カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

「キリストの律法」ガラテヤ人への手紙6章1~18節

【金言】互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。(ガラテヤ6:2)

 

ガラテヤ書の講解説教を続けてきたが、今回が最終回である。まず、これまでの話を簡単に振り返ってから、今日のテキスト、第6章を見たい。

 

  1.律法への隷属から御霊による自由へ

 

パウロが伝道して生み出したガラテヤの諸教会に、ユダヤから来た信徒たちが<異なる福音>を持ち込んで、律法主義を蔓延させた。「割礼を受けて、律法を遵守し、ユダヤ人のようにならなければ、異邦人は神の民として不適格だ」と言うのである。これに反論して、ガラテヤの信徒たちにキリストの福音をしっかりと理解させるために、パウロはこの手紙を書き送った。

 

  (1) もはや割礼や律法の遵守は必要ではない

 

「キリストは私たちの罪を贖うために死なれたのだ。それゆえ今や、私たちはキリストを信じるだけで、神に義と認められ、神の祝福を受けることができる。もはや割礼や律法の遵守が神の民の条件とはならない。もし義が律法の行いによって得られるのなら、キリストの死は無意味になるではないか。異邦人キリスト者に割礼や律法の遵守を強制して、彼らから自由を奪ってはならない」

 

  (2) 御霊の導きに従って進もう

 

このようなパウロの教えに対して、「それは無律法主義だ。それでは、信徒は平気で罪を犯すようになる。結果として、キリストは罪の助成者になってしまう」という批判があった。そこで、パウロは反論した。

 

「ガラテヤの人々よ、あなたがたは、十字架につけられたイエス・キリストをはっきりと示されて、彼を信じ、バプテスマを受けたではないか。あなたがたの古き自我は、キリストと一つにされて十字架につけられ、死んだのだ。そして、あなたがたは御子の御霊を受けて新しく生まれ、神の子どもとされた。だから、あなたがたが御霊の導きに従って歩むなら、御霊の力によって悪しき肉の欲望を克服し、良き実を結ぶことができる」

 

  2.愛によって律法は全うされる

 

<御霊の実>は何よりもまず<愛>である(5:22)。律法の全体は、<あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ>という一文で全うされる(5:14)。パウロは、この手紙の最後に、その具体的な内容を教えている。

 

  (1) 隣人のあやまちを正す

 

もし誰かが誘惑に負けて、<あやまち>に陥ったなら、<柔和な心で>その人を正してあげるべきである。自分も同じ弱さを持っているのだから、高所に立って裁いてはいけない。その人を理解することに努めて、解決の道を探りたい。ただし、その人と同じ誘惑に引き込まれて、自分もあやまちを犯す危険性もあるので、注意が必要である。

 

この世に完全な人はいない。人はみな、弱さ・愚かさ・罪深さがあり、誤りやすく、つまずきやすい。誰でも助けを必要としている。「自分は立派な人間だ」と誇る人は、自分の行いをよく反省すべきである。

 

  (2) 互いの重荷を負い合う

 

人にはそれぞれ、負うべき自分の<重荷>がある。キリストが共にくびきを負ってくださるので、荷は軽くなるが、無くなるわけではない(マタイ11:28〜30)。

 

<互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい>。

 

実に、キリストは神であられるのに、へりくだって人となり、人々の重荷を負って共に歩まれた。キリストの生涯は、そのすべてが<十字架>の道であった。私たちがキリストの弟子として召されたのは、キリストのごとく己を捨てて神と人に仕えるためである。

 

  (3) 善行を続ける

 

人はみな自分の蒔いた種を、やがて刈り取ることになる。<肉>に蒔くならば<滅び>を刈り取り、<霊>に蒔くならば<永遠の命>を刈り取る。御霊の助けにより、忍耐をもって善行を続けるならば、やがて豊かな収穫が得られる。

 

  3.信仰の家族=新しいイスラエル

 

  (1) 信仰の家族

 

私たちはすべての人に対して善を行うべきであるが、とりわけ<信仰の家族>を大切にするように、とパウロは勧める。パウロはガラテヤの信徒たちに、<兄弟たちよ>と繰り返し呼びかけている。

 

  (2) 新しいイスラエル


私たちキリスト者=教会は、新しい<イスラエル>として選ばれた者たちである。キリスト者=教会は、民族、人種、国籍、身分、貧富、職業、学歴、性別、年齢、その他あらゆる違いを超えて、一つとされている。

 

<ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです>(3:28)

 

  (3) 十字架の福音

 

ユダヤ人は<割礼>や<律法>のごとき<肉>のしるしによって自分たちのアイデンティティーを確保し、これを持たない人たちを排除した。現代のキリスト者=教会はどうか? 余計なものをしるしとして、人々を遠ざけてはいないか?

 

私たちはみな、キリストの<十字架>の死ゆえに、罪を赦され、神に義と認められ、新しく生まれて神の子とされた。<新しい創造>が成されたのである。これは私たち自身から出たものではなく、すべて神の恵みである。それゆえ、私たちもパウロと共に宣言したい。


<私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません>

 

<十字架>の福音を持たない人は「兄弟姉妹」ではない。<十字架>の福音を持つ人は皆「兄弟姉妹」である。

 

神が選ばれた、新しいイスラエル=教会に属するすべての人々に、主の恵みと平安があるように!