KANAISM BLOG ー真っ直ぐに行こうー

聖書のメッセージやキリスト教の論説、社会評論などを書いています。

コロナ危機による失業問題の積極的な解決策について

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「あなたがたもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払うから」
「自分の分を受け取って帰りなさい。私はこの最後の人たちにも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」
(マタイ20:4,14)


  ぶどう園のたとえ

 

 冒頭に掲載した絵は、イエス・キリストが語ったたとえ話の一場面を描いたものです。紀元30年頃のユダヤ社会には、自分の農地を持たない日雇い労働者がいました。

 ある農園主が夜明け頃に町に出かけて行って、1日1デナリオンの賃金を支払う約束で労働者を雇い、ぶどう園に送りました。農園主はその後もたびたび労働者を雇い、「ふさわしい賃金を払う」と言って、ぶどう園に送りました。その日、早朝から働いた者たち、9時頃から働いた者たち、正午頃から働いた者たち、午後3時頃から働いた者たち、午後5時頃から働いた者たちがいました。夕方6時頃になると主人は管理人に命じて、最後に来た者から始めて最初に来た者まで順番に、労働者全員に1デナリオンずつ賃金を支払わせました。

 すると、最初に雇われた労働者たちが農園主に不平を言いました。
「俺たちは、このくそ暑い日に一日中、辛抱して働いたんだ。それなのに、なぜ1時間しか働かなかったこの連中と俺たちの賃金が同じなのか」。
農園主は応えて言いました。
「私は不当なことをしていない。あなたは私と1デナリオンで契約したではないか。私はこの最後の者たちにも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分の金を自分のしたいようにして、何がいけないのか」。

 1デナリオンはローマ帝国の銀貨で、当時、一日の労賃の標準となっていた金額です。

 午後5時頃に雇われた労働者たちは、その時間にそこに来たのではありません。彼らは一日中そこに立っていたのですが、誰も彼らを雇ってくれなかったのです。雇い人は当然ながら、能力の高い労働者から雇って、連れて行きます。最後に残るのは、能力が低い労働者たちです。ぶどう園の作業に適した、元気で勤勉な青年男子は真っ先に雇ってもらえますが、老人女性子ども病人障がい者外国人などは後に回されがちになります。けれども、生活費として一日に1デナリオンを必要としているのは、どこの家庭でも同じでした。

 イエスは「天の国は次のようにたとえられる」と言って、この話をしました。「社会主義の国を造れ」と言っているのではありません。天の父がひとりひとりの人権生活に配慮しておられ、神の御心が実現する世界ではこの世と異なった価値観が支配することを、イエスは教えたのです。

 

  10兆円の予備費と失業問題


 さて、新型コロナウイルス対策を推進するために編まれた今年度第2次補正予算が6月12日の参院本会議で可決、成立しました。一般会計の追加歳出は補正予算として過去最高の31兆9114億円であり、財政投融資や民間融資なども含めた事業規模は117兆1000億円にのぼります。第1次補正予算と併せた事業規模はGDP国内総生産)の4割にあたります。

 第2次補正予算は(1)雇用調整助成金の拡充(2)資金繰り対応の強化(3)家賃支援給付金の創設(4)医療提供体制の強化 が柱となっていますが、さらに10兆円の予備費が計上されています。これを用いて、コロナ危機による失業問題を解決する方策を、筆者はここで提案いたします。


 新型コロナウイルス感染拡大の第一の波は収束したようですが、緊急事態宣言発令によって止まった経済のマイナス効果は、甚大かつ長期的なものです。総務省が4月に行った労働力調査によると、日本の完全失業者数189万人完全失業率2.6%)、休業者数597万人となっています。米労働省の発表によると、米国の4月の失業率は14.7%と戦後最悪になりましたが、5月は一転して改善し、13.3%となっています(注1)。

 日本政府は休業者に対する人件費の助成を1日1万5000円に引き上げましたが、新型コロナの第二波第三波が来るならば、企業は休業者の雇用を維持できず、完全失業者がさらに増えるでしょう。日本でも失業者の再就職が今、困難な状態になっており、ハローワークは求職者であふれています。生活に困窮する人たちの危機は深刻なものです。


  世界大恐慌ケインズ経済学

 1929年にニューヨーク市場の株価大暴落から始まった世界大恐慌では、米国の失業率は約25%まで上がりました。フランクリン・ルーズベルト大統領(1933〜1945年在任)は「ニューディール」(New Deal)政策を掲げ、多額の赤字国債を発行して資金を調達し、公共事業に投じました。そして、WPA(公共事業促進局)を設立して、全米で失業者の大量雇用を推進しました。失業手当や生活保護の給付から失業者の雇用へと政策を大きく転換させたことによって、失業率は急速に減少したのです。金融政策においては、金本位制を停止して金融緩和に踏み切ったことが、絶大な効果を上げました。


 米国の財政政策はそれまで、政府の市場への介入を限定する古典的な自由主義経済理論に則っていましたが、ニューディール政策によって政府が市場経済に積極的に介入する「大きな政府」へと大きく転換しました。この転換において強力な後ろ盾となったのが、英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズJohn Maynard Keynes)の経済理論「ケインズ経済学」です。ケインズ有効需要の原理によれば、大恐慌においては需要が供給を大きく下回って、大量の失業者が発生しているため、「政府が通常行わない公共事業を大規模に行うことによって、需要の不足分を補うべきだ」ということになります。

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John Maynard Keynes

 近い将来に行う予定の事業を前倒しするだけならば、近い将来にまた需要不足に陥るため、大恐慌の時には壮大な「無駄遣い」をした方が景気回復に有効だ、という考え方もあります。人・物・カネの動きが止まれば、経済は死んでしまいます。人・物・カネが円滑に動いてこそ、経済は再生するのです。

  無料・給付金付き職業訓練

 しかし、わが国の財政には、無差別の給付金バラまきを継続して「無駄遣い」をする余裕は、ありません。では、大勢の失業者を救済できて、投資的効果が期待できる、通常とは異なる公共事業は何でしょうか。ズバリそれは、超大規模な、無料で給付金付きの「職業訓練です。失業した人たちに、人手不足となっている産業や、これから需要が拡大する産業で働くための教育・研修・訓練を受けていただき、再就職を促進するのです。このような事業はこれまでも行われてきましたが、官民あげて、かつてない大きな規模でこれを行うのです。

snabi.jp 入学金・受講料・教材費等の費用は無料とし(国が負担)、受講生には生活支援給付金月額20万円を国が支給します。失業者が再就職して納税者になれば、その支出分は取り返せます。長期にわたって再就職できない人たちが大量にいるならば、生活保護の支出が莫大なものになって、国家財政を圧迫するでしょう。

 有効求人倍率は、下降しつつあるものの、直近で1.3倍を超えています。今年4月の帝国データバンクの調査によると、「正社員が不足」という企業が31.0%あります。正社員の人手不足割合が高い業種は「農・林・水産」(48.2%)、「建設」(48.2%)、「メンテナンス・警備・検査」(46.5%)、「電気通信」(45.5%)、「情報サービス」(44.6%)となっています。


新型コロナウイルスの影響で人手不足感は急激に低下
https://www.tdb.co.jp/report/watching/press/pdf/s200601_25.pdf


 第一次産業やいわゆる3K(きたない、きつい、危険)業種など構造的な人手不足になっている業界はあるのですが、求職者の能力ライフスタイルなど諸条件とマッチし難い状態です。これを職業訓練によってマッチさせていくのが、一つの解決策です。

  第4次産業革命

 そして、さらに注目すべきことですが、わが国の経済社会は今、AI・ロボット革命IoT(Internet of Things)革命モビリティー革命等、総称して「第4次産業革命」という100年に一度の大変革期にあります(注2)。

www5.cao.go.jp

monoist.atmarkit.co.jp

 この変革によって近い将来に消失すべき事業体と雇用があるのですが、コロナ危機によってその変化が前倒しされた面もあります。その一方で、第4次産業革命によって新しい雇用も生まれており、これに対応できる新しい人材が必要とされています。それならば、この100年に一度のコロナ危機を、100年に一度の第4次産業革命を推進するためのチャンスとして利用しよう、というのが筆者の提案です。

 


(注1)アメリカではレイオフされて復職を待っている者は、求職活動の有無にかかわらず失業者に含めますが、日本では一時休業者は雇用関係が一般に継続しているため、就業者に含めています。


(注2)第1次産業革命は18世紀末以降の水力や蒸気機関による工場の機械化を特徴とし、第2次産業革命は20世紀初頭からの分業システムと電力を用いた大量生産を特徴とし、第3次産業革命は1970年代初頭からの電子工学や情報技術を用いたオートメーション化を特徴とします。

プロの覚悟

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NHK連続テレビ小説「エール」より

NHK連続テレビ小説「エール」を観ていて、とても印象的なフレーズがありました。

プロっていうのはね、
たとえ子どもが死にそうになっていても、
舞台に立つ人間のことを言うの。
あなた当然、その覚悟は あるのよね?

www.nhk.or.jp

法律によって未成年の子どもの監護義務が親に義務付けられていますので、この発言は極論であり、精神論でしょう。このドラマでも、音は舞台よりも出産を選んでいます。

子どもはともかく、社会には実際、自衛隊員、警察官、消防隊員などーー医療従事者もーー、命がけで仕事をしている方々がおられます。それなりの覚悟が必要ですし、使命感が無ければできないことです。家族にも有形無形の負担がかかるでしょう。社会がそれを理解して、十分な支援と保障を備えなければなりません。

では、日本のキリスト教会はどうでしょうか。教団の命令一つで派遣して、命がけで家族に犠牲を強いて働かせておきながら、伝道者・牧師を簡単に切り捨て、使い捨てにしている現実が、あるのではないでしょうか。

今いずこの神学校・神学部も若い神学生=牧師志願者が非常に少なくなっています。若い人が「献身して牧師になりたい」と言うと、まず信徒である親が反対するのです、「おまえは現実を知らないから、そんな夢みたいなことを言うのだ」と。


その一方で、「就職が上手くいかないから、職業として牧師になる道を選んで、神学部に入りました」という学生が、いないわけではありません。今は若い神学生が貴重ですから、大事にしてもらえるのでしょう。卒業後も、過疎地の小さな教会ではなく、大都市圏の安定した教会に遣わされます。「地方消滅」の危機は、日本のキリスト教においても例外ではありません。

しかし、むしろこのような逆境にある教会でこそ、真のキリスト教信仰が育つのであり、神はそこに大どんでん返しを起こされるでしょう。


今日の比較的に平和で豊かな日本の地に暮らすキリスト者は、現代人の価値観によって、イエスのラディカルな教えを薄めたり割り引いたりしているのではないでしょうか。修辞法、特に誇張法の理解やコンテクスチャアリゼーションは大切ですが、イエスの言葉をまずはありのままに受けとめることも必要ではないでしょうか。

わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。
人をその父に、
娘を母に、
嫁をしゅうとめに。
こうして、自分の家族の者が敵となる。
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。( Matthew 10:34-39)

もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。……自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。(Luke 14:26-27,33)

 

はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。(Luke 18:29-30)


聖書は家族の愛を、人間社会の根本として重視しています。
全人類の源はアダムとエバの結婚にあります。
主イエスはこう仰せになりました。


創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。……それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。(マタイ19:4-6)


「あなたの父と母を敬え」(出エジプト20:12)。これは律法の根本である十戒において、人間関係に関する戒めの第一とされます。


エスは公生涯に立たれるまで大工として働いて、母と6人以上の弟妹を養っておられました。十字架上でイエスは、母マリアの世話を弟子に委ねました。

エスの筆頭弟子ペトロは、自分の家を宣教拠点として開放しており、しゅうとめが高熱を出した時には、主イエスが彼女を癒しました。ペトロや他の使徒たち、主イエスの弟たちは、宣教旅行に夫人を同伴しました(第一コリント9:5)。

エスの十字架と復活の後、ペトロをはじめとする使徒たちは、ガリラヤ湖で再び漁をしています。漁船を捨ててはいなかったのです。パウロはテントメーカー・皮革職人として働きながら宣教活動をしていた時期があります。

こうして見ると、実際にはイエスの弟子たちは通常、家族や自宅、職業を捨ててはいません。では、主イエスが教えた「捨てる」とは、どういう意味でしょうか。それは、「自分が所有するもの」を「神がお用いになるもの」とすべく「聖別」してささげることを、意味するのではないでしょうか。そして、何よりも主に従うことを最優先とすべきである、ということでしょう。

そのために非常時においては、主に従うために家族と対立したり、別れたり、宣教地で子どもを失ったりすることも有るかもしれません。覚悟が求められる場面も、無きにしもあらずでしょう。

わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。(ヨハネ10:11)

わたしの羊の世話をしなさい。(ヨハネ21:16)

 

アドニラム・ジャドソン(Adoniram Judson 1788~1850) 
http://jp.mahanaim.org/NBoard/DB/text/Upload/106188967956fcab9607bf3.pdf

binryu.at.webry.info


Adoniram Judson Story

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牧師の仕事

牧師の仕事

  • 作者:鈴木 崇巨
  • 発売日: 2010/09/01
  • メディア: 単行本
 

www.nhk.jp 

聖霊による力(使徒1:3-11)

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主の昇天



2020年5月24日「聖霊による力」使徒1:3-11

 

2020年5月24日 復活節第7(昇天後)主日礼拝
日本バプテスト同盟 西岡本キリスト教


■聖書朗読 使徒言行録 1章3~11節

 3イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。4そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。5ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられるからである」。
 6さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。7イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。8あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」。9こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。10イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、11言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」。


■説教要旨 「聖霊による力」 金井 望


復活節の第7主日となりました。主イエスが天に昇られたのは、復活して40日目ですから、この三日前の木曜日のことです。来週は聖霊降臨祭、ペンテコステになります。ペンテコステというのはギリシア語で「50日」という意味です。主イエスが十字架で死なれた過越祭の時から50日後、〈五旬祭の日〉(2:1)にエルサレムで、弟子たちに聖霊が降って、キリスト教会が誕生しました。西岡本キリスト教会では、ちょうど来週の主日に教会総会を開くことになっています。今日は使徒言行録1章から教会の原点を共に学びたく思います。

  1.約束された聖霊

この「使徒言行録」は「ルカによる福音書」の続編として書かれた文書です。著者は〈第一巻〉において、イエスの降誕から昇天までを記しました。その第一巻を閉じるにあたって、ルカは主イエスが語った次の御言葉を記しています。ルカによる福音書の24章です。

46 次のように書いてある。「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。47また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」と。エルサレムから始めて、48あなたがたはこれらのことの証人となる。49わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。

ルカは第二巻である使徒言行録の初めに、主イエスが弟子たちに命じたことを再び記しています。

4 エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。 5ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられるからである。

8あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。

ここには、教会とは誰か。教会の目的は何か。教会を動かす力は何か。その力はどうしたら、もらえるのか――ということが、明確に説かれています。教会とはイエス・キリストの証人〉の集まりです。教会は、天から降ってこられたイエス・キリストと出会って新生した者たちの集団です。教会の目的は、〈キリストの御名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる〉ことです。我々教会には、〈地の果てに至るまで〉キリストを証しする使命があります。

ところが、使徒たちは集まって、主イエスに尋ねました。

主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか。(1:6)

彼らは3年余り主イエスと共に生活して学び、ご復活の後も旧約聖書に記された神の計画を説き明かされたのに、まだ神の国を十分に理解していませんでした。

主イエスは彼らにこう説いておられました。

12言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。(ヨハネ16:12-13)

聖霊が私たちに真理を悟らせてくださるのです。教会はいわば、地上に置かれた天国の大使館です。この世的な次元でのみ物事を図る集団であってはなりません。


  2.聖霊による力


教会を動かす〈力〉は、天から降る〈聖霊〉です。「力」と訳された原語はギリシア語で「デュナミス」と言い、「ダイナマイト」の語源となっている言葉です。天地万物を創造し、イエスを死者の中から復活させた力強い聖霊を与えると、天の父は約束しておられます。

弟子たちはすでに、聖霊の力によって宣教をした経験がありました。

1イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。2そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、3次のように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。4どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。5だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい」。6十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。(ルカ9:1-6)

しかし、彼らはさらに聖霊の中に沈められる」(5節直訳)必要がありました。バプテスマのヨハネヨルダン川で彼らを水に沈めました。その如く、今や彼らは聖霊漬けにされて、聖霊の圧倒的な力を受けるのです。聖霊〈父の約束〉を信じ、〈とどまって〉待ち望む人たちに与えられます。


このガリラヤの人たち〉エルサレムで復活されたイエスにお会いしていながら、都を離れて故郷ガリラヤに帰り、漁師に戻っていました(ヨハネ21章)。
(主を裏切った自分には、もう弟子の資格は無いし、もう宣教をする自信も無い……)
彼らはそう思って、自らの無力さに失望していたのでしょう。それでも主イエスは、彼らの手によって宣教の働きを継続することを、定めておられました。それゆえ主イエスは、慰めに満ちた御声をもって彼らを再びエルサレムに送り返されたのです。

私たちは今どこにいるでしょうか? 自分の力に頼っていたずらに走り回っているなら、疲れ果ててしまうでしょう。自分に失望しているだけなら、逃げて自分の殻にこもってしまうでしょう。主イエスは、このような弱く愚かな情けない私たちを、責めてはおられません。主はあえて、こんな私たちを選ばれたのです。

  3.聖霊を求める祈り


当時、120人ほどいたイエスの弟子たちは、それから10日間、一軒の屋敷に集まって、熱心に祈り続けました(1:14-15)。〈一同が一つになって集まっていると〉(2:1)聖霊が弟子たちに降りました。やはり我々キリスト者は、共に集まることが大切です。共に礼拝することが大切です。共に祈ることが大切です。


現代の教会では多様な活動が展開されています。それは良いことでしょう。しかし、ともすると、周辺的・付属的な活動に振り回されて、教会独自の使命が見失われ、中心的な営みがおろそかになることも無いわけではないでしょう。その結果、教会そのものが沈滞し、消失することさえあります。

何よりも、約束の聖霊を求めて、共に祈り、待ち望もうではありませんか!

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ペンテコステ聖霊降臨