『ユダヤ人と彼らの嘘について』(1543年版)の表紙
1.16世紀のドイツにおけるユダヤ人差別
16世紀、宗教改革が行われた時代のドイツでは、それぞれの領主がその領邦の宗派を選択する権利を持っていました。ローマ・カトリックかルター派(プロテスタント)が領邦宗教とされたのです。
しかし、ユダヤ人=ユダヤ教徒は独自の会堂(シナゴーグ)を持ち、割礼や安息日など独自の慣習を守っていました。そのため、領邦宗教の信徒たちは、ユダヤ人に反感を抱きました。市民はユダヤ人を差別し、迫害し、他国へ追放したりしたのです。ペストが流行したり、飢饉が襲ったりすると、ユダヤ人がスケープ・ゴートにされて苦しめられました。
マルティン・ルターも一般市民と同様に、ユダヤ人に対する偏見を持っていました。しかし1520年代にルターは、ユダヤ人に対する迫害に反対しました。1523年にルターは『イエス・キリストがユダヤ人としてお生まれになったこと』という本で次のように説いています。
<我々はこの地位に甘んじている時にこそ、ユダヤ人がキリストと血縁関係にあり、一方で、我々がただの非ユダヤ人であることを忘れてはいけない。我々はあくまで部外者であって、ユダヤ人こそ主と血の繋がった親戚や従兄弟であり、兄弟なのである。(中略)もし我々が真に彼らを救いたいのであれば、カトリック教会法ではなく、クリスチャンの愛という掟によって、導かなければならない。彼らを心から受け入れ、我々と共に取引し働くことを許さなければならない。彼らは我々の仲間になる機会があり、我々クリスチャンの教えを聴いて、我々の生き様を目の当たりにするかもしれないのだから>
ルターは、旧約聖書の預言がイエスを指し示していることをユダヤ人に説いて、彼らがキリスト教に改宗することを求めました。
3.ルターのユダヤ人差別
ところが、いつまで待っても、ユダヤ人はキリスト教に改宗しようとしませんでした。
1543年にルターは『ユダヤ人と彼らのうそについて』という本を書きました。ユダヤ人の旧約聖書解釈は間違っていると主張したのです。この本でルターは、ユダヤ人を「下劣な偶像崇拝者、つまり神の子ではなく自分の家系や割礼を誇りにして、法を汚らわしい物と見なしている連中」と非難しました。
そして、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)を焼き払い、ユダヤ人の家を打ち壊し、ユダヤ教の経典を没収し、従わないラビ(ユダヤ教の教師)を処刑し、高利貸しを禁じて金銀を没収し、ユダヤ人を農奴として働かせるべきだ、と説いたのです。
当時、ユダヤ人が井戸に毒を放り込んでいる、子どもを連れ去って生贄として殺している、などといった悪いうわさが流布しており、ルターはそれを信じていたようです。
同じく1543年に著した『口にすることのできない御名について』で、ルターはさらに激しくユダヤ人を攻撃しました。
政治当局者は、こうしたルターの主張を受け入れませんでした。18世紀から19世紀まで、これらの本は見向きもされませんでした。
しかし、20世紀にヒトラーとナチスは、ユダヤ人を攻撃する時に、ルターの書いた文章を引用したのです。ユダヤ人は強制収容所で労働を強いられたり、人体実験に使われたり、銃や毒ガスなどによって虐殺されたりしました。
ナチスによるホロコースト(大虐殺)で犠牲となったユダヤ人は600万人以上、最多で1100万人を超えるとされます。「ホロコースト」とは元来、「燔祭」(焼き尽くす献げ物)を意味する旧約聖書=ユダヤ教の宗教用語です。
現代ではルター派の教会の中にも、ユダヤ人を差別するルターの書物を公式に非難するものがあります。
<参考文献>
カール・F・ヴィスロフ著『マルティン・ルターの神学』いのちのことば社、1984年
Martin Luther And The Jews by Mark Albrecht
www.wlsessays.net/files/AlbrechtMartin.pdf
Wikipedia『ユダヤ人と彼らの嘘について』