「神は生物を進化するよう造った」現ローマ法王も肯定
ーーという見出しで朝日新聞が10月31日に報道した記事を以下に転記します。
http://www.asahi.com/articles/ASGBY51F2GBYUHBI00W.html
ローマ=石田博士 2014年10月30日12時32分
宇宙が誕生したビッグバンも進化論も、神の教えと矛盾しない――。ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は28日、天地創造に関する科学の理論を肯定した。
世界の高名な科学者が集うバチカン科学アカデミーでの会合で語った。法王は「世界の始まりは混乱の産物ではない。創造主の手がビッグバンを必要とした」「神は、自然の法則に従って進化するよう生物を造られた」などと述べた。
旧約聖書は、神が6日間で天地を創造したと記す。地動説を唱えたガリレオへの17世紀の異端裁判などで非科学的と思われがちなバチカンだが、1950年から進化論を認めてきた。
ただ保守派の前法王ベネディクト16世は「神の創造を信仰で理解することと科学による証明は対立しない」と述べる一方で、「進化論はすべての問いに答えてはいない」と発言した。生命の誕生や進化に何らかの「知的計画」が働いたと主張し、米国で支持を集めるキリスト教右派への追い風と受け止められていた。(ローマ=石田博士)
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以下は筆者の感想です。
「始めに神が天と地を創造された」(創世記1:1)。
聖書は生物の進化について肯定も否定もしていない。聖書が説いているのは、天地と万物は神によって創造された、という真理である。「How」(どのようにして)ではなく「Why」(なぜ)天地と動植物と人間が存在するのか。その根源的な理由と目的を、聖書は教えている。
天地の創造から人間の創造までのプロセスについては、聖書はほとんど何も語ってはいない。聖書は科学の書ではなくて、神学の書なのだから、当然である。そのプロセスの探求は、科学に任せておけば良い。科学者とて実際にそのプロセスを見たわけではない。そのプロセスに関して科学が提出する理論はすべて仮説に過ぎず、実証できるわけではない。
「創造科学」という矛盾した言葉がある。もしそれが科学であるならば、その理論もすべて仮説に過ぎない。これを主唱する人たちも、科学主義=科学信仰の蟻地獄から出られずにいるのだろう。科学信仰とは、科学こそ真理を解明する唯一の方法であり、信頼に足るものだ、という信仰である。それは「人間の五感によって経験的・実験的に確認できるものが、我々にとって存在のすべてだ」という経験主義・合理主義に由来する。
しかし、コペルニクス、ガリレオ、ニュートンなど近代科学を生み出した科学者たちの思想は、それとは大きく異なっていた。彼らは人間の経験に頼る科学を超えた形而上学、すなわち神の啓示である聖書を真理として信じていたのである。
我々キリスト者にとって重要であるのは、神学としての「創造論」である。
「神は生物を進化するよう作った」。これは、いわゆる「有神論的進化論」をバチカンが認めたということだろう。今さら、科学におもねるようなことを言って、どれほどの意味があるのか。カトリック教徒にとって、ローマ法王の発言は絶対に近い。余計なことは言わない方がよろしいのではなかろうか。
進化論という変わっていく科学の理論ではなく、永遠に変わることのない、神の啓示である聖書を、我々は真理と信じる。これでいいのだ!
あなたがたが新たに生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生ける御言葉によったのである。
「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。
草は枯れ、花は散る。
しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。
これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。
(ペテロの第一の手紙1章23〜25節)
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