「信仰による祝福」ガラテヤ人への手紙3章1~14節
【金言】このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって 異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。(ガラテヤ3:14)
1.律法か信仰か、肉か御霊か
3章からいよいよ本論に入る。
パウロはまずガラテヤの信徒たちを厳しく叱責する。十字架につけられたキリストがはっきりと示されて、あなたがたは信じ、明確な救いを経験した。そこに奇跡が起こり、御霊が注がれた。
あなたがたが救われたのは律法を行ったからか? それとも信仰をもって聴いたからか? あなたがたの信仰の歩みは御霊によって始められたのに、「肉」(人間性)によって完成させようというのか!
パウロは、彼らの頑迷な魂を覚醒させようとしたのである。
2.律法によるのろい、信仰による祝福
ここでパウロはアブラハムを話題に持ち出す。紀元前2000年頃に生きたイスラエルの先祖である。アブラハムが神に義と認められたのは、信仰のゆえであった(創世記15:6)。神はアブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げておられた(創世記12:3参考)。それは信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるからである。
律法は、アブラハムから500年以上後に、モーセに与えられた。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる」(申命記27:26参考)。ところが、律法によって神の前に義と認められる者は、誰もいない。人はみな罪人であり、律法ののろいのもとにある。
3.キリストによる贖い、異邦人の救い
そこで、神の御子キリストが、人となってこの世に降り、ご自分には罪が無いにもかかわらず、私たちの罪を代わりに背負って、十字架にかかり、のろわれたものとなってくださった(申命記21:23参考)。その死によって私たちの債務証書は無効となり、私たちは律法ののろいから贖い出されたのである。
こうして、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶこととなった。私たちはただキリストに対する信仰によって神に義と認められ、約束の御霊を受けたのである。
この偉大な神の真理を悟り、祝福を継承していこう!