KANAISM BLOG ー真っ直ぐに行こうー

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一粒の麦が地に落ちて

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2016年4月3日 復活後第1主日

聖書朗読 使徒の働き7章54節〜8章3節

説   教「一粒の麦が地に落ちて」 金井望牧師

 

 今年度は主日礼拝で「ローマ人への手紙」を連続して学ぶ予定である。今回と次回はその導入として、著者パウロ(サウロ)の回心について学びたい。

  

  1.新しいぶどう酒は古い皮袋を破る

 

 紀元30年頃にエルサレムに誕生した教会には、ヘブライスト(ガリラヤまたはユダヤで生まれ育ち、ヘブル語の聖書を使うユダヤ人)とヘレニスト(外国で生まれ育ち、ギリシア語の聖書を使うユダヤ人)がいた(6:1)。

 ヘレニストのリーダーであったステパノは、神殿と律法について新しい解釈を述べた(6:13-14)。すなわち、――イエスは律法の要求を全うし、十字架の死によって我々の罪を贖った。イエスは復活して、神の右に上げられ、天にある聖所で大祭司として我々のためにとりなしておられる。だから、もはや神殿で行う動物犠牲は不要であり、祭儀律法は廃棄された――というのである。

 

  2.大祭司キリストが立ち上がって

 

 ステパノはユダヤ人の誤りを断罪した。

――イスラエルの父祖アブラハムに与えられた神の契約と、モーセに与えられた神の律法は、イエス・キリストによって完結した。このイエスを殺したユダヤの人々は、旧約の預言者たちを殺した先祖たちの系譜に連なるものである――。

 これを聞いたユダヤの人々は、怒り狂って大声で叫びながら、彼を城外に引きずり出し、石打ちの刑に処した。

 この時ステパノは天上の栄光を見た。神の右にイエスが立って、彼のためにとりなしておられるのだ。

 ステパノは「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」、「主よ。この罪を彼らに負わせないでください」と叫んで息絶えた。それは主イエスと同様の祈りである。  

 

  3.一粒の麦が地に落ちて

 

 パリサイ派の伝道者であった青年サウロ(ラテン名:パウロ)は、ステパノの処刑に立ち会った。その死に様を、彼は終生忘れなかった(22:20)。

 イエスの弟子たちを激しく迫害したサウロが、ステパノの信仰と神学と情熱を受け継いで、偉大な宣教を成し遂げる。

 一粒の麦が死んだなら、豊かな実が結ばれる。