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イエスは馬小屋で生まれたのか?

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■ステーン 「 羊飼いの礼拝 」 1660年頃

  イエスは馬小屋で生まれたのか?

そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。

ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。

ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

新改訳聖書 ルカの福音書2:1-7)

およそ2000年前に、イエス・キリストが生まれたのは、どのような場所だったのでしょうか? ヨセフとマリアは、彼らが暮らしていたナザレからヨセフの本籍地であるベツレヘムに帰郷し、マリアはそこでイエスを出産した、と聖書に書かれています。

クリスマス物語ではよく、彼らが「宿屋」をめぐったけれども、どこもいっぱいで、「馬小屋」に泊まるしかなくて、そこでイエスを出産した、という話になっています。

しかし、ブルース・マリーナ、リチャード・ロアボー著『共観福音書の社会科学的注解』(新教出版社)によると、どうも様子が違うようです(pp.340-341から抜粋して引用します)。

ヨセフがベツレヘムに登録のために来たということは、彼にはベツレヘムに土地が(したがって同族の者も)あることを意味する。なぜなら、調査または登録が行われたのは、土地への課税のためだからである。

彼は商業的な宿屋ではなく、同族の者のところに滞在せざるを得ない筈である。またベツレヘムは…小さな村であったから、商業的な宿屋など存在しなかったことはほとんど確かである。

2:7で用いられているギリシア語は「宿屋」を意味することもあるが、通常は、農家に付属した広い家具付きの部屋のことで、「客間」と訳すのがもっとも適切である。

家の客間にはヨセフとマリアのための「場所」がなかったということは、彼らよりも身分が上の者が既に滞在していたことを意味する。

農民の家は一つの部屋しかないのが普通だった。…ただし客間が付属していることもあった。家族の者は部屋の一端を占め(この部分は床が高くされていることが多かった)、別の一端には家畜がいた。飼い葉桶は両者の間に据えられており、農民の出産のための場所としてよく使われていた。

共観福音書の社会科学的注解

共観福音書の社会科学的注解

 

 新改訳聖書は「宿屋」と訳していますが(2:7)、小さなベツレヘムの町ですから、これは「客間」と訳すのが適切だと思います。また、ルカの福音書には「飼い葉おけ」と書かれているだけで、「馬小屋」とは書かれていません。家畜も家屋の中にいて、家畜の熱で人の居住空間を温めるのが、当時、一般的だったようです。

 ユダヤは火山帯が通っていて、石灰岩が多い地方です。ベツレヘムの辺りは、石灰岩の小高い山や丘が連なっています。石灰岩の山や丘には、水で溶けてできた洞窟がたくさんあります。洞窟を住居や家畜小屋に利用していたということは、あり得ます。この地方は寒暖の差が大きいので、気温が安定している洞窟は快適でしょう。飼い葉桶は、石灰岩で作られたものが多かったようです。  

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