不当な苦しみを受けた時に
【聖書】
もしだれかが、不当な苦しみを受けても、神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら、それはよみせられることである。
悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になるのか。
しかし、善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。
あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。
キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。
キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。
ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。
さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。
その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
(第一ペテロ2:19〜24)
キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈りと願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。
彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となり、神によって、メルキゼデクに等しい大祭司と、となえられたのである。
(ヘブル5:7〜10)
だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。
あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。
悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。
(ローマ12:17〜21)
「復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」
「主はその民をさばかれる」
と言われたかたを、わたしたちは知っている。
生ける神のみ手のうちに落ちるのは、恐ろしいことである。
(ヘブル10:30〜31)
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【霊想】
悪がそのまま放置されてよいということではありません。
けれども、人間の裁きには限界があります。正しい者が勝つとは限りません。誤審も珍しくありません。様々な事情で、公に裁くことができない場合も、ままあります。
ですから、一番良いのは、神にゆだねることです。
真実を知っていて、自分の傷、痛み、苦しみ、悲しみ、怒り、うらみ、憎しみ、悔しさ、不信感、無力感、失望、涙を、全部、理解できるのは、父なる神様、イエス様、聖霊様だけです。
この世で加害の責任をあいまいにして、被害者への謝罪を怠る者に対しては、神が怒り、ご自身の義を明らかに示されるでしょう。
不当な攻撃を受けて、傷つき、痛み、怒りに苦しむ人が、早く解放されますように!
主の裁きが速やかに公に為されますように!