カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

「戦争法案」に反対しないクリはクリじゃない?

長老教会の牧師で日本福音同盟(JEA)社会委員を務めておられる星出卓也師が、月刊『いのちのことば』2013年9月号から2015年9月号まで24回にわたって「これって何が論点?! 」というシリーズで、政治問題についてご自分の主張を書き連ねておられました。

その論調によれば、クリスチャンは安倍政権・自民党を支持してはいけないらしいです。その政治的姿勢は、いのちのことば社にも共通しているようです。

http://www.wlpm.or.jp/inokoto/wordpress/2016/04/26/これって何が論点-第17回-12月の解散総選挙が転機/

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http://www.christiantoday.co.jp/articles/16559/20150716/security-bills-no-despair-constitution.htm

「秘密保護法反対、戦争法案反対、安倍政権反対じゃないと教会にいられないような雰囲気があって、悩んでいます」

筆者は、そのような声を、しばしば受け取っています。教会に行けなくなったという方もおられます。それは東京方面が多いのです。

国民として、またキリスト者として、国政について学び、考え、議論し、判断して、投票に行ったり、意見を表明したり、政治活動を行ったりすることは、基本的に良いことだと思います。

しかし、教会・教団・キリスト教団体の名において特定の政治的立場の声明を出したり、社会運動への参加を呼びかけたりすることには、相当の慎重さが求められると思います。なぜなら、キリスト者・信徒・牧師にも、政治に関して多様な考え・意見・立場があるからです。

http://uccj.org/news/22404.html

http://jeanet.org/wp/wp-content/uploads/2015/06/73c03824ee7356ef7c62cb3696b10ece.pdf

http://antisecuritylow.blogspot.jp/2015/09/blog-post_20.html?m=1

http://anti-secret-law-pastors.blogspot.jp/2015/09/blog-post.html?m=0

偶像崇拝など明らかにキリスト教信仰に反する問題に対して戦うのは、キリスト者=教会の本質的な務めでしょう。

けれども、それ以外のことでは、聖書に照らして明らかに罪だと断定できる問題でない限り、教会・教団・キリスト教団体は、特定の政治的立場に立たない方が良いのではないでしょうか。なぜなら、そうすることによって、それに賛同しない信徒を疎外し、教会に居づらくしたりする危険性があるからです。

下世話なQ&A「クリスチャンは共産党を支持しないといけないんですか?」

「我々は平和のためにしているんだから、この運動に賛同しないクリスチャンは、解っていないか、右翼であるか、どちらかだ」。「安倍内閣・戦争法案に賛成するような牧師は牧師じゃない」。ーーそのような独善的な言動をする人たちがいます。

平和安全法制=安全保障関連法案を提案し推進した政府与党は「この名のとおり、これによって抑止力を高めて、戦争を防ぎ、平和を保持しようとしているのです」と説明しています。ところが、彼ら反対派は、それを否定して、安保法案・安保法を「戦争法案」「戦争法」と呼ぶのです。

安保法制反対派のキリスト者たちは「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」という聖句をやたらに使っています。彼らは、日米同盟、自衛隊、安保法制、集団的自衛権行使といった「武力」無しで平和を実現できると、本気で考えているのでしょうか? 彼らは国際政治や外交・軍事の専門家でしょうか? 彼らの主張する平和論は信用できるものでしょうか?

合法的なデモは、国民として許される行動です。けれども、国論を二分するような問題で、一方に偏る立場の運動を教会や教団、協教派団体にまで持ち込まないでいただきたい。これが私の願いです。

さらに、安倍総理について「サタンの手先だ」「ヒトラーだ」「殺されても仕方ない」といった過激なことを言う人たちがいます。

第二次世界大戦の時にドイツでナチズムに抵抗して、ヒトラーの殺害を企んだ牧師ボンヘッファーの影響を受けているのでしょう。両者を無理やり重ね合わせて、自分(たち)をボンヘッファーに重ねたがる。いわゆるヒロイズムでしょうか。乱暴で幼稚な行動です。

日本のキリスト教は狭いムラ社会なので、多数派や権力者は何を言っても問題ない、という誤解が生じているのかもしれません。

筆者は事実上、このような反体制的な運動を批判する形になっていると思います。それは、「反体制的な立場ではない牧師や教会もあるんだな。あっていいんだな」と気づいて、少しでも気持ちが休まる方がおられたら幸いだ、と思ってしている愚行であります。

今、異論・反論を出さないと、日本の宣教・教会形成に支障をきたすーーという危機感があって、筆者はかくのごとき愚行に踏み切りました。

読者の皆様には、お気に触ることも多々あろうかと思い、大変恐縮ですが、ご容赦いただけましたら、幸いです。