「御霊による歩み」ガラテヤ人への手紙5章16~26節
【金言】御霊によって 歩みなさい。 そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。(ガラテヤ5:16)
1.肉と御霊
ユダヤから来た<割礼派>の律法主義が、ガラテヤの教会の信仰を蝕んでいた。そこでパウロは、この手紙によって「信仰義認」と「キリスト者の自由」を説いた。パウロを無律法主義者として攻撃する人たちもあったが、パウロは、自由とされたキリスト者においてこそ律法は成就する、と教えた。
パウロは人間の生来の性質を<肉>と呼び、キリスト者が神から賜る御臨在を<御霊>と呼ぶ。<肉>と<御霊>の性質は逆であり、私たちの内面において対立する。ガラテヤの信徒たちは、キリストを信じた時に御霊を受けていたが、なお、多くの迷いと悩みと闘いがあった。
2.肉の行ない
<肉の行ない>は<不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のもの>である。この<肉>は、どうしたら処理できるか。答はキリストの十字架にある。
<キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです>。
これを認めよ! そうすれば肉の働きは死滅する。キリストが十字架において罪の力を打ち破られたからである。私たちは洗礼において、古き己を捨てて、キリストと一体化されているのである。
ただキリストの恵みによって救われたのに、なぜ今さら律法主義に戻るのか。自分に義を行う力があると過信しているからではないか。自らの無力さ罪深さを徹底的に思い知り、己に死ぬがよい。
3.御霊の実
律法は道を示すだけで、それを進み行く力は与えない。けれど、御霊はその力を与える。私たちが己に絶望して、主に依り頼むならば、キリストの御霊は鮮やかに現れて、豊かな聖化の実を結ばせる。
<御霊の実>は<愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制>である(5:22~23)。今や御霊の自由を生きるキリスト者によって、律法は全うされるのである。
私たちはどうか。御霊が私たちの心を満たし、キリストの愛と平和が支配しているだろうか。それとも、肉と御霊が闘って、苦しい思いをしているだろうか。
自分の罪と弱さをありのままに認めて、主に助けを求めよう。御霊が私たちを満たし、実を結んでくださる。