カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

結婚式 式次第・式文(記録)

結 婚 式 次 第

 

前  奏  黙  祷               奏 楽 者

新婦入場                     一同起立

讃  美  新聖歌233番「驚くばかりの」    一同起立

式  辞                     司 式 者

祈  祷                     司 式 者

聖書朗読  エペソ人への手紙5章22~33節   司 式 者

誓  約                     新郎新婦

指輪交換                     新郎新婦

宣  言                     司 式 者

祈  祷                     司 式 者

説  教  「結婚の奥義」            司 式 者

祈  祷                     司 式 者

讃  美  新聖歌503番「愛の御神よ」     一同起立

頌  栄  新聖歌 63番「父 御子 御霊の」    一同起立

祝  祷                     司 式 者

後  奏  黙  祷               奏 楽 者

新郎新婦退場                   一同起立

 

 

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結婚式 式文 

原著 『式文』(3版)日本イエス・キリスト教団(2004年)

編著 金井 望(2017年)

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開式の辞 ただいまから○○○○兄弟と□□□□姉妹の結婚式を執り行います。前奏のうちに黙祷をして、主のご臨在を待ち望みましょう。

前奏 新婦入場 一同ご起立いただきまして、花嫁をお迎えください。

 (花嫁と父親が入場する。花婿が花嫁を迎え、二人が並んで立つ)

讃美 ご起立のまま、新聖歌二三三番「驚くばかりの」を歌って、神を讃美しましょう。

(会衆讃美)

会衆の皆様はご着席ください。

式辞 式辞を述べます。

 私たちは神と会衆の前で、この兄弟と姉妹に夫婦の神聖なちぎりを結ばせるためにこの所に集まっております。結婚は、人類創造の初めから神が定められたことであり、キリストとその体である教会との間に存在する奥義を示すものであります。キリストはガリラヤのカナにおいて結婚式にのぞまれ、最初の奇跡を行って、これを祝福されました。使徒たちもまた、すべての人が結婚を尊ぶように、と教えています。ですから、結婚は、みだりに軽々しくなすべきではなく、神をおそれ、慎みとへりくだりをもって行うべきであります。 

祈祷 祈祷をささげます。会衆の皆様は黙祷の姿勢をおとりください。

 いつくしみ深き父なる御神。今この兄弟と姉妹とは、御心にしたがって結婚しようとしています。私たちはこのことがあなたの深い御旨から出ていることを信じ、ふたりのために豊かな祝福を切にお祈りいたします。今日までふたりを導かれた主が、この式を御心にかなうものとしてきよめ、ここにあなたの栄光をあらわしてください。また、ここに集うすべての方々を、天からの恵みと喜びにあずからせてください。主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。アーメン。 

聖書朗読 夫婦に関する聖書の教えを読みます。新約聖書エペソ人への手紙五章二二節から三三節までです。

 

 22妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。23なぜなら、キリストは 教会のかしらであって、ご自身が そのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。24教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。

 25夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。26キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、27ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。28そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。 自分の妻を愛する者は 自分を愛しているのです。29だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。30私たちはキリストのからだの部分だからです。

  31「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、

  ふたりは一心同体となる。」

32この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして 言っているのです。 33それは そうとして、あなたがたも、おのおの 自分の妻を 自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。

 

誓約 では、おふたりに誓約をしていただきます。

 (新郎新婦は係の人にグローブとブーケを預ける。新郎は新婦のベールをあげる)。

司式者 ○○○○兄弟。あなたは□□□□姉妹を妻とし、神の定めに従って夫婦の神聖なちぎりを結ぼうとしています。あなたはこの人を愛し、この人を慰め、この人を敬い、健やかな時も病める時もこの人を守り、その命の限り他のものによらないで、この人に添うことを願いますか。

新郎 願います。

司式者 □□□□姉妹。あなたは○○○○兄弟を夫とし、神の定めに従って夫婦の神聖なちぎりを結ぼうとしています。あなたはこの人を愛し、この人に従い、この人に仕え、この人を敬い、健やかな時も病める時もこの人を守り、その命の限り、他のものによらないで、この人に添うことを願いますか。

新婦 願います。 (新郎の右手を上にして、ふたりの手を合わせる)

新郎 私は神の御心に従って、あなたを妻とします。今からのち、幸いな時も悩みの時も、富める時も貧しい時も、健やかな時も病める時も、あなたを愛し、あなたを守り、命の限りあなたを保ちます。今これを誓約します。

新婦 私は神の御心に従って、あなたを夫とします。今からのち、幸いな時も悩みの時も、富める時も貧しい時も、健やかな時も病める時も、あなたを愛し、あなたに従い、命の限りあなたを保ちます。今これを誓約します。

指輪交換 誓約のしるしとして指輪の交換をします。

新郎 (新郎は司式者から指輪を受けて、新婦の左手のくすり指にはめる)。父と子と聖霊のみ名により、私はこの指輪をもって、あなたを妻とし、あなたへの愛を誓うしるしとします。アーメン。

新婦 (新婦は司式者から指輪を受けて、新郎の左手のくすり指にはめる)。父と子と聖霊のみ名により、私はこの指輪をもって、あなたを夫とし、あなたへの愛を誓うしるしとします。アーメン。

宣言 ○○○○兄弟と□□□□姉妹は今、神と会衆の前で夫婦の誓約をしました。ですから、私は、父と子と聖霊の御名によって、この兄弟と姉妹が夫婦であることを宣言します。

(ふたりの手を合わせ、その上に司式者の手をおく)

「神が合わせられたものを、人は離してはなりません」。アーメン。

祈祷 永遠にして命の源である御神。今この兄弟と姉妹が神と会衆の前で夫婦の誓約をしたことを、感謝いたします。どうかこの誓約を常に誠実に守らせ、御言葉に従って神の恵みに応える者としてください。ふたりの者が一つとなって今から築いていく新しい家庭を祝福してください。すべての霊の祝福をもってこの新しい家庭を満たし、この世においてはむつまじく共に住み、来たる世においては永遠の命に共にあずかる者としてくださいますように。アーメン。

(新郎新婦は着席する)

説教 ○○さん□□さん、ご結婚おめでとうございます。○○家の皆様、□□家の皆様、おめでとうございます。  この結婚式に向けて、○○さんと□□さんと私はご一緒に、結婚について学ぶ時を三回ほど持ちました。おふたりですでに『結婚を考えている二人のために』というテキストブックを読んでおられましたので、学びは大変スムーズに進みました。今日はそのまとめとして、「結婚の奥義」についてお話をさせていただきます。

 

祈祷 お祈りをします。黙祷の姿勢をおとりください。

讃美 ご起立いただきまして、新聖歌五〇三番「愛の御神よ」を歌い、主を讃美しましょう。

頌栄 ご起立のままで新聖歌六三番「父・御子・御霊の」を歌い、神に栄光を帰しましょう。

祝祷 祝福の祈りをします。黙祷の姿勢をおとりください。

 主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の親しき交わりが、夫婦となったふたりの上に、また、会衆一同の上に、今も後もとこしえまで豊かにありますように。アーメン。

後奏・新郎新婦退場 新郎新婦が退場します。ご起立いただき、祝福の拍手をお願いいたします。

閉式の辞 これにて、○○○○兄弟と□□□□姉妹の結婚式を閉じさせていただきます。続いて写真撮影を行います。係からアナウンスがありますので、ご協力ください。

(終)

ルターと神の母マリア

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11月6日(月)から8日(水)までお茶の水クリスチャンセンターで日本福音主義神学会 第15回全国研究会議が開催されました。今回のテーマは『3つの「のみ」の再発見 ~宗教改革500年によせて~』というものでした。

www.facebook.com

日本福音主義神学会部会研究資料


マルティン・ルターがヴィッテンベルク城教会の扉に「贖宥の効力を明らかにするための討論」、いわゆる「95か条の提題」を貼り付けたのは、1517年10月31日であったと言われます。今年は、それからちょうど500年になります。

我々が持っている信仰は、誰かがこの極東の地まで伝えてくれたものですから、歴史的な信仰の流れを確認することも大切でしょう。そういった意味において、今回の全国研究会議は意義深いものだったと思います。最初の内田和彦先生のご発表は、500年に及ぶプロテスタントの歴史的信仰について、実に見事にまとめておられました。

 

示唆に富んだ興味深い講演や研究発表などが続きました。しかし、一つ、そのまま学会誌に掲載したらヤバイのではないか、と思うものがありました。それは、ルターの「神の母」理解に関する問題提起でした。

 

◆出典: 神の母 - Wikipedia

神の母(かみのはは:ギリシア語 Θεοτόκος  英語Theotokos テオトコスもしくはセオトコスと転写)とは、キリスト教の用語でイエス・キリストの母マリア(聖母マリア)に対する称号。 マリアが神の母であるとは、キリストの神的位格(υπόστασις)を生む母であることを意味し、キリストを神の本性(φύσις)において生んだ母という意味ではないとしている。ここでいう位格(自立存在ともいわれる)とは、他の存在に依存することなく存在するものをいう。

アレクサンドリアアタナシオスはマリアをロゴス(λόγος:神の御言葉)の母と称していた。つまり、マリアは神の位格のひとつロゴス(子なる神、神子:かみこ)の母であるとの意味である。
これに対して、コンスタンディヌーポリ総主教ネストリオスは、この称号を否定して人的位格を生んだクリストトコス(Χριστοτόκος:救世主(Χριστός)を産む者(τόκος))という新たな称号を提唱し、聖人ではあるが神の母ではないと主張した。この争いを調停するため、エフェソス公会議が召集され、ネストリオスの教義は異端と宣告され、マリアが神の母であることが宣言された。
正教会の一員たる日本ハリストス正教会日本正教会)では生神女(しょうしんじょ)と呼ばれる頻度が多い。ギリシャ語のテオトコス(Θεοτόκος)は神(Θεός)を産む者(τόκος)の意味であり、直訳すれば「神産み」という称号であるがゆえに男性形語尾を保つ女性名詞であるが、スラヴ語に訳されたときに「神を産む女」(教会スラブ語:Богородица)という言葉になった。「生神女」という訳語はスラヴ語の流れを汲むものである。
日本正教会の祈祷文においても「神の母」の語は用いられ、イエスの母マリアを指す正式な訳語のひとつであるが、"The Mother of God"には「神の母」の訳語を当て、"Theotokos"には「生神女」の訳語をそれぞれ当てる定訳として基本的に使い分けられている。
ローマ・カトリック教会は、1931年エフェソス公会議1500周年に際し、教皇ピウス11世により1月1日「神の母」の祝日と制定した。尚、1月1日は降誕祭の8日目にあたり(ユダヤ教の律法は、生後8日目に男子に割礼を施し命名することを規定している)、キリストの割礼日を祝する日(主の割礼祭)でもある。

 

ギリシア語新約聖書ルカによる福音書1:43に次の表現が見られます。

ἡ μήτηρ τοῦ κυρίου μου
the mother of my Lord
わが主のお母様が

http://biblehub.com/interlinear/luke/1-43.htm

ルカ1:43の「キュリオス」(主)が、へブル語の「アドナーイ」(主)=「ヤハウェ」(YHWH)を意味するものかどうか。そうだとすれば、「神の母」(Θεοτόκος)という表現も認められるかと思います。
ただし、マリアの「無原罪」「永遠の処女」「被昇天」といった教説は、聖書に根拠を求められるものではない、と思います。

カトリック教徒は、「神の母」マリアに恵みを求めて祈るのか、あるいは、マリアに主へのとりなしをお願いするのか。これが一つの問題でしょう。

 

ルターは「マグニフィカート(マリアの讃歌)訳と講解」(1521年)で次のように述べています。

彼女を賜物や助けを与えることのできる偶像としてはならない。彼女は何も与えない。与えてくださるのは神のみである。(『ルター著作選集』p.339)

 

ルターは「神の母」マリアについてどのような思想を持っていたのか。カール・ヴィスロフが『マルティン・ルターの神学』(鍋谷堯爾訳、いのちのことば社1984年)で述べていることを、要点だけかいつまんでご紹介します。

ルターはカトリックの司祭であった時には、マリヤが女性の心によって自分をあわれみ、御子にとりなしてくださるように、祈っていた

1530年にルターは聖人礼拝のすべてを断罪した。聖人に祈ることは、「キリストのみ」によって救われるという主要信条を直接攻撃する「反キリスト的乱用」である、と説いた。

ルターは終生マリヤに深い尊敬の念を抱いていた。ルターも古代の教会会議と同様に、マリヤを「神の母」と呼んだ

マリヤは生涯、処女であった」とする当時の教会の伝統的な教えを、ルターは終生信じていた。新約聖書に記されたイエスの「兄弟」とは、いとこのことだ、とルターは考えていた。「マリヤの永遠の処女性」は、和協信条の中にも残されている。

ルターは、マリヤの無原罪懐胎説を、最初は信じていた。しかし、1527年の聖書日課で、聖書はこのことについて沈黙しているので、すべての人は自由に考えてよい、と述べている。

ルターはマリヤの被昇天について何回も説教をしたが、最終的にはこれを否定するようになった。

ルターは最初、罪人とキリストの間に仲保者としてマリヤがいる、と信じていたが、これを否定した。

マルティン・ルターの神学

マルティン・ルターの神学

 

 

 

青年ルターが雷におびえた時に、マリアの母・聖アンナに助けを求めて、聖職者への道を進むことになったのは、有名な逸話です。マルティン・ルターは生来、ローマ・カトリック教会の信徒であり、アウグスティヌス会の修道士でしたから、「神の母」マリアを崇敬するルターの文書があるのも当然です。ーー宗教改革において、ルターの理解・信仰・神学がどのように変わり、ローマ・カトリック教会のそれとどのように線引きがなされたかーー。それが重要なのです。

 


ところが、これを考慮せずに、

宗教改革者たちは誤って、カトリックが持っていた大切な宝物を捨ててしまった。

ルターは神の母マリアを崇敬し、マリアに祈っていた。

「三位一体」というよりも「四位一体」ではないか。

日本のプロテスタント教会は、カトリックの伝統に戻るべきだ。

といったことを説く人がいます。

純粋なアカデミズムの世界なら、思想・信条・言論・表現・出版は自由でしょうけれど、教会に直結しているこの学会で、これはいかがなものでしょうか。

あるいは、「ここまではローマ・カトリック教会の教説で、ここからはルターの教説です」という区切りが無かったから、皆が発表者の真意を誤解したのでしょうか。

 

徳善義和師は、ーールターの文献は少なくとも初期(1517-1522年)中期(1522-1530年)後期(1530-1546年)に分けて扱うべきだーーと述べておられます。(『ルター著作選集』pp.652-653)  

ルター著作選集

ルター著作選集

 

 

ヴィッテンベルク版「ラテン語著作全集」第一巻序文(1545年)でルターは以下のように述べています(抜粋)。

私の書物、いや、もっと正確に言えば、私のまとまりのない労作を出版したいと望んでいた人たちの願いを、私は長い間拒んできた

私の書物は……あいにく情勢の動きがまとめるひまをなくしてしまったために、荒けずりで、手のほどこしようもない乱雑な状態にある。いまとなっては、これを整理することは、私自身にとっても容易ではない。

このような理由に動かされて、私は、自分の書物全体が、永遠に忘れ去られ、もっとよいものに場所が与えられるようにとねがったのである

なによりもまず、忠実な読者にねがうのは……これらのことを思慮分別をもって、むしろ多分に同情をもって読んでいただくようにということである。そして、知っていてもらいたいことは、私がかつて修道士であって、あの運動をはじめたとき、私は最も熱狂的な教皇派であったことである。

私の初期の著作のなかでどれほど多くの重要なものを、謙虚に教皇に譲り渡したかを、あなたは知るであろう。その後いまでは、私は、これを最も冒瀆的でいまわしいものと思い、いみきらっている

(『ルター著作選集』pp.637-638)

 

プロテスタントが絶対的な真理の基準とするのは「聖書のみ」です。信条は聖書によって「規範される規範」であって、完全でも絶対でもありません。ルターの教説を絶対視することもまた、ルターの宗教改革と矛盾します。

 

会議2日目の晩(11月7日)に筆者はお仲間と、聖イグナチオ教会のミサを見学しました。この教会オリジナルの『典礼聖歌』を見ると、歌詞に「ルルド」や「ファティマ」があるのに気がつきました。聖母マリアが出現して預言をした、とされる土地の名です。「ルルド」や「ファティマ」に関わるムーブメントは、キリスト教をゆがめる危険なものだと思います。

カトリック麹町 聖イグナチオ教会


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兵庫県・神戸から全国・全世界へ

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(注)この記事は、『兵庫県基督教連合会ニュース』第23号(2017年11月1日発行)に掲載された記事に多少手を加えたものです。

 

兵庫県・神戸から全国・全世界へ
ーー 兵庫県キリスト教史の一断面 ーー 

日本イエス・キリスト教団 神戸大石教会  牧師 金井 望

 

 このたび兵庫県基督教連合会の理事にご選出いただいた金井望(かないのぞむ)と申します。ご指導ご祷援のほどよろしくお願いいたします。以下、兵庫県キリスト教史の一断面として、お読みいただけましたら幸いです。

 

 筆者が所属する日本イエス・キリスト教団は日本伝道隊(JEB:Japan Evangelistic Band)の宣教によって生まれた群れです。伝道隊の創立者バークレー・F・バックストン(Barclay F. Buxton)は1890(明治23)年に来日し、10年間、聖公会松江基督教会の司祭を務めつつ、超教派の宣教活動を展開して、100人以上の日本人伝道者を養成しました(松江バンド)。

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 1903(明治36)年にバックストンはパジェット・ウィルクス(Paget Wilkes)と共に英国のケズィック・コンベンションで日本宣教への参加・協力を呼びかけて、超教派の宣教団を生み出しました。それが日本伝道隊です。1905 (明治38)年に伝道隊は神戸に本部を設置しました。

 

 日本伝道隊は次の三つを柱として活動しました。

 ①未伝地伝道

 ②聖書学校

 ③聖会開催

 

 1915(大正4)年に開館した湊川伝道館では、最初の半年で85名の受洗者があり、大正・昭和初期に著しく宣教が拡大しました。筆者の祖父・濱口龍太郎は大正13年にここで入信しました。

 

 1907(明治40)年に伝道隊は神戸・平野に神戸聖書学校を開設しました。校長は竹田俊造であり、沢村五郎、佐藤邦之助、小島伊助、柘植不知人、舟喜麟一、野畑新兵衛、由木康等がここで学び、訓練を受けました。

 

 1924(大正13)年に伝道隊は神戸・御影に御影聖書学舎を開設しました。以来半世紀にわたって沢村五郎は校長を務めました。御影で安藤仲市、安藤喜市、坂本勝重等が学びました。

 

 1926(昭和元)年、丹波柏原にあったソーントン宣教師(Jessie B. Thornton)主宰の日本自立聖書義塾が、御影聖書学舎に合流しました。藤村勇、木田愛信、藤田昌直、岸本頌三、鎌野良作、中島彰、堀江博は、ソーントンの薫陶を受けた伝道者です。

 

 聖書学舎は1930(昭和5)年に神戸市垂水区塩屋町ジェームス山に移転して、塩屋聖書学舎となりました。本田弘慈、長島幸雄、松原和人はこの時代に学んだ伝道者です。

 

 1920年から1935年にかけて日本伝道隊が展開した前進運動によって、100以上の教会が誕生しました。伝道隊は教会を持たない方針であったため、それらの教会は様々な教派・教団・グループに属することとなりました。

 

 神戸では竹田俊造が復興教会を起こし(現・神戸生田教会)、堀内文一等が日本聖書教会を結成しました。岡山では佐藤邦之助等がイエス・キリスト召団を結成。昭和10年に聖書教会と召団が合流して日本イエス・キリスト教会となりました。これが日本イエス・キリスト教団の直接のルーツです。

 

 戦時中、諸教会は日本基督教団第7部に属し、聖書学舎は関西学院に合併となりました。戦後4年間、聖書学舎は日本基督教会の一部と共同で伝道者養成を行い、神戸神学院と称しました。昭和25年4月、聖書学舎は関西聖書学校として再出発、昭和32年に関西聖書神学校と改称して今日に至ります。

 

 日本イエス・キリスト教団には、北海道から沖縄まで127の教会が所属しています。筆者の両親や筆者自身を含めて、この教団の教師はすべて、この神学校で学んだ経験があります。 兵庫県から神戸から、福音が全国・全世界に向けて大いに発信される時が再び来ることを信じ、お祈りします。

 

 

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