序 米国の戦争責任を問う
8月は、私たち日本人にとって、アジア・太平洋戦争について考える重要な意味を持っています。ここでは、広島と長崎への原爆の投下に関する米国の罪責について考えてみようと思います。
敗者である日本人は、いわゆる東京裁判で戦争責任を裁かれました。しかし、勝者である米国人の戦争責任は不問に付されます。それでは、問題の根が絶たれないまま、被害が続くのではないでしょうか。
実際、米軍は、湾岸戦争で300~400t、アフガニスタンで500~1,000t、イラク戦争で800~2,000tの劣化ウラン弾を使用した、と言われます。その放射線被爆によって、多くの軍人や市民が白血病などの慢性疾患に苦しんでいます。米国がヒロシマやナガサキの罪責を考えているなら、こんなことをするでしょうか。
1.原爆のおかげで被害を小さくできた?
「原爆を投下したから戦争を終結させることができて、被害者をより少なく抑えることができた」と、米国は主張します。こんな言い訳を認めてよいものでしょうか。
米国政府が恐れたのは、日本本土での地上戦によって米軍の戦死者を大量に出して、世論の支持を失うことであり、日本人の犠牲者を減らそうとしたわけではありません。
非戦闘員である一般市民を無差別に大量虐殺し、被爆者に長年にわたる苦しみを強いることになったヒロシマとナガサキの原爆は、当時においても国際法違反であり、非人道的な大罪でした。
2 東アジアの共産化を防ぐため?
原爆投下の背景には、すでに東西冷戦が始まっていた、という事情もあります。米国としては、ソ連軍が東アジアで勢力を拡大する前に戦争を終結させる必要があったわけです。
戦後の体制を米国により有利な形に持っていくために、原爆の威力を見せつけたと見ることもできるでしょう。
3 原爆の威力を実験するため?
そういった政治的・軍事的な理由に加えて、技術的な理由も小さくは無かった、と思われます。新しい技術が生み出されたときに、実験によってその威力・効果を試したくなるのは、科学者や技術者の常でしょう。
米国政府としては、国民が「リメンバー・パールハーバー」を叫んで戦争遂行を圧倒的に支持したあの太平洋戦争は、原爆の威力を実戦で試験するのに、またと無い機会だったのです。
4 有色人種・敵性民族だから?
それにしても米国は、有色人種の国でなければ、これほど残虐な兵器を使用することはできなかったでしょう。
私たちは、白色人種=欧米列強による有色人種の差別・支配・搾取という世界史の大きな流れの中で、アジア・太平洋戦争について考える必要があります。
それを抜きにして中国や韓国と日本が、あの戦争について論争し、反目し合って、漁夫の利を得るのは誰でしょうか。
5 偶像を崇拝する異教徒だから?
一神教の絶対的な神を信じるキリスト教徒は、自らの存在と行為まで絶対視する傾向があります。その結果、「神の国」アメリカが異教徒の国と戦うのは聖なる使命の遂行であると考えて、自らの非道な行為を免責してしまうのです。
戦後、GHQ=マッカーサーの方針に従って、米国から大勢の宣教師が日本に来て、盛んに伝道活動を行いました。そのため、日本人の意識においては米国とキリスト教が固く結びついています。それゆえ、アメリカに対する疑問がそのまま、キリスト教に対する不信感になるのです。この問題が、日本人にキリスト教が浸透しない理由の一つでしょう。
キリスト教原理主義者ブッシュがイラクに対して行った大義無き戦争は、その疑問・不信感を強め、アメリカ=キリスト教に対するさらなる反発を生んだように見えます。
戦争の罪責を認めないアメリカのキリスト教をそのまま日本に持ち込んでも、若い人には良いかもしれませんが、高齢者には戸惑いと反発が生じることもあるでしょう。
結論 米国は原爆投下の罪責を認めて、核兵器廃絶と脱原発を進めよ