ふるさとにて
2017年12月31日 降誕後第1主日礼拝
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【聖書朗読】マタイの福音書13章53〜58節
【説教題】「ふるさとにて」金井 望 牧師
【中心聖句】
この人は、こんな知恵と不思議な力をどこから得たのだろう。この人は、あの大工の息子ではないか。彼の母親はマリアで、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。妹たちもみな 私たちと一緒にいるではないか。(マタイ13:54 -56)
【説教要旨】
主イエスは30歳くらいの時から公に宣教活動を開始された。主は弟子たちと共に、ガリラヤ地方を中心として、広く各地の町々を巡っておられた。
マタイの福音書13章53節以下には、主イエスが郷里のナザレに行った時の記録がある。丘陵が連なるガリラヤ地方の盆地に、ナザレはあった。人口が500人くらいの小さな町であった。
公生涯において主イエスは二度、この郷里の人々から拒絶された。主イエスが宣教活動を始めて間もない頃には、こんなことがあった。
それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
「わたしの上に主の御霊がおられる。
主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、
わたしに油を注がれたのだから。
主はわたしを遣わされた。
捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。
しいたげられている人々を自由にし、
主の恵みの年を告げ知らせるために」
イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。イエスは人々にこう言って話し始められた。
「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました」
みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか」と彼らは言った。
(中略)
これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。しかしイエスは、彼らの真中を通り抜けて、行ってしまわれた。(ルカ4:16-22,28-30)
イエスは、旧約聖書に預言されたメシア、すなわち神が任職して遣わした救い主であることを、自ら証言された。そして、神の恵みがユダヤ人ではなくて、異邦人に与えられる時代が来ていることを、お告げになった。ふるさとナザレの人々はそれを認めず、憤ってイエスを殺そうとしたのであった。
主イエスが悪霊に憑かれた人を解放していた時には、「この人は、悪霊のかしらベルゼブルの力で、悪霊を追い出している」という者がいた(マタイ12:24)。「イエスは気が狂った」という噂を聞いた身内の者たちは、イエスを連れ戻そうとした(マルコ3:21)。
主イエスが再びナザレの会堂で教えを説いた時に、町の人々は驚嘆してこう言った、
「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこから得たのだろう。この人は、あの大工の息子ではないか。彼の母親はマリアで、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。妹たちもみな 私たちと一緒にいるではないか」(マタイ13:54 -56)
イエスの父ヨセフが大工として働いていたことを、ナザレの人々はよく知っていた。ヨセフが死んだ後、長男のイエスが大工として働き、母親と6人以上の弟妹を養ったこともーー。その先入観のために、ナザレの人々はイエスにつまずいた。
イエスは真の神であり、真の人である。これを「二性一人格」というが、これは人間の知性によって説明することができない神秘である。
当時ユダヤ人の男子は、幼児期に父や祖父から文字と律法を学んだ。そして、6歳から13歳まで会堂附設の学校で学び、一日に4時間の授業を受けた。イエスはパウロのように専門教育を受けてはいないが、12歳の時にエルサレム神殿で教師たちの質問に見事に答えておられた(ルカ2:46-47)。
ある時、主イエスは次のように祈って言われた。
天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。
(マタイ11:25-27)
イエスは、天の父との交わりによって、知恵を得ておられたのである。
イエスの弟たちも、兄が神の御子キリストであることを、なかなか信じることができなかった。しかし、主イエスが死んだ後、復活されたので、彼らもイエスを神の御子キリストと信じて、イエスの弟子となった(使徒1:14)。イエスの弟であるヤコブとユダは、教会の指導者となった。彼らの手紙が新約聖書に収録されている。
私たちも、家族や親しい人たちに信仰を理解してもらえないことが、しばしばある。けれども、主に従う者は、家族にも大きな祝福が与えられる。神が万事を益としてくださることを信じて、迎える新しい年も前進しよう。
闇に輝く光
2017年12月24日 待降節第4主日 礼拝
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【聖書朗読】マタイの福音書2章13〜23節
http://www.bbbible.com/bbb/bbbmt02a.html
【説教題】「闇に輝く光」金井 望 牧師
【中心聖句】この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ1:4-5)
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【説教要旨】
1.闇が支配する世
クリスマスは、一年で最も昼が短く、夜の長い時季にある。イエス・キリストが降誕された時に起こった出来事は、まさにこの世の闇を象徴している。イドマヤ人であるヘロデ大王は、正統的な「ユダヤ人の王」を抹殺するために、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男児をすべて殺したのである。
事前に天使がヨセフに夢で警告したため、幼子イエスは両親に連れられてエジプトへ立ち去り、難を逃れた。しかし、愛する息子を失った母親の号泣と嘆きは、止めどなく響く。それは、アッシリア捕囚(前722年)やバビロン捕囚(前586年)の時の悲嘆を、想起させた。
「ラマで声がする。
泣き、そして嘆き叫ぶ声。
ラケルがその子らのために泣いている。
ラケルは慰められることを拒んだ。
子らがもういないからだ」(18節)
「ラマ」は捕囚民が集合した地であり、イスラエルの始祖ヤコブの妻「ラケル」の墓は、その近くにあった(エレミヤ31:15)。
現代でも世界の各地で、テロリズムによって罪の無い人々が殺されている。北朝鮮の支配者は家族でも忠実な部下でも、謀反の疑いをかけて、裁判も無いまま即日で殺している。日本から北朝鮮に拉致された人たちの多くが、未だ帰されずにいる。実に深い闇が、この世を支配している。
2.闇を打ち破る主
しかし、この悲惨な事件においても、神のご計画は預言されていたとおりに成就した。
これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」と言われた事が成就するためであった。(15節、ホセア11:1)
そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。(17節)
前15世紀(または前13世紀)にイスラエル民族はエジプトで奴隷とされていたが、主によってそこから救い出された(出エジプト)。その後、イスラエル民族が打ち立てた王国は滅ぼされたが、前6世紀から前5世紀にかけて、バビロンの捕囚民が解放されて、帰国し、自分たちの共同体・国家・神殿を再建した。
イスラエル民族・ユダヤ人が忘れることのできない、この特別な経験を、イエスはその幼き身をもって、リアルに知らされた。イエスこそは真のイスラエルの代表者であり、私たちキリスト者=教会は第二のイスラエルである(ガラテヤ6:16)。
現世においても、神は悪の増長を許してはおられず、正しい裁きを実行してくださる。
3.闇に輝く光
ヘロデ大王は前4年に死んだ。
「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました」(20節)
ヨセフは夢で天使からこの知らせを受けたので、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に戻った。
ヘロデ大王の領地は3人の息子たちに分割された。ユダヤをとサマリアの領主となったアケラオは、父親以上に残忍な男であった。彼は即位して間もなく、神殿の境内で3000人以上のユダヤ人を虐殺した。
ヨセフは、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。(22節)
そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる」と言われた事が成就するためであった。(23節)
イエスはガリラヤのナザレ村で育ち、大工となってそこで暮らしておられた。その後、30歳頃からイエスは宣教活動を開始されたが、ユダヤ人から「ナザレ人」と蔑まれ、ついに十字架で殺された。それは、イエスが彼らの期待した軍事的政治的な「王」ではなかったからである。
ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう」(ヨハネ1:46)
そして、ペテロが入口まで出て行くと、ほかの女中が、彼を見て、そこにいる人々に言った。「この人はナザレ人イエスといっしょでした」。(中略)しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる」と言った。(マタイ26:71,73)
この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます。(使徒24:5)
イエス・キリストは復活して、天に昇り、大祭司として今も私たちのために父なる神にとりなしてくださっている。このイエス・キリストこそ、私たちの悩み、悲しみ、苦しみを理解して、助けてくださる真の救い主である。
そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。(へブル2:17-18)
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(へブル4:15-16)
キリスト聖誕の場所と時期について
イエス・キリストがお生まれになった場所は「馬小屋」だという思い込みが、歴史的に長く、広く流布してきました。しかし、聖書に書かれているのは、赤子のイエス様が「飼い葉桶」に寝かせられたということだけです(ルカ2:7)。
「宿屋には彼らの泊まる場所が無かったから」(ルカ2:7)という話もよく知られていて、聖誕劇ではヨセフとマリアの宿泊を断る宿屋の主人が登場します。しかし、紀元前後のベツレヘムは人口数百人の寒村でしたから、専業の宿屋は無かったでしょう。あったのは、民宿か民泊です。「宿屋」と訳された語は「客間」とも訳されます。後者の方が適切な訳語でしょう。
当時のユダヤの農家では、家畜は人と同じ家屋にいて、暖房の役割を担わされていました。その「家畜部屋」は、私たちがイメージする「馬小屋」とは違うようです。
マタイによる福音書には、「飼い葉桶」(ルカ2:7)のように家畜部屋(小屋)を思わせる語句はありません。「博士たち」(マゴス:占星術の学者たち)はベツレヘムのどこかの家に、キリストを訪ねていったものと思われます。その時期については、ご誕生の数日後から2年後までの幅が有り得ます。
博士たちが「東方でその方の星を観た」(マタイ2:2)のは、ご生誕の数年前あるいは数か月前だったのか。それとも、ご生誕の当日あるいはその前後か。
これは該当するかわかりませんが、ヨハネス・ケプラーによると、前7年の5月29日と 10月3日と12月4日に、魚座の中で木星と土星が3回大接近しており、これは非常に珍しい現象だそうです。
博士たちはキリストの星を観た後、贈り物を用意し、旅支度を整えた上で「東方」から1000キロ以上、砂漠・荒野を越えてユダヤまで旅をしました。それにかかった日数を計算に入れる必要があります。それは数か月間ではないでしょうか。
ヘロデ王は、博士たちが期待を裏切り、自分にキリストの情報を知らせないまま帰国したことに、気づきました。
「ヘロデは、博士たちに確かめておいた時期に基いて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」(2:17)
とマタイは記します。ヘロデが念を入れて長めに「2歳」とした可能性はあります。これに該当する男児を特定するには、少なくとも数週間を要したでしょう。
ヨセフスによれば、ヘロデ王が死んだのは紀元前4年の3月12日(日食)から4月11日(過ぎ越し祭)までの間でした。天使からヘロデ王の死を知らされたので、ヨセフとマリアはイエス様を連れてエジプトからユダヤに戻りました(2:19-21)。
【参照】ヨセフス『ユダヤ古代誌』17:6:4, 17:8:1, 17:9:3, 『ユダヤ戦記』1:33:8, 2:1:3
《時系列》
東方で博士たちがキリストの星を観測した。
イエス・キリストがお生まれになった。
博士たちはキリストへの献げ物を集め、旅支度をした。
博士たちは、バビロニアあるいはペルシアからユダヤまで、1000キロ以上の旅をした。
博士たちはベツレヘムに行き、キリストを礼拝した。
博士たちは、エルサレムに寄らずに、帰国した。
ヨセフとマリアは天使の警告に従い、イエスを連れてエジプトへ避難した。
博士たちがエルサレムの王宮に寄らずに帰国したことを、ヘロデ王が悟った。
ヘロデは、博士たちに確かめておいた時期に基いて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子について、家来たちに調査をさせた。
その調査に基いてリストアップされた男児が殺された。
ヘロデ王が死んだ(紀元前4年の3月12日から4月11日までの間)。
ヘロデ王の死を天使が知らせてくれたので、ヨセフとマリアはイエスを連れてイスラエルの地に戻った。
ヘロデ王の息子アケラオがユダヤを治めていると聞いたため、ヨセフとマリアはイエスを連れてガリラヤ地方のナザレに行き、そこで暮らした。
以上の情報を総合すると、イエス様のご生誕は紀元前6年頃だと思います。それがどの季節でどの月であったか、は不明です。
なお、ルカによる福音書は、イエス・キリストがお生まれになった時の状況について、次のように伝えています。
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(新共同聖書 ルカによる福音書2:1-7)
「アウグストゥス」(Augustus)は、前27年に共和制ローマの元老院がカエサルの養子オクタウィアヌス(Octavianus 紀元前63年9月23日〜紀元後14年8月19日)に与えた称号であり、ラテン語で「尊厳者」を意味します。初代皇帝アウグストゥスの在位は紀元前27年から紀元14年まででした。オクタウィアヌスは亡父カエサルの遺志を継いで、地中海世界を統一し、帝政を確立して、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現しました。
「キリニウス」(Kurenios)は前12年にローマでコンスル(執政官)に選ばれ、それから後2年まで、キリキアの山岳民族ホモナンデスと戦い、これを征服しました。キリニウスは小アジアとシリアの軍事的な指導者であり、前3年から前2年までと後6年から9年までの2回シリア総督を務め、その後、公職を退いてローマに戻り、21年に死去しています。主イエスが降誕された前7年〜前5年頃のシリア総督はサツルニウス(前9/8〜前6年)とヴァルス(前6〜前4年在位)でした。ルカが福音書で述べているのは、東方に広く影響力を持っていたキリニウスが、シリア州の最初の住民登録に関与しており、それを完成させたことを示すのでしょう。
12月25日の生誕祭は、遅くとも345年には西方教会で始まった。ミトラ教の冬至の祭を転用したものではないかと言われている。
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クリスマス・ブック―改革者の言葉と木版画で読むキリストの降誕
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