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カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

現代音楽の礼拝への導入について

雑感 礼拝学 音楽 教育 神学 牧会 リバイバル 現代文化論 宗教学 キリスト教倫理 宣教 日本

 

私は、関西聖書神学校を卒業して、伝道者となってから、11年余りになります。初めに北海道岩見沢市で5年間、開拓伝道に従事。次に、鎌倉で3年間牧会。その後、神戸ルーテル神学校で2年間学びつつ巡回説教・牧会。そして現在、神戸で牧会2年目に入っています。

私は、伝道・牧会をしながら、日本に特有のある問題について、いつも考えています。それは遠藤周作が『沈黙』で提起している問題、すなわち、金井流で言い換えると、「日本はキリスト教が根づかない地だ。日本のキリスト者・教会は簡単にキリスト教系新興宗教に堕してしまう」ということです。

 

その歯止めとして、私は、礼拝の形式と内容にこだわり続けなければならない、と自戒しています。そして、自らが礼拝について歴史的に、神学的に学び、考えるとともに、同様に歴史的・神学的に礼拝について、教会について考えることができる信徒リーダーを育てなければならない、と思っています。礼拝音楽は、その具体的な課題の一つです。

 

「礼拝のプログラムの大枠を保持しつつ、音楽は現代的なものに変えたら良いだろう」と考えていた時期もありました。実際、北海道の教会では二部礼拝を実施して、片方は伝統的な讃美歌を使う礼拝、もう片方はバンド演奏を伴う現代的なワーシップソングを使う礼拝としました。しかし、最近は現代音楽について、「礼拝にふさわしい聖性を保てない歌も多いのではないか。それは礼拝とは別の場で使用すれば良いのではないか」と考えるようになりました。

 

もちろん、現代音楽にも、敬虔を感じる、すばらしい歌詞・曲調のものがたくさんありますので、全部を否定しているわけではありません。私は個人的な趣味としては、Hillsongも好きですし、U2も好きです。けれども、「今日の」「日本の」「福音派の」「教会の」「礼拝」というコンテクストにおいて適切かどうか。それは一つ一つの歌・曲について、よく考えた方がいいんじゃないかな、と思うのです。

 

若者への伝道や教会の成長は大切な課題です。けれども、今は「教会を教会として守ること」を最重視すべき時期かもしれないな、と感じます。それは、社会の雰囲気や、ノンクリの人々のキリスト教に対する見方、キリスト教界に起こっている出来事などから、判断していることです。

 

雑誌の売れ行きなどからも、最近、日本の人々のキリスト教への関心が高まっているように思われます。けれども、「どこが安心して行ける教会なのかわからない。だから、様子見をしている」という人が多いのではないでしょうか。

 

伸るか反るかの大勝負で、判断を間違えないようにしたいです。