2019年3月19日の午後、筆者はJR鹿児島本線二日市駅に降り立ち、徒歩で済生会 特別養護老人ホーム むさし苑 に向かいました。ホームの駐車場の片隅にある石碑を訪ねるためです。
所在地 〒818-0058 福岡県筑紫野市湯町二丁目9番2号
この石碑は、ここにかつて二日市保養所があったことを記念するものですが、一見しただけでは、それはわかりません。表側には「仁」と刻まれているだけです。
ここに刻まれている文は次のとおりです。
建立趣旨 福岡市 児島教三
昭和二十一・二年の頃、博多港には毎日のように満州からの引揚船が入っていた。その中に不幸にしてソ連兵に犯されて妊娠している婦女子の多いことを知った旧京城帝国大学医学部関係の医師達は、これら女性を此処 -旧陸軍病院二日市保養所- に連れてきて善処した。この事実を千田夏光氏のルポ『二日市・堕胎医病院』(晩聲社刊)で知った私は、堕胎が当時法律で禁止されていることを知りつつ職を賭して行った彼等の人道行為は後世に伝えらるべきであると思いこの碑を建てた。
そして今は夫々の家郷で平穏な日々を送っておられるであろう彼女たちが三十数年を経た今日、この地を訪れて往時の先生や看護婦さんに感謝の意を伝えたい時、この碑がそのよすがとなれば、と念じている。昭和五十六年三月
福岡市博多区堅粕四丁目 平藤権 刻字
この碑文では加害者が「ソ連兵」になっていますが、実は朝鮮人と中国人も多かったのです。
終戦直後より在満・在朝日本人は塗炭の苦しみを味わうことになった。追放や財産の略奪に止まらず、強制連行や虐殺などで、祖国の地を踏むことなく無念のうちに斃れた者も少なくなかった。これに加えて女性は、朝鮮人やソ連兵、中国人等による度重なる強姦を受けた末、心ならずも妊娠したり、性病に罹ったりしたにもかかわらず、何ら医療的治療が施されずにいた。そして強姦により妊娠・性病罹患した女性の中には、これを苦にして自殺する者が出た。
(中略)
二日市保養所の医務主任だった橋爪将の報告書によると、施設の開設から2か月間で強姦被害者の加害男性の国籍内訳は、朝鮮28人、ソ連8人、支那6人、米国3人、台湾・フィリピンが各1人だった。1947年秋の施設閉鎖までに約400~500件の堕胎手術をおこなったと推計される。麻酔薬が不足していたため、麻酔無しの堕胎手術が行われ、死者も少なからず出た。
下川正晴著『忘却の引揚げ史(泉靖一と二日市保養所)』(弦書房、2017)に二日市保養所に関する詳しい情報があります。博多引揚援護局史によると、9か月間に二日市保養所に来た「不法妊娠」の患者は213人で、地区別にすると、南鮮32、北鮮60、満州91、北支15、中支4、南支1、台湾3、その他7でした。
終戦後に満州やシナ、朝鮮など「外地」にいた日本人の数は約660万人でした。そのうち1946年末までに帰国したのは約500万人です。引き揚げの途中、満州や朝鮮などで強姦被害にあった日本人女性のうち、福岡県の二日市保養所までたどり着けたのは、一部の人たちだけです。帰国の途中で自害した女性たちもいました。二日市保養所で堕胎手術を受けて、死んだ女性も少なくない。なんと悲惨な事実でしょうか!
二日市保養所跡地の石碑は老人ホームの片隅にひっそりと立っています。碑文は背面に隠されています。どこかの国の人たちがせっせと設置している偽りの少女像とは、随分違うあり方です。この石碑は観光案内には載っていません。
この二日市保養所跡地の石碑は国が買い取って、誰でも道路から入って見られるようにしたら良いと思います。これが伝えている事実は重いものですから。
大東亜戦争(アジア太平洋戦争)は我々日本人にとって、加害の歴史であると共に被害の歴史でもあることを、忘れてはいけないと思います。