【金言】これは、わたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい。(ルカ9:28~36)
1.祈りの山
主イエスはいよいよ、贖いのわざを成し遂げるために、エルサレムに向かう。その出発に先立ち、イエスはまず山に登られた。イエスにとって山は祈りの場である。宣教の働きの大事な局面においてしばしば、イエスは山に登り、夜を徹して祈られた。
神がお用いになる人は、祈りにおいて神の御心を悟って、従う人である。あなたは「祈りの山」に登っているか。神と共に過ごす時を大切にしたい。「いつでも御顔の見えるところ、御声の聞こえるところで生活せよ」(石川武松師)。
2.山上の栄光
イエスは祈っておられるうちに、御顔の様が変わり、御衣が白く輝いた。その栄光の姿は、神の御子なるメシアの本質を表している(ダニエル7:9、13-14)。
そこにモーセとエリヤが現れて、イエスの最期について話した。モーセは旧約聖書の「律法」(トーラー)を代表し、エリヤは「預言者」(ネビイーム)を代表する。すなわち、旧約聖書の預言のとおりに、イエスは苦しみを受けて、死ぬのである。
「最期」と訳される原語は「出エジプト」(Exodus)を指す言葉である。イエスはモーセのような預言者であり(申命記18:15)、私たちを罪と死の支配から解放して、神の国に入れるために来られた救い主である。
モーセの顔はシナイ山で、神の栄光を受けて光り輝いた(出エジプト34:29-35)。私たちも主に近づき、主の栄光を反映して輝く者でありたい。
3.山下への派遣
イエスは栄光の雲に包まれた。そして、父なる神の御声が響いた。「これは、わたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい」。イエスは、十字架において人類の罪を贖うという使命を自覚して、山から俗世へ派遣された。
主の臨在の雲は、選民の行く道を導く(出エジプト40:34-38)。私たちも「神の山」から遣わされて、主と共に前進しよう。