カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

「罪人を招くために」ルカの福音書5章27~32節

【金言】医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために 来たのです。(ルカ5:31~32)

 

1.愛による交わり

 

主イエスが宣教の拠点としたカペナウムは、エジプトとダマスコを結ぶ街道沿いにあり、この地方の通商の中心地として栄えた港湾都市である。

 

この町に通関料等を取り立てる収税所があった。ここにいる取税人は相当の利幅を取って私腹を肥やしており、常に異邦人と接触していたため、ユダヤ人から蔑視されていた。


ところが主イエスは、レビという取税人に「わたしに従ってきなさい」と声をかけて、弟子になさった。この男が使徒マタイである。

 

レビは大いに喜び、自宅でイエスのために盛大な宴会を開いた。そこには彼の仲間である取税人や罪人が大勢集った。主イエスは、誰でも分け隔て無く受け入れて、付き合われた。

 

2.愛による自由

 

このイエスの行為を見て、つぶやき、苦言を呈した者たちがいる。パリサイ人や律法学者である。聖なる神に受け入れていただくためには、罪人と分離して、自分をきよく保つことが必要だ、と彼らは考えていた。


しかしイエスは、隣人愛こそ律法の核心であり(マタイ22:39)、神の御心である、と知っていた。それゆえイエスは自由に大胆に行動することができたのである。


「完全な愛は恐れを締め出す」(Ⅰヨハネ4:18)。私たちは人の目を恐れがちかもしれない。だが、神の全き愛は私たちの心を満たして、自由と勇気と力を与える。

 

3.愛による力

 

愛は大いなる動力である。イエスは、罪の縄目に縛られて、霊的に病み、苦しみ、滅びて行こうとする罪人を、友として愛された。この罪人たちはキリスト者のモデルである。

 

神の御子イエスが、天上の栄光を捨てて人間となり、十字架に死なれたのは、私たちの罪を赦し、私たちを神の国の交わりに加えるためである。

 

主の強き愛に心を燃やされて、イエスの道に従っていこう。