カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

「死を覚悟して」使徒の働き21章1~16節

【金言】私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。(使徒21:13) 

 

 私たちは、何のために生きて、何のために死ぬのか。パウロの言行からキリスト者の死生観を学びたい。

 

1.共に生きる喜び

 

 パウロの第3回宣教旅行は終盤に入った。パウロは愛するエペソ教会の長老たちに別れを告げて、船を乗り継ぎ、シリヤ州に渡った。

 船がツロ(ティルス)の港に停泊したので、パウロはその町のキリスト者を探して、7日間、教会の人々と交わりを持った。彼らは御霊に示されて、パウロのエルサレム行きを止めようとした。しかし、パウロはそこを出立して、旅を続けた。教会の人々は皆、家族を挙げてパウロを見送り、海岸で共に祈って、別れを告げた。

 キリスト者は皆、世界中どこにいる人でもキリストにあって一つに結ばれている。この交わりを喜びたい。

 

2.聖霊の御告げ

 

 パウロの一行は、パレスチナ地方の中心都市カイザリヤに到着して、伝道者ピリポの家に滞在した。幾日か過ぎて、エルサレムから預言者アガボがそこに来た。アガボは、パウロがエルサレムでユダヤ人に捕縛され、異邦人の手に渡される、という聖霊のみ告げを伝えた。

 キリスト者の歩みには、主のご計画とお導きがある。

 

3.死ぬことの意義

 

 パウロの従者たちも、その土地の人たちも、エルサレムに上らないように、と泣きながらパウロに懇願した。しかし、パウロは言う、

 

「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」。

 

 パウロを説得することができなかったので、彼らは「主の御心が成りますように」と言って、沈黙した。

 それからパウロはエルサレムに上り、ヤコブや長老たちに異邦人宣教の恵みを報告した。その数日後に、パウロはユダヤ人に捕縛され、暴行され、連行された。

 

 「私は、主のために、人々のために、生きて、死ぬ。ただ御心が成りますように」。これがキリスト者の死生観である。