(1) 人間となられた主イエスと共に生活したこと
(2) 主イエスや12使徒たちといつも共に宣教活動を行っていたこと
(3) 復活された主イエスを直接、体験的に知っていること
「ですから、主イエスが私たちと一緒に生活しておられた間、すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動を共にした人たちの中から、誰か一人が、私たちと共にイエスの復活の証人とならなければなりません」(中略)そして、二人のためにくじを引くと、くじはマッティアに当たったので、彼が11人の使徒たちの仲間に加えられた。(使徒1:21-22,26)
第二に、最初期のキリスト教会において、神から特別に召しをいただいて、立てられた指導者を「使徒」と言います。すなわち主の弟ヤコブとバルナバとパウロです。
それから三年後に、私はケファを訪ねてエルサレムに上り、彼のもとに15日間、滞在しました。しかし私は、主の弟ヤコブは別として、他の使徒たちには誰とも会いませんでした。(ガラテヤ1:18-19)
1世紀中葉には、ペテロとヨハネと主の弟ヤコブが、エルサレムを中心とするヘブライスト・ユダヤ人教会の指導者でした。それと並んで、バルナバとパウロは、アンテオケを中心とする、ヘレニスト・ユダヤ人と異邦人の教会の指導者でした。
第三に、1世紀中葉には「使徒」と呼ばれた無名の人物が、他にも数人いたようです。
私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケファに現われ、それから十二弟子に現われたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。私は使徒たちの中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。(第一コリント15:3-9)
こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。(エペソ4:11 )
ルカ10:1-20には、主イエスが70人の弟子たちを遣わしたことが、記されています。このような無名の使徒たちには、12使徒や主の弟ヤコブ、バルナバ、パウロのような卓抜した権威は無かったようですが、彼らも復活された主イエスを直接知っている証人でした。
パウロは諸々の書簡において、自分が使徒であることを強調しています。それは、かつてイエスの弟子たちを迫害していたパウロが使徒となったことを、認めがたい人たちがいたからです。
人々から出たのではなく、人間を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によって、使徒とされたパウロと、私と共にいるすべての兄弟たちから、ガラテヤの諸教会へ。(ガラテヤ1:1-2)
ペテロに働きかけて、割礼を受けている者への使徒とされた方が、私にも働きかけて、異邦人への使徒としてくださったからでした。(ガラテヤ2:8)
「天国の鍵」を預けられたトップリーダーである使徒ペテロは、パウロを使徒と認め、パウロが書いた書簡を「聖書」に加えることを認めました。
「ただし、聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ていなさい。預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです」(第二ペテロ1:20-21)
「その手紙でパウロは、他のすべての手紙でもしているように、これについて述べています。その中には理解しがたいところがあります。無知で心の定まらない人たちは、他の聖書の箇所と同様に、それらを曲解して、自分自身に滅びを招いています」(第二ペテロ3:16)
パウロの書簡は、旧約聖書と同等の権威を認められていたのです。
神の「霊感」ゆえに、人の述べる言葉が「預言」となります。広義では霊感や預言は、古代イスラエルや最初期キリスト教において、聖書の範囲を超えて広く見られた現象でした。しかし、その中でも、聖書を生み出した「霊感」や「預言」は、特別な一回限りの啓示として区別すべきです。
聖書はすべて神の霊感によるもので.教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。(第二テモテ3:16)
「聖書」は信仰・教理・実践の完全な基準、すなわち「正典」ですから、特別であり、他の文書と明確に区別しなければなりません。新約聖書の正典は使徒的な権威を基準として判別され、27書に限定されたのです。
4.使徒的教会
ローマ教会の指導者クレメンスは97年頃に、次のように記しています。
使徒たちは、私たちのために主イエス・キリストから福音を聞かされた。キリスト・イエスは、神から遣わされた。それゆえキリストは神から、使徒たちはキリストから出ている。(クレメンスの手紙ーーコリントのキリスト者へ(I)42:1-2)
アンテオケ教会の二代目の監督イグナティオスは2世紀の初め頃に、次のように記しています。
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「使徒」は後1世紀、最初期の教会に限定されるべき用語であり、現代の人を「使徒」と呼ぶのは間違っています。
では、使徒的権威を持つ教会はいつ頃まで存続したのでしょうか。それは.使徒たちを直接知っている世代まで、すなわち後2世紀初めまでと考えるべきです。なぜなら、新約聖書の正典となる27巻が、彼らの教会において生み出されたからです。
今日の日本社会において「霊感」という言葉は、いろいろな意味で使用されています。けれどもキリスト教では、聖書の各書巻の著者たちに導きを与えて、その記述を守った聖霊の働きを特別に「霊感」と呼んでいます。その「霊感」は歴史上、後1世紀末で完了したものと、正統的な教会は理解しています。
東方正教会、ローマ・カトリック教会、プロテスタント諸派が告白するニカイア・コンスタンティノポリス信条(381年)には、次の一文があります。
わたしは、唯一の、聖なる、公同の、使徒的教会を信じます。
ニカイア・コンスタンティノポリス信条 - Wikipedia
代々のローマ教皇は使徒ペテロの後継者である、とカトリック教会は主張していますが、プロテスタントはこれを認めていません。プロテスタントでは、使徒たちの教えを正しく継承している教会を、「使徒的教会」と呼んでいます。
5.聖書のみ!
それなのに、現代において「使徒」を自認・自称あるいは認定する人たちがいるのは、非常に危険な現象です。なぜなら、主が1世紀の使徒たちと教会を用いて生み出した、キリスト教の「土台」である「新約聖書」に並ぶ、あるいは代替する権威ある言葉を、現代の「(偽)使徒」たちが生み出してしまうからです。これは異端へと逸脱する危険性が極めて高い問題です。
我々キリスト者の信仰の拠り所は聖書のみです。聖書が神の言葉であり、聖書以上あるいは聖書に並ぶ権威のある新しい啓示は、キリストの再臨・この世の終わりまでありません。
偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうと、大きなしるしや不思議を行います。(マタイ24:24)
現代の世界に使徒はいません。「使徒」と称する者たちがしるしと不思議、奇跡を行っても、それに惑わされて、彼らを「使徒」と認めてはいけないのです。
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