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筆者は昨年4月から主日礼拝で「ローマ人への手紙」の講解説教を続けてきましたが、すでに70回目に至り、残るところわずかとなりました。さすがに、これだけ付き合ってみると、使徒パウロがどのような状況で、何を伝えようとしていたのか、すっきりと見えてきました。
1.ローマ人への手紙の主題
パウロがこの書簡を書いたのは、紀元後57年の初頭、第3回宣教旅行の途中、コリントにおいてであった、と筆者は考えます。パウロはこの後、エルサレムに救援募金を届けに行き、それからローマに行くつもりでした。そしてその後は、ローマの教会を母港として、イスパニア(スペイン)へ宣教旅行に行く計画を持っていました。
パウロが1章14-17節において、この書簡の主題を提示していることに、異論は無いと思います。
わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果たすべき責任がある。それで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることである。わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救いを得させる神の力である。神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。(1:14-17)
問題は、この中のどの部分が最も重要なメッセージであったのか、ということです。
この書簡の執筆の目的については、歴史的に、次のようなことが論じられてきました。
①キリスト教の教理の大綱を示すため
②教会内の論争に結着をつけるため
③ユダヤ人信徒と異邦人信徒の融和を図るため
④教会の具体的必要に応えるため
⑤未知の教会に、パウロが宣べ伝えてきた「私の福音」(2:16)と呼ぶ使信の内容を紹介することで、自己紹介に代えるため
出典:橋本龍三著「ローマ人への手紙」『実用聖書注解』いのちのことば社
筆者が注目したのは「ユダヤ人」「ギリシヤ人」「すべて」というキーワードです。
「ユダヤ人」 Ἰουδαῖος (Ioudaios)
「ギリシア人」Ἕλλην (Hellén)
「すべて」πᾶς (pas)
ローマ人への手紙では、この三つの単語がそろって記されているテクストが、5つあります。
それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救いを得させる神の力である。(1:16)
悪を行うすべての人にははじめギリシヤ人にも、患難と苦悩とが与えられる。(2:9)
善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、光栄とほまれと平安とが与えられる。(2:10)
ユダヤ人もギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。(3:9)
ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。(10:12)
さらに、11章25-26節では「ユダヤ人」が「イスラエル人」 Ἰσραήλ (Israél) に、「ギリシヤ人」が「異邦人」ἐθνῶν (ethnōn) に拡大されます。ここでも「すべて」πᾶς (pas) を伴っています。
兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。(11:25-26)
すなわち、ーー律法と福音の普遍性、民族宗教から世界宗教へのトランスフォーメイション、ユダヤ人と異邦人の和解、すべてのキリスト者の一致こそ、パウロが最も伝えたかった「奥義」μυστήριον (mystērion) であったーーと筆者は考えます。 まとめますと、「ユダヤ人も異邦人もすべてのキリスト者が一致協力して、全世界に福音を宣教しよう」というのが、この書簡におけるパウロの中心的なメッセージでした。
これが、「異邦人の使徒」として主に召されたパウロの根本的な確信・使命であり、彼の最も重要な使信の一つであったことは、以下のテクストによっても裏付けられるでしょう。
もはや、ユダヤ人(Ἰουδαῖος)もギリシヤ人(Ἕλλην)もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆(πάντες)、キリスト・イエスにあって一つだからである。(ガラテヤ3:28)
なぜなら、わたしたちは皆(πάντες)、ユダヤ人(Ἰουδαῖοι)もギリシヤ人(Ἕλληνες)も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆(πάντες)一つの御霊を飲んだからである。(第一コリント12:13)
そこには、もはやギリシヤ人(Ἕλλην)とユダヤ人(Ἰουδαῖος)、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべて(πάντα)であり、すべてのもの(πᾶσιν)のうちにいますのである。(コロサイ3:11)
すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義(μυστηρίῳ)を知らされたのである。あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義(μυστηρίῳ)をわたしがどう理解しているかがわかる。この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。それは、異邦人(ἔθνη)が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。(エペソ3:3-6)
3.ルターによる「福音の再発見」
マルティン・ルターのいわゆる「塔の体験」、「福音の再発見」において決定的な意味を持ったのは、1章17節「信仰による義人は生きる」という一文でした。それ以前は、ーー「神の義」は罪人を断罪するものであって、その「信仰」とは「義」を獲得するために必要とされる人間の努力であるーーとルターは理解していました。しかし、それが全く逆であることを、彼は悟ったのです。
神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。(1:17)
しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによって証しされて、現された。それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価いなしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いによって義とされるのである。神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべき贖いの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。(3:21-25)
ーー罪人が神に「義とされる」ために必要な条件は、人間が「律法」の行いによって満たせるものではない。それは、「イエス・キリスト」が十字架の死において為された「贖い」によって、完全に満たされている。それゆえ、イエス・キリストを信じる「信仰」を通して、罪人は贖罪の「恵み」にあずかり、罪が赦されて、神に「義とされ」、受け入れていただくことができる。その「信仰」すら、人間の行いによって得られるものではなくて、神が与えてくださる賜物である。この救いを成し遂げるのは、人間の義ではなくて、「神の義」であるーー。ルターはこの真理に目が開かれたのです。
この「キリストのみ」「恵みのみ」「信仰のみ」という原理が、宗教改革の原動力となりました。その意義の大いなることは、どんなに強調しても、し過ぎることはありません!
4.ローマ人への手紙の執筆事情
しかしながら、パウロがこの書簡を書いた当時、彼がローマの信徒たちに伝えたかった最も重要なメッセージは、論理的にそのもう一つ先にありました。その背景として、ローマの教会に起こっていた問題を考慮する必要があります。
ローマの教会は30年代に、ユダヤ人キリスト者によって創始されたようです。49年にローマ皇帝クラウディウスが出した勅令によって、ユダヤ人はローマから追放されました。54年にクラウディウス帝が死んだため、その勅令は解除されましたが、その間にローマの教会は、異邦人キリスト者が自立して主導するようになりました。
パウロがこの手紙を書いた57年頃には、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の間に、割礼や律法の遵守に関して論争があり、両者は分裂する危機にありました。ユダヤ人にはキリスト者となってからも、律法の習慣を遵守する人が多くて、異邦人にもそれを要求しました。それに対して、異邦人キリスト者は、ユダヤ人キリスト者を「信仰の弱い人」と言って批判しました(14:1)。
パウロはこの書簡によって、これらの問題について解答を示したのです。
5.ローマ人への手紙の中心的なメッセージ
昨年NIGTCで発行されたR. N. ロングネッカーのロマ書注解のように、前半の1章から8章までを重視して(720頁を費やす)、後半の9章から16章までを軽視する(322頁を費やす)傾向が、一部の教派や神学者にあると思います。ロマ書をキリスト教教理の教科書として見るだけであれば、それでも良いでしょう。
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しかし、ロマ書を、その時その場で特定の目的によって書かれた歴史的文書として見るのであれば、ーー後半の9章から16章までが重要な意味を持っている。いや、むしろ後半においてこそ、この手紙の目的が具体的に完遂されている。前半の1章から8章までは、後半で展開される主張を裏付けるために書かれた基礎的な理論であるーーと言えるのではないでしょうか。
兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らが救われることである。わたしは、彼らが神に対して熱心であることは証しするが、その熱心は深い知識によるものではない。なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終わりとなられたのである。(10:2-4)
すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。(10:9-13)
この10章1-4,9-13節こそ、この書簡の始めに提示された主題に関する、最も重要な主張です。すなわち、ーーキリストによって罪の贖いが完全に満たされたのだから、もはや律法の遵守によって「自分の義を立てる」ことが、救いに必要な条件とはならない。ユダヤ人もギリシヤ人も、世界のすべての民が、「イエスは主キリストである」と信じる信仰のみを通してキリストの恩恵にあずかり、神に義とされて、救われるのだ。ユダヤ人と異邦人に差別は無いーーということです。
6.ユダヤ人の離反と信仰復興
パウロは、同胞であるユダヤ人がこの真理を受け入れずに、キリストの「教会」から離れていくことを危惧していました。そして、それは歴史的にこの後、現実となるのです。しかし、パウロは、ユダヤ人の信仰復興を確信して、預言しています。
そこで、わたしは問う、「神はその民を捨てたのであろうか」。断じてそうではない。わたしもイスラエル人であり、アブラハムの子孫、ベニヤミン族の者である。(11:1)
兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、
「救う者がシオンからきて、
ヤコブから不信心を追い払うであろう。
そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、
彼らに対して立てるわたしの契約である」。
福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。神の賜物と召しとは、変えられることがない。あなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によってあわれみを受けたように、彼らも今は不従順になっているが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、彼ら自身も今あわれみを受けるためなのである。(11:25-31)
20世紀から21世紀にかけて生きている私たちは、まさにこの預言の成就を見ているのです。
7.ローマ人への手紙の結論
この書簡の結論は次のとおり、ーーキリスト者が一致して、神の栄光を現すようにーーという勧めです。
これまでに書かれた事がらは、すべてわたしたちの教えのために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである。
どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、キリスト・イエスにならって互いに同じ思いをいだかせ、こうして、心を一つにし、声を合わせて、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように。
こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互いに受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。(15:4-6)願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教とにより、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、今やあらわされ、預言の書をとおして、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、すなわち、唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にあるように、アァメン(16:25-27)
(完)
<参考文献>
筆者は説教の準備にいろいろなツールを使いますが、何よりも聖書のテクストそのものをよく読んで、理解することが大切だと思います。そのために、まず日本語の聖書を諸々の訳で比較して読みます。
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そして、疑問や不明なところ、特に重要だと思った部分を重点として、ギリシア語テクストを調べます。テクストに関する情報収集にはパソコンやタブレット、ネットで、いろいろなアプリやサイトを多用します。
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ローマ人への手紙の注解書や説教集には、優れたものが、たくさんあります。私が読んだ中では、榊原康夫師の説教集が最高だと思いました。英書では Douglas J. Moo著『Romans』(The NIV Application Commentary)が、説教準備には最適だと思います。
パウロの生涯やローマ帝政下の地中海世界について理解することも必要です。これは各種の参考書が出ていますが、原口貞吉氏の著作はスゴいです!
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