主は必ず正しい裁きを下される。それはもう遠くはない、と信じます。
聖書に書かれていることは、決してきれいごとだけじゃありません。
詩篇の歌人は、ひどい仕打ちを受ける中で、正直な思いをぶちまけています。
復讐の神、主よ
復讐の神よ。光を放ってください。
地をさばく方よ。立ち上がってください。
高ぶる者に報復してください。
主は彼らの不義をその身に返し、
彼らの悪のゆえに、彼らを滅ぼされます。
われらの神、主が、彼らを滅ぼされます。
(詩篇94:1-2,23)
イエス様は、社会の指導者たちから搾取され、虐待され、排除された人たちとの関わりを避けることなく、問題の渦中に飛び込んでいって、自ら疎まれて、憎まれて、裏切られて、殺されました。
けれども、イエス様は復活して、今も同じように働いておられます。
イエス様は、不当な攻撃を受けて苦しむ者に寄り添って、共に戦い、勝利を与えてくださいます。
ヘブル人への手紙には、次のような記述もあります。
私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」、また、「主がその民をさばかれる」と言われる方を知っています。生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。
あなたがたは、光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい。
人々の目の前で、そしりと苦しみとを受けた者もあれば、このようなめにあった人々の仲間になった者もありました。
あなたがたは、捕えられている人々を思いやり、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。
ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。
あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。
「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない」。
私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。
(ヘブル10:30-39)