読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

古代イスラエルと古代日本(1)

  1.日ユ同祖論

読者の皆様は、「日ユ同祖論」という「学説」をご存知でしょうか。日本人の主要なルーツの一つに、古代イスラエル民族・ユダヤ人がある、というのです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%83%A6%E5%90%8C%E7%A5%96%E8%AB%96

これは戦前、外国人、学者、宗教者が主張し、一部のキリスト教徒が盛んに宣伝して広まったものです。戦後は学術的に否定されていましたが、近年、再び盛んに宣伝されるようになりました。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/100kodai.htm

ここでは、これに関連する歴史について、ごく簡単に考察してみます。

  2.ディアスポラ(離散民)

北王国イスラエルは紀元前722年にアッシリア帝国によって滅ぼされ、イスラエル人の一部は捕囚として連行されました。その一部は、さらに中央アジアに移住しました(ラテン語エズラ記13:41-46)。メディアに移住したイスラエル人もいました(トビト記14:4)。

南王国ユダは前586年に新バビロニア帝国によって滅ぼされました。その前後に一部のユダヤ人は、バビロンに連行され、捕囚とされました。

バビロンに捕囚とされたユダヤ人の一部は、アケメネス朝=ペルシャ帝国を建てたキュロス大王の勅令(前538年)によってユダヤに帰還しました。しかし、バビロンに残ったユダヤ人の方が多数でした。

ユダヤ人は一時期、独立しましたが(ハスモン朝)、ローマ帝国に対する独立戦争で敗れて、紀元後70年に首都エルサレムと神殿が破滅、ユダヤ人は世界に離散しました。

一部のユダヤ人は、シルクロードで交易をして広がり、中央アジアや中国の各地にユダヤ人居住地ができました。中国・開封のユダヤ人コミュニティーは遅くとも宋代(960年-1279年)には成立し、19世紀末まで存続していました。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E5%B0%81%E3%81%AE%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA

  3.世界の一体化

さて、アケメネス朝は、ペルシャからリディア(小アジア西部)まで伸びる「王の道」を建設し、ギリシャと戦争を繰り返しました。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E3%81%AE%E9%81%93#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB%3AMap_of_the_Achaemenid_Empire.jpg

マケドニアの王アレクサンドロスは、ギリシャを統一した後、東征してアケメネス朝ペルシャを倒し、インダス川流域まで征服しました(前334-323年)。それ以降、中東や中央アジアではギリシャの文化的影響が支配的となり(ヘレニズム)、世界の一体化が進みました。

ギリシャの次に地中海世界を支配したローマは、「すべての道はローマに通じる」と言われるように、世界各地を結ぶ街道を建設しました。

  4.東方キリスト教の興隆

紀元後30年頃に誕生したキリスト教は、ローマ帝国が造った街道や海路を通って、世界各地に広まりました。しかし、4世紀初頭まで、ヨーロッパではキリスト教徒は少数派でした。

ただし、中東や中央アジアでは、非常に多くの信者が生まれて、東方キリスト教は盛んでした。世界で最初にキリスト教を国教にしたのは、アルメニア王国でした。301年のことです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E6%95%99%E4%BC%9A

  5.日本に来た渡来人

奈良の正倉院宝物を見れば明らかなように、ササン朝ペルシャの時代(226-651年)から古代ペルシャの文化がシルクロード、中国を経て日本に伝わっています。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%80%89%E9%99%A2

同じルートで、ペルシャ中央アジアから来た渡来人が日本に大勢流入したことが、歴史書に記録されています。

http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4047035262/

漢字が日本に入ってきたのは、紀元後2世紀から3世紀にかけて、と言われています。それはまさに、高度な文化を持った渡来人が、その時代に大勢、日本に流入したということでしょう。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog221.html

なお、3世紀前半に卑弥呼が活躍した邪馬台国が、ヤマト王権の直接的なルーツであり、纒向遺跡のある一帯がその中心地であったーーと筆者は考えています。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%BA%92%E5%90%91%E9%81%BA%E8%B7%A1

  6.秦氏ユダヤキリスト教徒?

日ユ同祖論で重視されるのは、渡来人で有力な豪族であった「秦氏」です。

===以下、Wikipediaより引用===

日本書紀』において、応神14年(283年)、天皇に仕えた弓月君を祖とし、百済より百二十県の人を率いて帰化したと記されている。(別名は融通王)を祖とする。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F

=================

秦氏景教キリスト教ネストリウス派)徒のユダヤ人だーーと佐伯好郎氏(日ユ同祖論の初期の有力な論者)は、考えたようです。

http://godpresencewithin.web.fc2.com/pages/zatsugaku/firstchristian.html

  7.海のシルクロード

その検証は別の機会にしますが、古代人の移動距離は、かつて考えられていたよりも、遙かに長いということが、近年、明らかになっています。

http://www.amazon.co.jp/dp/4309252834

特に、海のシルクロードが注目されています。船で陸に沿って移動し、海流に乗れば、バビロンやペルシャからインド、マレー半島を経て、ベトナム、フィリピン、中国、台湾、沖縄、日本列島にまで来ることが、古代人にも可能でした。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89

ザビエルの来日(1549年)以前に、古代日本にユダヤ教キリスト教が伝わっていた可能性は、あるでしょう。しかし、それは日本の多神教文化に飲み込まれてしまい、一神教としての本質は失われたのではないでしょうか。

<参考>
「日ユ同祖論というトンデモ理論について」
その1 http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=606
その2 http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=608
その3 http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=609
その4 http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=610