KANAISM BLOG ー真っ直ぐに行こうー

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「約束による相続人」ガラテヤ人への手紙3章15~29節

 【金言】もしあなたがたがキリストのものであれば、それによって アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。(ガラテヤ3:29)

 

1.約束の有効性

 

 パウロはこれまで、律法の行いではなく、キリストに対する信仰によって人は義と認められる、と説いてきた。彼は、その根拠として、信仰の父アブラハムを持ち出した。そして、神がアブラハムと結んだ契約は異邦人まで含むものだ、と言うのである。

 <契約>は「遺言」とも訳せる語であるが、これはいったん成立したら、勝手に無効にできるものではない。

 

<ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです>

 

 神がアブラハムにお与えになった<契約>に記されている<子孫>とは、イエス・キリストのことである、とパウロは主張する。これは、創世記のアブラハムの記事で「子孫」(希:スペルマ)が単数形(集合名詞)になっていることを使った論証である。

 

<先に神によって結ばれた契約は、その後四百三十年たってできた律法によって取り消されたり、その約束が無効とされたりすることがないということです>

 

 まさにキリストによって救いが全世界の民に拡大したのであるが、その計画はモーセが律法を受け取った時よりもはるか前にすでに告げられており、始まっていたのである。神がアブラハムと結ばれた<契約>は、<律法>に優先するものであり、取り消されることはない。

 

2.律法=キリストへ導く養育係

 

 では、律法の役割は何か。

 

 律法は、<この子孫が来られるときまで>、神の義の基準を示し、人々がこれに<違反>していることを示すために存在した。

 

 そうして聖書は<すべての人を罪の下に閉じ込め>た。それは人々が、律法の行いによる義認の道に絶望して、<イエス・キリストに対する信仰>に進み、救いを得るためであった。<律法は私たちをキリストへ導くための養育係>となったのである。

 

 今や約束された<子孫>であるキリストが来られ、真の<信仰>が明らかにされたのであるから、私たちはもはや<養育係>である律法の下にはいない。世界は古い契約(OLD TESTAMENT)の時代から新しい契約(NEW TESTAMENT)の時代へと移行し、システムが大きく変わったのである。

 

3.約束による相続人


 ここでパウロは驚くべきことを宣言している。

<あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです> 
 

 古代ユダヤ教では多くの差別があり、異邦人や奴隷、女性、子どもは、神殿の祭儀の場に入ることができなかった。しかし、イエスは、ユダヤ教会から遠ざけれていた人々に近づき、彼らと交わりを持ち、「このような人々こそ神の国に入るのだ」と言われた。パウロは、異邦人に与えられたこの自由を守るために、神学的な戦いを続け、この手紙を書いたのである。


 初代教会では、洗礼を受ける人は、白い洗礼着をまとって、水に入った。その浸しは古き己の死を意味する。そして、水から上がるときに、その人は神の御霊を受けて新しい命に生かされる。

 

 その洗礼着のごとく、キリスト者はみなキリストを着ている。キリストの義が私たちを覆っているので、私たちは完全に赦され、完全に清められて、罪無き者として、何ら恥じるところなく神のみもとに近づくことができるのである。


 今や、日本人である私たちも、キリストにあって神の子どもとされ、神の民とされている。<アブラハムの子孫であり、約束による相続人>である。この大いなる特権を覚えて、これを生かしたい。ハレルヤ!