バックストン、ウィルクスに代表される松江バンド、日本伝道隊、そして日本イエス・キリスト教団の信仰の本質を、教団初代委員長・小島伊助師はズバリ断言しています。
「福音とはただ教理だけではない。福音とは何であるか、すなわち御子イエス・キリストである。彼はお方さまである。我らはこのイエス・キリスト様のペルソナを教えられて、しっかり持っている必要がある」
「クリスチャンとは、キリスト様と一つになっている者である。キリストがなければ何もない。明けても暮れてもキリスト、寝ても覚めてもキリスト、何でもかんでもキリスト様ばっかり。本当に問題は主との密着、合一である」
「バックストン先生は礼拝の人です。なぜ先生が礼拝の人であるか。拝むべきお方がいつも前にいるからである。イエス・キリスト様と先生との関係、そこにならうべき信仰がある。そして、このイエス・キリストにどのように先生は奉仕なさったか、お仕えなさったか、そこに先生にならうべき信仰がある」
「なんとかして、こういうバックストンの流れを絶やさないように、おお、そんなしみったれたことではないと思う。バックストンをかつぐのではない。ウィルクスをかつぐのではない。先生たちの中に啓示されて先生たちを通して流されたこの堂々たる聖霊の大河、火の流れの福音を私どもは宣べ伝えるのです」
「日本イエス・キリスト教団の臨在信仰、ちょっと鼻につくねェ。何教団だって、何派だって、誰だってそこには臨在信仰があるんだよ。主の臨在のないキリスト教はあるはずがない」
「純福音でない福音があるのですか。純福音なんて言うのが間違っている。福音は一つだ。この他に福音はないんだ。同じように誰の潔め、彼の潔めというものはない。神の恵みによって、全幅的福音によって我らが救われ、潔められ、潔き御霊に満たされて主を拝しながら奉仕していく。この全き贖いの他にキリスト教とは存在しないはずであります」
「松江バンドは長老教会でもない。聖公会でもない。またメソジストや組合教会でもない。それこそ超教派として流れ出た所のものであります」
「日本イエス・キリスト教団は、こういうスピリットを持つ者の結集されたものであります。こういう意味において我らは超教派である」
「私どもはこの流れの中に福音の証し人として御用を全うしたいものであります」