【金言】
あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。(第一ペテロ5:2)
1.牧羊の使命
主イエスは復活された後に、ガリラヤ湖畔でペテロに言われた。
<わたしの羊を牧しなさい>(ヨハネ21:16)。
主イエスは<良い牧者>であり、羊のためにご自身の命を捨てたお方である(ヨハネ10:11)。主は、愛する羊の群れ、すなわち教会の民を守り、導き、養う務めを、ペテロをはじめとする使徒たちに託されたのである。
ペテロは<キリストの苦難の証人>であった。ペテロがこの手紙を書いた時には、主の受難からすでに30年以上経っており、主イエスを肉において知る信徒は少なくなっていた。ーー今この時に、主から託された重大な使命を、新世代の長老たちにしっかりと継承しなければならない――これがペテロの切実な思いであった。
2.牧者の心
キリスト者=教会の敵である悪魔が、<ほえたける獅子のように>威嚇しながら、<食い尽くすべきもの>を捜し求めて、歩き回っていた。ローマ帝国の官憲が狙う最大の獲物は、キリスト教会のトップリーダーである、ペテロとパウロだ。
この非常時にあって群れを守るためには、長老たちの適切なリーダーシップが必要であった。ペテロは彼らに勧告する。
<あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい>。
強制されて義務感だけで働く牧者や、卑しい利得を求めて働く牧者ではいけない。そんな牧者は、野獣が襲ってきたら、羊を置き去りにして逃げていく。神に従って、自発的に心を込めて、命がけで羊を守る牧者が必要なのだ。
私たちは牧者の心を持っているだろうか。
3.牧者の栄光
言い伝えによると、皇帝ネロによってキリスト教徒の迫害が始められた時、ペテロはローマの町を脱出することになった。彼が町の門を通り過ぎようとした時、主イエスがローマの町に入ってこられた。
「主よ。どこへ行かれるのですか」。
「私は十字架にかけられるために、ローマの町に入るのだ」。
ペテロはハッと我に返り、喜んで讃美しながら、ローマの町に戻った。そして、彼は望みどおり逆さはりつけで殉教した。
ペテロは、<やがて現れる栄光にあずかる者>であることを、確信し、誇りとし、喜びとしていた。まさに彼は、<大牧者が現れるときに…しぼむことのない栄光の冠を受ける>だろう。
今日、日本の教会は、我々の教団も含めて、牧師が不足している。献身して神学校に学ぶ人が少なくなり、高齢になって引退する牧師が増えている。牧師が常駐しない兼牧・無牧の教会が増加しているのが、残念な現実である。
すべての教会に良い牧者が立てられて、群れを守っていけるように、切に祈ろう。