1.5人に1人は「直葬」
超高齢社会となった今日、健康と病気が話題の中心を占めるようになり、葬式が日常的な出来事になった。「家族葬」はすでに一般化しているが、最近は、通夜も告別式も行わず、火葬だけで済ます「直葬」が増えているという。
NHKが 昨年12月に行った調査によると、関東地方では葬儀全体の22.3%、近畿地方でも9.1%が直葬だ。
(参照)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130327/k10013473001000.html
僧侶を呼ばないケースも増えている。日頃、お寺との付き合いが無いのに、突然、「戒名料は格付けによって20万円から200万円まで違いがある」だなんて聞いたら、驚いて他の手を考えるのも無理はない。
直葬が増えているのは、高額な費用負担、人間関係の希薄化、葬儀に関する意識の変化が要因と思われる。
2.なぜ葬儀をするのか
そもそも、人はなぜ葬儀をするのか? なぜ戒名や読経、墓、仏壇、法事などがあるのか? 明確に答えを持っている人は少ないだろう。僧侶を呼んで仏式で葬儀をする場合でも、「親がそうしていたから」「親戚の手前」「世間並みに」といった、主体性の無い理由が多数派ではないか。
有史以前から、葬りをすることがヒトの特徴であった。人は、人の死に際して、死体を処理するということだけでは済まされない、何かを感じているのだ。
聖書によれば、人はみな、創造主なる神に似せて造られ、神の栄光を表す尊い存在だ。土から造られた肉体は、死によって土に帰るが、霊魂は残り、人格的な同一性は保たれていく、と聖書は教えている。
それゆえ、聖書を基とするキリスト教では、死んだ人の尊厳を重んじて死体を丁重に扱い、故人に敬意を表して献花(飾花)をし、しばしの別れを告げる。その裏付けとなるのは創造主なる神の存在であり、キリスト教の葬儀は、創造主なる神への礼拝として執り行われる。
3.キリスト教式葬儀の勧め
葬儀にはもう一つ、遺族や故人と親しかった人たちに対する「グリーフケア」という意味もある。キリスト教には、永遠の命、天国、復活の信仰があるので、遺族や故人と親しい人たちのために、確かな望みをもって慰めを祈ることができる。
では、キリスト教の葬儀は、信者のためだけで、信者以外にはしないのか? いや、そんなことはない。人はみな、神に似せて造られ、神の栄光を表す尊い存在なのだから、牧師は、信者でない方々のためにも、丁寧に葬りをして差し上げるのが良いだろう。キリスト教会は公共的な役割を担ってきたし、担うべきだ。
ただし、葬儀の目的が教会への勧誘であってはならない。それは不誠実な行為であり、かえって人をつまずかせてしまう。真心を込めて葬儀をしたら、それが結果として、良い伝道になっていた、というのが望ましいあり方ではないか。どちらかと言えば、伝道というよりプレ伝道だ。
徳川幕府によって日本人はみな檀家とされ、寺院に縛り付けられた。その縛りは今ではだいぶ緩くなっているが、それでもまだ葬式という縄目から逃れるのは、容易ではない。それだけに、キリスト教式の葬儀を行うことの意義は大きい。
今や日本でも、結婚式は7割がキリスト教式(キリスト教風?)となっている。案外、葬式もキリスト教式を希望する人が、多いかもしれない。その選択肢があれば、の話だが。聴いても意味がわからないお経よりも、聖書や讃美歌の方が意味もわかるし、慰めと希望があって、断然良いはずだ。費用も、仏式よりキリスト教式の方が、はるかに安価だ。
これからは、キリスト教系の葬儀社にも尽力してもらって、「ブライダル牧師」のように「葬式牧師」も一般化したら良いだろう。 直葬をする場合でも、せめて焼く前に、牧師が祈って、お送りしたいものだ。