カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

文語訳聖書について

クリスチャンセンター神戸バイブル・ハウス 展示委員会(2015年7月27日)

研究発表「文語訳(明治訳)聖書と大正改訳聖書について」金井 望

 

  1.前史

 

 聖書の和訳はキリシタン時代にすでに行われていた。京都では日本語新約聖書が印刷されていた。しかし、江戸幕府による徹底したキリシタン禁教政策・迫害によって、和訳聖書は断片的に伝えられるのみで、ほぼ消滅してしまった。

 そのキリシタン禁令の時代に、海外で新しい聖書和訳の試みが始まった。

 まず、英国人宣教師R.モリソンが広東で聖書の漢訳作業を進め、分冊聖書を次々と発行して、1823年には旧新約全巻の『神天聖書』をマラッカで刊行した。

 プロシア出身の宣教師ギュツラフは、マカオで日本人漂流民の岩吉・久吉・音吉から日本語を学び、モリソンの漢訳聖書を用いて和訳の『約翰(ヨハネ)福音之傳』を完成、1837年にシンガポールでこれを発行した。

 アメリカンボードの宣教師S.W.ウィリアムズはマカオでギュツラフと親交を結び、肥後漂流民から日本語を学んで、『約翰福音傳』と『馬太福音傳』の和訳を完成した。これはブラウンによって日本に伝えられたが、焼失してしまった。

 ユダヤハンガリー人のベッテルハイムは琉球に渡って琉球語を学び、1855年に香港で『路加(ルカ)傳福音書』『約翰(ヨハネ)傳福音書』『聖差言行傳』『保羅寄羅馬人書(ポウロ ロマびとによするのしょ)』を発行、1858年に漢和対訳『路加(ルカ)傳福音書』を発行した。ベッテルハイムはマタイ伝、マルコ伝、ヨハネ伝と使徒行伝も和訳したが、ルカ伝、ヨハネ伝、使徒だけが1873年にウィーンで出版された。

 1853年、米国東インド艦隊司令マシュー・ペリー率いる軍艦「黒船」4隻が浦賀に来航して、江戸幕府に開国を要求した。翌年、幕府は日米和親条約を締結し、1858年には日米修好通商条約を締結して、開国に踏み切った。1859には米国から次々と宣教師が来日した。

 日本国内で最初に聖書を和訳したのは、J.ゴーブルである。彼は4福音書と使徒行伝を翻訳したが、禁教下1871年にマタイ伝のみ出版した。

 ヘボンとブラウンは共同で、漢訳聖書を参考にして新約聖書旧約聖書の和訳を進めた。1872(明治5)年から1873(明治6)年にかけて、彼らの手になるマルコ、ヨハネ、マタイが出版された。ブラウンは新約聖書を完訳して、1879(明治12)年に新約聖書全巻本を初めて刊行した。

 

  2.明治訳聖書の翻訳と刊行

 

 1872(明治5)年9月、横浜居留地ヘボン邸で宣教師会議が開かれ、各教派が共同で聖書の日本語翻訳を決定し、「翻訳委員社中」を結成した。委員長はS.R.ブラウン(オランダ改革派)、委員はヘボン(長老派)、グリーン(組合派)、マックシー(メソジスト派)、N.ブラウン(バプテスト派)、パイパー(聖公会)、ライト(聖公会)、宣教師が計7名の構成であった。米国、英国、スコットランドの聖書協会の経済的援助によって、この事業は進められた。翌年の1873(明治6)年には、キリスト教禁教令が解除された。

 翻訳作業はヘボン、ブラウン、グリーンが中心となり、日本人の奥野昌綱、松山高吉、高橋五郎、井深梶之助が補佐した。新約聖書は1874(明治7)年から翻訳を始め、分冊で順次出版し、1880(明治13)年に完成した。その合本『新約全書』の刊行は1885(明治18)年である。新約聖書の翻訳は、当時のギリシア語のテキストゥス・レケプトゥス(Textus Receptus)を底本に、英語の欽定訳聖書とブリッジマン・カルバートソン漢訳聖書を参照して行われ、 訳文は文語であった。米国、大英国および北英国(スコットランド)、の三聖書会社(協会)が出版をした。

 旧約聖書の翻訳は、1876年(明治9)10月に「東京聖書翻訳委員会」が組織され、横浜の新約聖書翻訳委員と協力して行うこととなった。しかし翻訳作業がうまく進まず、1878(明治11)年5月に東京一致教会で宣教師が会合し、新たに各ミッションの協同事業として旧約聖書翻訳事業を進めることとなった。「聖書常置委員会」(The Permanent Committee on the translation, Revision, Publication and Preservation of the Text of the Holy scriptures)を組織してから、本格的に旧約聖書の翻訳作業が進められた。ヘボン、P.K.ファイソン、G.F.フルベッキを翻訳責任者とし、日本人翻訳委員として松山高吉、植村正久、井深梶之助が加えられた。

 旧約の和訳は、1882年から順次、翻訳された各書が分冊発行された。1887年(明治20年)に全書27冊が完訳、 1889年(明治22年)に旧新約聖書の一巻本『(引照)舊新約聖書』が米・英・北英の三聖書会社から刊行された。これが「明治訳」(元訳)である。その旧約聖書は今でも、「文語訳」として用いられている。

 明治訳の漢字表示は漢訳聖書から当てた字が多く、格調高い文体となっている。日本人の翻訳委員は漢文に慣れており、漢語調の文体が標準と考えた。しかし、翻訳する宣教師たちは、日本語として誰でもわかる言葉が重要であると考えた。新約聖書は、平かな版、真仮名(カタカナ)版などの版がある。まだ近代の日本語が確定しない実験的な時代であった。

 詩篇イザヤ書、雅歌など韻文の翻訳は文学的に名訳とされる。明治訳は広く一般に用いられるようになり、日本の文学にも大きな影響を与えている。

 

  3.大正改訳聖書の翻訳と刊行

 

 明治訳新約聖書は近代の日本語表現が定まらない時代に訳された。その後、日本は近代国家として形態を整えていった。1888(明治21)年の高橋五郎『和漢雅俗いろは辞典』、1891(明治24)年の大槻文彦言海』など近代的な国語辞典が次々と刊行された。言文一致体運動や新体詩運動が起こって、日本語環境は大きく変わっていった。

 一方、英訳聖書では欽定訳(Authorized Version)が伝統的に定番であったが、新しい聖書研究の成果を生かして、1885年に改訂英訳 (Revised Version)が出された。それ以降、英訳は次々と新しい翻訳が為されていった。

 1895 (明治28) 年に『日本聖公会祈祷書』が発行されたことを契機に、新約聖書改訂の機運が高まった。1900(明治33)年の宣教師会議で、ファイソンが「パブテスト訳・カトリック訳・聖ハリストス訳の各聖書の長所を認めて、これらの結果に基づいた改訳を進めるべきだ」と講演した。植村正久、小崎弘道、柏井園、内村鑑三ら日本人の指導者は、新約聖書の改訳を支持した。

 1910(明治43)年にD.C.グリーン(組合)を委員長とし、宣教師委員としてH.Jフォス(聖公会)・C.Sデビソン(メソジスト)・J.Gダンロップ(長老)、日本人委員として藤井寅一(組合)・松山高吉(聖公会)・別所梅之助(メソジスト)・川添万寿得(日本基督教会)を選んで、翻訳作業が開始された。ダンロップは途中でC.Kハーリントン(パブテスト)に替わり、委員長もD.Wラーネッド(組合)に交代して作業が続けられた。

 改訳の底本は、ネストレの『ギリシア語聖書校訂本』を使用することとなったが、まだ日本に到着しておらず、しばらくはウエストコット・ホート本を使用した。『改訂英語訳聖書(R.V.)』も参照しながら、1917(大正6)年に翻訳を成し遂げて、『大正改訳新約聖書』が出版された。

 その文体は文語であったが、 平易であること、口語に近づけること、日本語として優れたものであることを旨とした。これは原文に忠実な訳となっており、韻文と散文が区別され、漢訳聖書の影響も少なくなり、学問的にも文学的にも優れた新約聖書となっている。この改訳聖書が近代日本語の一つのモデルとなり、文学にも大きな影響を与えることとなった。

 『大正改訳新約聖書』は明治訳旧約聖書と合わせて『文語訳聖書』と呼ばれ、戦後の口語訳聖書の発行(1954年)まで、日本で最もよく使用された聖書であった。

 旧約聖書の改訳も要望されたが、改訳事業は遅れ、第二次世界大戦の混乱期に入ってしまった。そのため 『ヨブ記』(1950年)と『詩編』(1951年)を改訳しただけで、その事業は中断された。

 なお、1938(昭和13)年に日本聖書協会が設立されて、それまで米・英・北英(スコットランド)聖書協会が支援してきた聖書翻訳・出版事業を受け継ぐこととなった。

 

    4.翻訳の比較

 

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             明治訳

 

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             大正改訳

 

■マタイによる福音書5章3節

 

<Greek>
Μακάριοι οἱ πτωχοὶ τῷ πνεύματι, ὅτι αὐτῶν ἐστιν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν.


<KJV, RSV, ASV, NIV, ESV> 

Blessed are the poor in spirit: for theirs is the kingdom of heaven.


<金井試訳> 
恵まれている、霊において貧しい人たちは。
天の王国は彼らのものだから。

 

<明治訳>
心の貧しき者は福(さいはひ)なり 天國は即ち其(その)人の有(もの)なれば也


<大正改訳>
幸福(さいはひ)なるかな、心の貧しき者。
天國はその人のものなり。


<口語訳>
こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。


<新改訳>
心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。


<新共同訳>
心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。


<前田訳>
さいわいなのは霊に貧しい人々、天国は彼らのものだから。


<塚本訳>
ああ幸いだ、神に寄りすがる「貧しい人たち」
天の国はその人たちのものとなるのだから。


<岩波訳>
幸いだ、心の貧しい者たち、天の王国は、その彼らのものである。


フランシスコ会訳>
自分の貧しさを知る人は幸いである。
天の国はその人たちのものである。


★ポイント


(1) 主要な英訳、大正改訳、金井試訳はギリシャ語テクストのとおりに「Μακάριοι」の訳語を始めに置いている。これは、70人訳聖書の詩篇1:1に対応しており、重要な意味がある。大正改訳がせっかく詩文調にして語順を工夫したのに、口語訳は散文調に戻してしまった。前田訳や塚本訳、岩波訳は「幸い」を文頭に置く工夫を凝らしている。


(2) 「Μακάριοι」は単なる「幸い」ではなくて、神の「祝福を受ける」という意味である。「幸い」では読者に誤解を与え、成功哲学や繁栄の神学につながるかもしれない。主要な英訳はみな「Blessed」と訳している。


(3) 和訳聖書では明治訳から新改訳、新共同訳まで「心が貧しい」という訳が続いている。原文で問題とされているのは「霊」、すなわち神との関係である。これを「心」と訳すのは、読者に誤解を与える。そもそもこれを「心」と訳したのは、モリソンの漢訳聖書であり、それを日本では現代までひきずってしまった。前田訳や塚本訳、フランシスコ会訳は「心」としない工夫を凝らしている。


(4) 福音書記者マタイは「τῶν οὐρανῶν」(天)を「神」の代名詞として用いている。「ἡ βασιλεία」は「王国」が正確な訳であり、その原意は「国家」や「国土」ではなくて「王権」や「王の支配」である。これは、一般的な日本人が持つ「天国」の概念とは異なるのではないか。岩波訳はこれに配慮している。

 

 

<参考URL>

 

和田幹男「日本語訳聖書の歴史―素描―」

 http://mikio.wada.catholic.ne.jp/JAP_BIBL.html

 

日本聖書協会ホームページ

 http://www.bible.or.jp/know/know20.html

 

明治学院大学図書館 −聖書和訳デジタルアーカイブス−

 http://www.meijigakuin.ac.jp/mgda/bible/gaisetsu/meijimotoyaku.html

 http://www.meijigakuin.ac.jp/mgda/bible/gaisetsu/taishokaiyaku.html

 

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