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神の律法と人の言い伝え

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2018年1月14日 顕現後第2主日礼拝 説教
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【聖書朗読】マタイの福音書15章1〜20節

マタイ 15.1-39

【説教題】「神の律法と人の言い伝え」金井 望 牧師

【中心聖句】

なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを犯すのですか。
こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。
「この民は、口先ではわたしを敬うが、
その心は、わたしから遠く離れている。
彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。

人間の教えを、教えとして教えるだけだから」
(マタイ15:3,6,8-9)
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【説教要旨】

 

ガリラヤ地方で大勢の人々がイエスのもとに集まり、イエスを主君として独立運動を起そうとしていた(ヨハネ6:15)。その前から律法学者やパリサイ人はイエスの暗殺を企んでいたが(12:14)、風雲急を告げるということで、エルサレムからガリラヤに偵察員を送り込んだ。

 

彼らはイエスに尋ねた。

「あなたの弟子たちは、なぜ昔の先祖たちの言い伝えを犯すのですか。パンを食べるときに手を洗っていないではありませんか」。

聖書の律法(トーラー)は――神殿で仕える祭司やレビ人が聖なるものを食べる時は、自らを聖別していなければならない――と規定していた(レビ22:4-7)。ところがユダヤ教のラビ(教師)たちは紀元1世紀にこれを拡大解釈して、一般人にも食前の清めを要求したのである。

 

パリサイ人や律法学者はイエスを訴える口実を得ようとして、<長老たちの言い伝え>を持ちだした。これは「口伝律法」(ハラカー)と言って、聖書の解釈を記したものであり、2世紀以降に「ミシュナー」となった。

主イエスは――「供え物」(コールバーン)と言えば、父母の扶養義務を免れることができる――という例をあげて、反論した。

なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを犯すのですか。……こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。……人間の教えを、教えとして教えるだけだから」。

彼らは自らが霊的な「盲人」であることを認識していない。


信条・規則・慣習は必要なものだが、それは聖書に基づいていなければならない。そして、人間の言葉に聖書と同等あるいはそれ以上の権威を認めてはならない。

 

主イエスは群衆にこう説いた。

「口にはいる物は人を汚しません」。「口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです」。


神が求めておられる清めとは、神に対する敬虔と従順であり、隣人に対する倫理的な正しさなのである。