「神の国に入るのは誰か」ルカの福音書14章7~24節
【金言】急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい者や、からだの不自由な者や、盲人や、足のなえた者たちをここに連れて来なさい。(ルカ14:21)
天国の門は狭いものである(13:24)。どのような人が御国に入ることができるのか、神の御心を知りたい。
1.へりくだる者は高められる
1世紀のユダヤ社会では、宗教的社会的な指導者である律法学者やパリサイ人が、貧者や病者、障がい者を、律法を守らぬ穢れた人々として差別し、排除していた。ところが、イエスはユダヤ教の教師(ラビ)と呼ばれながら、被差別民と親しく交わりを持っておられた。
パリサイ派のある指導者の家に客となった時も、イエスは安息日にも関わらず、水腫を患う人を癒された(1-4)。
そのとき食事の交わりに招待された人々は、上座を選んで席に着いた。イエスはその様子に気づいて、こう言われた。
「上座に座ってはいけません。末席に着きなさい。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです」
そしてイエスは、ユダヤ教の会堂から排除されてきた<貧しい者、体の不自由な者、足のなえた者、盲人たち>こそ神の国に入れられるのだ、とお教えになった(13、21)。
これは驚くべき価値観の逆転である。神の御思いは人とは異なっている。
2.高ぶる者は退けられる
神の招きを受けていながら、「畑を買ったので」「牛を買ったので」「結婚したので」と言って、仕事や家庭を理由に招きを断る人もいる(16-20)。これは招待者を侮辱する行為である。
世俗のものに心を奪われて、神の国を考えない人は、救われることがない。
3.急いで、無理にでも、人々を救いに導こう
今や御子イエスの贖いの死と復活によって、すべての人に救いの門が開かれている。神の前にへりくだって、自分の罪を認め、主キリストの恵みを求めるなら、神はどんな人でも、罪を赦し、受け入れてくださる。
<急いで>(21)、多少<無理にでも>(23)、人々を神の家に連れて来よう。キリストが再臨し、最後の審判が行われ、神の国の門が閉ざされる時が近づいているからである。
神の国の祝宴を共に喜ぶ者でありたい!