KANAISM BLOG ー真っ直ぐに行こうー

聖書のメッセージやキリスト教の論説、社会評論などを書いています。

キリスト教終活・葬儀の宣教的ポテンシャル

 今、急速に進行する少子高齢化=人口減少によって、日本社会の様々な領域で危機的な変化が起こっている。男性・女性ともに平均寿命が80歳を超えて、今や日本は世界に冠たる長寿国である。そして、一年間の死亡者数が130万人以上という「多死時代」を迎えている。一年間の出生者数は100万人を割り込んでおり、人口減少は止められない。

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 「多死時代ならば、僧侶は忙しいはず」と思われようが、直近のわずか数年の間に、驚くほど日本人の「寺離れ」が進んでいる。今や関東圏では、伝統的な葬儀は3分の1しかない。家族葬が3分の1、残る3分の1は直葬やごく簡単な一日葬である。東京都内には、数千基が納骨できる「無宗教式永代供養」の巨大な「納骨堂」が10棟以上もあり、これがどんどん増えている。

無葬社会 彷徨う遺体 変わる仏教

無葬社会 彷徨う遺体 変わる仏教

 

  一方、地方圏では地域住民の高齢化と若年層の大都市圏への流出によって、伝統的な血縁共同体である「イエ」と地縁共同体である「ムラ」社会が次々と瓦解している。イエとムラに支えられてきた寺院と神社は、住職も神主も不在となり、実質的に消滅している。

寺院消滅

寺院消滅

 

  今や「寺院消滅」「無葬社会」(鵜飼秀徳)の時代である。これは、日本のキリスト教にとって、どのような意味を持つのか。我々キリスト者・牧師・教会は、具体的にどのようにこの状況に対処すべきだろうか。

データブック日本宣教のこれからが見えてくる キリスト教の30年後を読む (いのちのことば社)

データブック日本宣教のこれからが見えてくる キリスト教の30年後を読む (いのちのことば社)

 

  日本におけるキリスト教の宣教には数多の障壁がある。その中でも歴史的に最大の障壁となってきたのは、いわゆる檀家制度(寺請制度)である。江戸幕府は、日本中のすべての家に仏教寺院の檀家となるように強制した。これはキリシタン禁制政策として創られた制度であった。檀那寺(菩提寺)は宗旨人別帳を作り、寺請証文(寺請状、寺証文、宗旨手形)を発行して、その家が檀家であること、すなわちキリシタンではないことを証明した。仏壇の無い家は「邪宗門」として告発する定めがあった。

キリシタン禁制と民衆の宗教 (日本史リブレット)

キリシタン禁制と民衆の宗教 (日本史リブレット)

 

  また、幕藩体制の下で、民衆は近隣ごとに五戸前後を一組として「五人組」を組織させられた。その目的の一つは、民衆がキリシタンにならぬよう相互に監視させることであった。組からキリシタンが独りでも出たら、組全員が連座制で処刑される。これによって、日本人は相互に監視し合い、いつも他人の目を意識する縮み志向が身に付いてしまった。明治維新廃藩置県によって五人組は法的に消滅したが、「隣組」にその組織は受け継がれた。それが、地縁による住民自治組織である「町内会」「自治会」の基礎となった。

  伝統的な血縁共同体と地縁共同体が瓦解し、檀家制度が崩壊しつつあることは、キリスト教宣教にとっては「障壁」が崩れるのであるから、好機であろう。しかし、宗教学者島田裕巳は、――現代の日本に起こっているのは世俗化であり「宗教消滅」である――と論じている。教会が寺院や神社、町内会自治会等の担ってきた役割を正しく評価し、それを代替あるいは補完できるのでなければ、教会もまた消滅していく危険性が高いのである。

  最近、巷では終活、エンディングノートが大変なブームとなっている。葬儀への関心も非常に高まっている。昨年秋に、私が部長を務めていた日本イエス・キリスト教団兵庫教区婦人部でも、終活セミナーを開催した。209名の参加者があり、大変好評であった。この問題の本質は死生学であり、キリスト教こそ「解決」を持っている、と我々は信じている。終活、エンディングノートターミナルケア、葬儀に関して今、キリスト者・牧師・教会が取り組むべきことは何だろうか。それにどのような宣教的ポテンシャルがあるのだろうか。

キリスト教の終活・エンディングノート(ブルー)

キリスト教の終活・エンディングノート(ブルー)

 

  筆者の父親の実家は新潟・直江津で代々、浄土真宗大谷派の寺院の熱心な信徒であった。その家宅は、親鸞が船で上陸した浜の近くにあった。父と伯母と祖母がクリスチャンとなり、一度は金井の本家は檀家を止めた。その頃に、家督を継いだ伯父が、寺から返された金井家の「過去帳」を筆者に見せてくれた。その伯父は若い頃には熱心なキリスト教の求道者だったが、結局、キリスト者とならず、葬式をその菩提寺で行ってもらい、金井家の過去帳は寺院に返却することとなった。日本で伝道・牧会をしていると、このような問題にしばしば直面する。

冠婚葬祭のひみつ (岩波新書)

冠婚葬祭のひみつ (岩波新書)

 

  筆者は横浜市の行政職員として勤務していた時期に、自治会町内会連合会の事務局と商店街連合会の事務局を務めたことがある。その関係で、地域社会の実態を実務的に経験することとなった。自治会町内会や商店街は、イエ社会・ムラ社会を代表する組織であり、神社や寺院との関係が深い。おかげで筆者は、いろいろな宗派の葬儀を経験させてもらった。人が人にふさわしい生活・人生を送るために、イエやムラが果たしてきた役割は絶大なものであり、寺院や神社が持っているソーシャル・キャピタルとしての有用性もまた絶大なものである。それが失われていくことを惜しむ思いが、筆者にはある。それはこの国の基盤が揺らぐことでもある。

人口減少社会と寺院: ソーシャル・キャピタルの視座から

人口減少社会と寺院: ソーシャル・キャピタルの視座から

 

  役所を退職してから筆者は、日本伝道隊の運営する関西聖書神学校で学び、卒業後、日本イエス・キリスト教団の三つの教会で14年余り伝道牧会に従事してきた。筆者の任地は北海道・関東・関西と移ってきたが、どの地においても寺院や神社等の伝統宗教の存在は、伝道の大きな障壁となった。しかし、地方消滅・寺院消滅の時代にあって、「キリスト教にはチャンス到来だ」と火事場泥棒のごとく喜ぶようでは、決してキリスト教は日本人の心をとらえることができまい。

「異教としてのキリスト教」からの脱却

「異教としてのキリスト教」からの脱却

 

  筆者は牧会において、様々な人たちの人生のエンディングに立ち会い、葬儀を行ってきた。葬儀で伝道説教はしないが、自然にそれは福音を伝える良い機会となる。エンディング・葬儀は誰もが自らの死を考えさせられる厳粛な場であり、魂が目覚める。終活・葬儀が持つ宣教的ポテンシャルの大きさについて考えていきたく思っている。

心に残るキリスト教のお葬式とは―葬儀の神学序説 (NCC宗教研究所双書)

心に残るキリスト教のお葬式とは―葬儀の神学序説 (NCC宗教研究所双書)

 

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ローマ人への手紙の主題・主張・結論

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http://bibleatlas.org/isv/paul.jpg

 

 筆者は昨年4月から主日礼拝で「ローマ人への手紙」の講解説教を続けてきましたが、すでに70回目に至り、残るところわずかとなりました。さすがに、これだけ付き合ってみると、使徒パウロがどのような状況で、何を伝えようとしていたのか、すっきりと見えてきました。

 

  1.ローマ人への手紙の主題

 

 パウロがこの書簡を書いたのは、紀元後57年の初頭、第3回宣教旅行の途中、コリントにおいてであった、と筆者は考えます。パウロはこの後、エルサレムに救援募金を届けに行き、それからローマに行くつもりでした。そしてその後は、ローマの教会を母港として、イスパニア(スペイン)へ宣教旅行に行く計画を持っていました。

  パウロが1章14-17節において、この書簡の主題を提示していることに、異論は無いと思います。

わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果たすべき責任がある。それで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることである。わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救いを得させる神の力である。神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。(1:14-17)

問題は、この中のどの部分が最も重要なメッセージであったのか、ということです。

 この書簡の執筆の目的については、歴史的に、次のようなことが論じられてきました。

キリスト教の教理の大綱を示すため

②教会内の論争に結着をつけるため

ユダヤ人信徒と異邦人信徒の融和を図るため

④教会の具体的必要に応えるため

⑤未知の教会に、パウロが宣べ伝えてきた「私の福音」(2:16)と呼ぶ使信の内容を紹介することで、自己紹介に代えるため

出典:橋本龍三著「ローマ人への手紙」『実用聖書注解』いのちのことば社 

 筆者が注目したのは「ユダヤ人」「ギリシヤ人」「すべて」というキーワードです。

  ユダヤ人」 Ἰουδαῖος (Ioudaios)
  「ギリシア人」Ἕλλην (Hellén)
  「すべて」πᾶς (pas)
ローマ人への手紙では、この三つの単語がそろって記されているテクストが、5つあります。

それは、ユダヤをはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救いを得させる神の力である。(1:16)

悪を行うすべての人にははじめギリシヤ人にも、患難と苦悩とが与えられる。(2:9)

善を行うすべての人には、ユダヤをはじめギリシヤ人にも、光栄とほまれと平安とが与えられる。(2:10)

ユダヤギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。(3:9)

ユダヤギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。(10:12)

 さらに、11章25-26節では「ユダヤ人」が「イスラエル Ἰσραήλ (Israél) に、「ギリシヤ人」が「異邦人ἐθνῶν (ethnōn) に拡大されます。ここでも「すべて」πᾶς (pas) を伴っています。

兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエルがかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、こうして、イスラエルは、すべて救われるであろう。(11:25-26)

 すなわち、ーー律法と福音の普遍性民族宗教から世界宗教へのトランスフォーメイションユダヤ人と異邦人の和解すべてのキリスト者の一致こそ、パウロが最も伝えたかった「奥義μυστήριον (mystērion) であったーーと筆者は考えます。 まとめますと、「ユダヤ人も異邦人もすべてのキリスト者が一致協力して、全世界に福音を宣教しよう」というのが、この書簡におけるパウロの中心的なメッセージでした。

 

  2.異邦人の使徒パウロが伝えた奥義

 

 これが、「異邦人の使徒」として主に召されたパウロの根本的な確信・使命であり、彼の最も重要な使信の一つであったことは、以下のテクストによっても裏付けられるでしょう。

もはや、ユダヤ人(Ἰουδαῖος)ギリシヤ人(Ἕλλην)もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆(πάντες)、キリスト・イエスにあって一つだからである。(ガラテヤ3:28)

なぜなら、わたしたちは皆(πάντες)ユダヤ人(Ἰουδαῖοι)ギリシヤ人(Ἕλληνες)も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そしてπάντες)一つの御霊を飲んだからである。(第一コリント12:13)

そこには、もはやギリシヤ人(Ἕλλην)ユダヤ人(Ἰουδαῖος)、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべて(πάντα)であり、すべてのもの(πᾶσιν)のうちにいますのである。(コロサイ3:11)

すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義(μυστηρίῳ)を知らされたのである。あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義(μυστηρίῳ)をわたしがどう理解しているかがわかる。この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。それは、異邦人(ἔθνη)が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。(エペソ3:3-6)

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  3.ルターによる「福音の再発見」

 

 マルティン・ルターのいわゆる「塔の体験」、「福音の再発見」において決定的な意味を持ったのは、1章17節「信仰による義人は生きる」という一文でした。それ以前は、ーー「神の義」は罪人を断罪するものであって、その「信仰」とは「義」を獲得するために必要とされる人間の努力であるーーとルターは理解していました。しかし、それが全く逆であることを、彼は悟ったのです。

神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。(1:17)

しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによって証しされて、現された。それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価いなしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いによって義とされるのである。神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべき贖いの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。(3:21-25)

  ーー罪人が神に「義とされる」ために必要な条件は、人間が「律法」の行いによって満たせるものではない。それは、「イエス・キリスト」が十字架の死において為された「贖い」によって、完全に満たされている。それゆえ、イエス・キリストを信じる「信仰」を通して、罪人は贖罪の「恵み」にあずかり、罪が赦されて、神に「義とされ」、受け入れていただくことができる。その「信仰」すら、人間の行いによって得られるものではなくて、神が与えてくださる賜物である。この救いを成し遂げるのは、人間の義ではなくて、「神の義」であるーー。ルターはこの真理に目が開かれたのです。

  この「キリストのみ」「恵みのみ」「信仰のみ」という原理が、宗教改革の原動力となりました。その意義の大いなることは、どんなに強調しても、し過ぎることはありません!

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  4.ローマ人への手紙の執筆事情

 

 しかしながら、パウロがこの書簡を書いた当時、彼がローマの信徒たちに伝えたかった最も重要なメッセージは、論理的にそのもう一つ先にありました。その背景として、ローマの教会に起こっていた問題を考慮する必要があります。

 

 ローマの教会は30年代に、ユダヤキリスト者によって創始されたようです。49年にローマ皇帝クラウディウスが出した勅令によって、ユダヤ人はローマから追放されました。54年にクラウディウス帝が死んだため、その勅令は解除されましたが、その間にローマの教会は、異邦人キリスト者が自立して主導するようになりました。

 

 パウロがこの手紙を書いた57年頃には、ユダヤキリスト者異邦人キリスト者の間に、割礼や律法の遵守に関して論争があり、両者は分裂する危機にありました。ユダヤ人にはキリスト者となってからも、律法の習慣を遵守する人が多くて、異邦人にもそれを要求しました。それに対して、異邦人キリスト者は、ユダヤキリスト者を「信仰の弱い人」と言って批判しました(14:1)。 

 パウロはこの書簡によって、これらの問題について解答を示したのです。

 

  5.ローマ人への手紙の中心的なメッセージ

 

 昨年NIGTCで発行されたR. N. ロングネッカーのロマ書注解のように、前半1章から8章までを重視して(720頁を費やす)、後半9章から16章までを軽視する(322頁を費やす)傾向が、一部の教派や神学者にあると思います。ロマ書をキリスト教教理の教科書として見るだけであれば、それでも良いでしょう。

The Epistle to the Romans (New International Greek Testament Commentary (NIGTC))

The Epistle to the Romans (New International Greek Testament Commentary (NIGTC))

 

  しかし、ロマ書を、その時その場で特定の目的によって書かれた歴史的文書として見るのであれば、ーー後半の9章から16章までが重要な意味を持っている。いや、むしろ後半においてこそ、この手紙の目的が具体的に完遂されている。前半の1章から8章までは、後半で展開される主張を裏付けるために書かれた基礎的な理論であるーーと言えるのではないでしょうか。

兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らが救われることである。わたしは、彼らが神に対して熱心であることは証しするが、その熱心は深い知識によるものではない。なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終わりとなられたのである。(10:2-4)

すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。ユダヤギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。(10:9-13)

  この10章1-4,9-13節こそ、この書簡の始めに提示された主題に関する、最も重要な主張です。すなわち、ーーキリストによって罪の贖いが完全に満たされたのだから、もはや律法の遵守によって「自分の義を立てる」ことが、救いに必要な条件とはならない。ユダヤ人もギリシヤ人も、世界のすべての民が、「イエスは主キリストである」と信じる信仰のみを通してキリストの恩恵にあずかり、神に義とされて、救われるのだ。ユダヤ人と異邦人に差別は無いーーということです。

 

  6.ユダヤ人の離反と信仰復興

 

 パウロは、同胞であるユダヤ人がこの真理を受け入れずに、キリストの「教会」から離れていくことを危惧していました。そして、それは歴史的にこの後、現実となるのです。しかし、パウロは、ユダヤ人の信仰復興を確信して、預言しています。

そこで、わたしは問う、「神はその民を捨てたのであろうか」。断じてそうではない。わたしもイスラエルであり、アブラハムの子孫、ベニヤミン族の者である。(11:1)

兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエルがかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、こうして、イスラエルは、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、
  「救う者がシオンからきて、
  ヤコブから不信心を追い払うであろう。
  そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、
  彼らに対して立てるわたしの契約である」。
福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。神の賜物と召しとは、変えられることがない。あなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によってあわれみを受けたように、彼らも今は不従順になっているが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、彼ら自身も今あわれみを受けるためなのである。(11:25-31)

 20世紀から21世紀にかけて生きている私たちは、まさにこの預言の成就を見ているのです。

 

  7.ローマ人への手紙の結論

 

 この書簡の結論は次のとおり、ーーキリスト者が一致して、神の栄光を現すようにーーという勧めです。

 これまでに書かれた事がらは、すべてわたしたちの教えのために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである。
 どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、キリスト・イエスにならって互いに同じ思いをいだかせ、こうして、心を一つにし、声を合わせて、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように。
 こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互いに受けいれて、神の栄光をあらわすべきである(15:4-6)

 願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教とにより、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、今やあらわされ、預言の書をとおして、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、すなわち、唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にあるように、アァメン(16:25-27)

(完) 

 

  <参考文献>

 

 筆者は説教の準備にいろいろなツールを使いますが、何よりも聖書のテクストそのものをよく読んで、理解することが大切だと思います。そのために、まず日本語の聖書を諸々の訳で比較して読みます。

聖書で聖書を読む 和訳の比較にスゴく便利!

 そして、疑問や不明なところ、特に重要だと思った部分を重点として、ギリシア語テクストを調べます。テクストに関する情報収集にはパソコンやタブレット、ネットで、いろいろなアプリやサイトを多用します。

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 ローマ人への手紙の注解書や説教集には、優れたものが、たくさんあります。私が読んだ中では、榊原康夫師説教集が最高だと思いました。英書では Douglas J. Moo著『Romans』(The NIV Application Commentary)が、説教準備には最適だと思います。

 パウロの生涯ローマ帝政下の地中海世界について理解することも必要です。これは各種の参考書が出ていますが、原口貞吉氏の著作はスゴいです!
  

Nestle Aland 28th Edition Greek - English: English Translations: Nrsb and Reb

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新約聖書ギリシア語小辞典

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ギリシア語新約聖書釈義事典 全巻セット縮刷版

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旧約新約聖書大事典

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ローマ人への手紙講解〈1〉1‐3章

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ローマ人への手紙講解〈2〉4‐6章

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ローマ人への手紙講解 3(7ー9章)

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ローマ人への手紙講解〈5〉14‐16章

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ルター著作集 (第2集 8)

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ルター著作集 (第2集9)

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カルヴァン新約聖書註解〈第7〉ローマ書 (1959年)
 
ローマ人への手紙 翻訳と解釈 (松木治三郎著作集)

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ローマ人への手紙―現代へのメッセージ

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新解・ローマ人への手紙 (1983年)

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ローマ・ガラテヤの人々への手紙

ローマ・ガラテヤの人々への手紙

 
ローマ人への手紙 ティンデル聖書注解

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ローマの信徒への手紙 (ニューセンチュリー聖書注解)

ローマの信徒への手紙 (ニューセンチュリー聖書注解)

 
ローマ人への手紙

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ローマ人への手紙(6-11章) (EKK新約聖書註解)

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ローマ人への手紙(12‐16章) (EKK新約聖書註解―6・3)

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Epistle to the Romans: The English Text With Introduction, Exposition, and Notes (New International Commentary on the New Testament)

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Romans (The NIV Application Commentary)

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The Epistle to the Romans (New International Commentary on the New Testament)

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Romans (The Anchor Yale Bible Commentaries)

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The Epistle to the Romans (International Critical Commentary Series)

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The Epistle to the Romans: Romans 9-16: A Critical and Exegetical Commentary (International Critical Commentary)

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Romans

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Paul's Letter to the Romans (The Pillar New Testament Commentary (PNTC))

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Romans (Baker Exegetical Commentary on the New Testament)

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パウロ

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福音派と共産党の共闘?(4)

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最近、筆者は、①小林多喜二の母・セキの一生を描く三浦綾子著『母』、②プロレタリア文学の金字塔・小林多喜二原作『蟹工船』劇画版、③高橋秀典著『聖書から見るお金と教会、社会』を読みました。

小林多喜二をはじめ、共産党に身を投じた人々の多くが求めたのは、①人間の「尊厳」が社会的に広く認められて、②法律と公権力によって「人権」が守られ、③「貧困」を克服して、④誰もが人間らしい生活ができるようにすることだったのではないでしょうか? しかし、多喜二の「優しい心」は、共産党に入党してから、母親にも理解できないほど変わってしまったように思いました。

ちなみに、三浦綾子さん御自身は、共産主義を支持しておられません。小林多喜二の親族にはクリスチャンが多くいて、お母様もキリスト信仰をお持ちになったようです。

「持っている者はさらに与えられ、持っていない者は持っている物まで取り上げられる」。これは聖書の格言です(マルコ4:25)。

①資本を持つ者が、資本を持たない労働者を「搾取」することによって、さらに富を集積していく。②拝金主義によって、人間の尊厳は侵され、失われる。③社会の秩序を保ち、資源や食糧を確保し、市場を拡大するために、国家は警察と軍隊を必要とする。④領土や利権をめぐる国家間の争いや対立が、戦争に至ることもあるーー。

これらは資本主義の必然であって、現代の世界も①わずかな超富裕層への富の集積、②貧困層の増大、③テロリズムと戦争、④難民問題に苦悩しています。

マルクス主義共産党とは、「資本主義の根本問題を解決するためには、労働者が団結して社会主義革命を起こすしかない」というイデオロギーであり、運動です。共産党がめざす社会主義革命とは、①武力によって既存の体制を打倒して、②独占資本を解体し、③生産手段を国有化・公有化するものであり、④国際的・全世界的な革命を推進するものです。

しかし、20世紀に展開された共産主義運動は、共産党員という新たな支配階級=特権階級を生み出しました。②計画経済は非効率的で、環境破壊が著しく、多くの国家が破綻しました。③貧困問題を解決することができず、恐ろしいほど多くの人命が飢餓によって失われました。④政治は共産党一党独裁となり、首脳部に反対する者が大勢、粛清されました。⑤著しい軍拡を続けて、世界の各地で侵略戦争を起こしました。マルクス主義共産党の運動が、資本主義の根本問題を解決できないことは、100年に及ぶ壮大な「社会実験」によって実証されているのです。

 

高橋秀典師は、①社会的弱者も「神のかたち」に創造された者として、その尊厳が保たれなければならない。②キリスト者は、保守と革新という枠組みの対立を超えたヴィジョン・新たな価値観を提示すべきだ。③「互酬」「再分配」「市場交換」という三つの経済原理の調和が重要だ。④神の平和(シャローム)をこの地に広げるという共同体的な信仰の運動、これこそ今、私たちが必要とする新たな宗教改革ーーと説いておられます。そして、それらがみな、聖書から学ぶことができる知恵である、というのです。筆者も高橋先生のご意見に賛成する者です。


カール・ポラニ
は経済人類学的なアプローチによって、現代経済の原理的な問題を明らかにしましたが、それに応えてピーター・ドラッカーは現代「社会」の具体的なトランスフォーメーションについて論じていたように思います。このふたりの巨人が同郷で、親友であったというのは、神の配慮かと思います。


日本ではドラッカーを「経営の神様」のごとく崇めていますが(笑)、後期のドラッカーは「ソサエティーやコミュニティーこそ、21世紀の最も重要な問題だ」と主張していたように思います。現代資本主義が最も発達した米国は「貧困大国」でもありますが、その社会を支えているのは、巨大な非営利組織の活動ですアメリカでは、市民が現代資本主義の弱点を補っているのです。

もちろん政府の公的な補助金や企業の献金もあるわけですが、何と言ってもアメリカの富は超富裕層に著しく偏在しています。そこが法人資本主義の日本と大きく異なるところです。ビル・ゲイツの呼びかけに応えて、アメリカの超富裕層が財産の半分を慈善事業に寄付したこともありました(2010年)。アメリカの資産家やエリートは、社会に貢献する活動に熱心に取り組んでいます。その動力となっているのはやはり、アメリカ的なキリスト教精神と愛国心でしょう。

日本では「少子高齢化=人口減少時代において必要とされる社会の変革を担うのは、政府か企業か市民か。コストは誰がどのように負担するのか」という差し迫った問題があります。法人税所得税、固定資産税、相続税、消費税など税制の調整が必要であり、年金・健康保険・介護保険の保険料と給付の調整も必要です。伝統的な地縁共同体や血縁共同体は瓦解しつつあります。今後、インターネット・AI(人工知能)・ロボットの発達が、生産の領域だけでなく、再生産の領域を含めて、現代社会の全体を大きく変えていくでしょう。

 

今、日本の政治・経済・社会は、従来の単純化した枠組みを乗り越える、新しい枠組みを必要としています。そこに日本のキリスト教は、どのように絡んでいくのでしょうか。

 

母 (角川文庫)

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映画『母 小林多喜二の母の物語』主演・寺島しのぶ 監督・山田火砂子 原作・三浦綾子 製作・現代ぷろだくしょん 

 

図書カード:蟹工船青空文庫

 

 『マンガ蟹工船』 - 白樺文学館 多喜二ライブラリー (作画: 藤生ゴオ、解説: 島村輝)

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劇画「蟹工船」 小林多喜二の世界 (講談社+α文庫)

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聖書から見るお金と教会、社会

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ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

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ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書)

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21世紀の資本

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[新訳]大転換

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ネクスト・ソサエティ

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ドラッカー名著集 4 非営利組織の経営

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そうだったのか!現代史 (集英社文庫)

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そうだったのか!現代史〈パート2〉 (集英社文庫)

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【討論】シリーズ「日本の敵」:日本共産党とは何か?[桜H28/10/15]

 

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「50+20 ー日本の教会の戦後70年ー」

http://jeanet.org/wp/wp-content/uploads/2015/09/4b2d5755c465e7c54d2f704c6deeb1aa.pdf

 

4月16日号紙面:国家や政治の課題を神学的に研究 「教会と政治フォーラム発会式 – クリスチャン新聞オンライン

 

野党と市民 共闘さらに/衆院選へ本気 提案や決意/都議選 自民現職に競り勝った北多摩3区

 


【現代ニッポン】過激派に属する若者たち