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カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

バックストンは教会形成に関心が無かったのか(日本イエス・キリスト教団のルーツ03)

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B. F. バックストンは「教会形成に関心が無く、説教の目標は個人の回心聖霊による「きよめ」に集中する」という意見があります(山口陽一「日本プロテスタント・キリスト教史における説教」『福音主義神学 第43号』21頁、2012年)。

これは全くの誤解です! 例えば、
使徒行伝講義(バックストン記念霊交会、1916年)を読めば、バックストンの救済論や宣教論が教会論と有機的に固く結びついていたことがわかります。

バークレー・F・バックストン師は、いつでもどこでも聖公会の聖職者としての姿勢を崩したことはありませんでした。山陰・松江に拠点を置いて宣教した10年間においても、バックストンは聖公会松江教会司祭として礼拝式を執り行い、会堂建築など教会の発展に尽力しました。バックストンが最初に洗礼を授けた5人のうちのひとり永野武二郎聖公会の聖職者となり、松江教会で40年以上も牧師を務めています。


司牧をしながら、バックストンは超教派的に大勢の弟子たちを養いつつ訓練し、各地に派遣して「小さき群」を多数生み出しました。

その多くが教会として育たなかったのは、固い石地のゆえ、時代的な制約もあったので、仕方が無いことだと思います。しかし、その山陰伝道の実として由木康などキリスト教会の優れた人材が多数輩出しています。

 

問題はむしろ、バックストン帰国後の日本伝道隊の活動にあります。現地の指導者であったパジェット・ウィルクスは、非常に優れた伝道者でしたが、聖公会では聖職者ではありませんので、司牧はできません。伝道隊の宣教師たちは、各地で生み出した群れを日本人の牧師、日本の教派・教団に手渡して、次の宣教地に移っていくというスタイルをとっていました。彼らは「未伝地伝道」を使命としていたのです。

ただし、日本伝道隊は教会形成を考慮しなかったわけではありません。日本人の牧会者を生み育てるために神戸聖書学校を運営しており、日本人の牧会者をケアするために各地で聖会修養会を開催しています。未伝地伝道・聖書学校経営・聖会開催は日本伝道隊の活動の三本柱です。

 

日本伝道隊系の教会は大変な数があり、福音派だけでなく、日本基督教団にも多数あります。バックストンは、英国の教派・教団を日本に輸出するよりも、日本人の日本人による日本人のための教団が一つある方が良いと考えていたようです。都田恒太郎師日本基督教団にその実現を見ており、小島伊助師日本イエス・キリスト教団にその実現を見ているようです。

 

山室軍平救世軍に推薦したのはバックストンですし、中田重治が指導するホーリネス教会に、優秀な弟子たちを何人も送り込んでいます。バックストンの弟子たちは、フリーメソジストアライアンスナザレン、キリスト伝道隊・活水の群、福音伝道教団、同盟基督教団など、いろいろな教派・教団に広がりました。彼らは皆、熱心に教会形成に取り組み、各教団や福音派のリーダーとなったのです。

実際、明治、大正、昭和初期におけるきよめ派は、今日の福音派よりもはるかに活力があり、盛んに伝道して、多くの教会を生み出しました。教派を超えた宣教協力霊的交わり社会的活動も盛んでした。今日、日本で福音派に属する教会のおよそ半数は、こうしたきよめ派の宣教が残した実です。

ただし、戦前のきよめ派は、まだ宣教の歴史が浅いために、日本の固い石地を砕いて、根を張るところまでいきませんでした。再臨運動分裂分派軍国主義への協力など、神学的・実践的な混乱やあやまちも、少なからずありました。

しかし今は、彼らを安直に批判するよりも、再評価して彼らに学ぶべき時ではないでしょうか。