カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

縄文人は独自進化したアジアの特異集団だった!

 

核DNA解析でたどる 日本人の源流

核DNA解析でたどる 日本人の源流

 

 

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縄文人」は独自進化したアジアの特異集団だった!
読売新聞メディア局編集部 伊藤譲治
2017年12月15日 05時20分
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以下の文章は、 YOMIURI ONLINE の記事を筆者が要約したものです。

 

 縄文人とは、約1万6000年前から約3000年前まで続いた縄文時代に、現在の北海道から沖縄本島にかけて住んでいた人たちを指す。平均身長は男性が160センチ弱、女性は150センチに満たない人が多かった。彫りの深い顔立ちが特徴だった。世界最古級の土器を作り、約5000年前の縄文中期には華麗な装飾をもつ火焔土器を創り出すなど、類を見ない独自の文化を築いた。

 国立遺伝学研究所静岡県三島市)の斎藤成也(なるや)教授らのグループによる縄文人の核DNA解析の結果、縄文人はきわめて古い時代に他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した特異な集団だったことが、わかった。解析をしたのは、約3000年前、縄文時代後期の遺跡である福島県・三貫地(さんがんじ)貝塚の人骨だ。中国・北京周辺の中国人や中国南部の先住民・ダイ族、ベトナム人などがお互い遺伝的に近い関係にあったのに対し、三貫地貝塚縄文人はこれらの集団から大きくかけ離れていた。

 20万年前にアフリカで誕生した現生人類(ホモ・サピエンス)は、7万~8万年前にアフリカを離れ、世界各地へと広がっていった。西に向かったのがヨーロッパ人の祖先、東に向かったのがアジア人やオーストラリア先住民・アボリジニらの祖先となった。東に向かった人類集団の中で最初に分かれたのは、現在、オーストラリアに住むアボリジニパプアニューギニアの人たちの祖先であり、その次が縄文人の祖先だと考えられる。斎藤教授は、100〜150人くらいの集団が海沿いのルートで東へ向かい、日本列島にたどり着いた、と推測する。日本列島に人類が現れたのが約3万8000年前であることから、縄文人の祖先が分岐したのは4万年前あたりか。

 縄文人から受け継いだ遺伝情報はアイヌが50%以上、沖縄の人たちは20%前後か。ヤマト人は約12%だった。アイヌと沖縄の人たちは遺伝的に近い。自然人類学者・埴原和郎(はにはらかずろう 1927~2004)が1980年代に提唱した「二重構造モデル」によれば、弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったため縄文人の遺伝的要素を強く残した。今回のDNA解析で、この「二重構造モデル」がほぼ裏付けられた。

 日本人のDNAをめぐって、もう一つ、意外性のある分析結果がある。数年前、斎藤教授は島根県の出雲地方出身者21人から血液を採取してDNAを解析した。その結果、関東地方の人たちの方が出雲地方の人たちよりも、大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が集まり、それに沿って人が動いており、出雲地方や東北地方はそこから外れた周辺部であった。

 斎藤教授は、この「うちなる二重構造」をふまえた日本列島への「三段階渡来モデル」を提唱している。第1段階(第1波)が後期旧石器時代から縄文時代の中期まで、縄文人の祖先か縄文人だ。第2段階(第2波)が縄文時代の後晩期、日本語の祖語をもたらした「海の民」。第3段階(第3波)は前半が弥生時代、後半が古墳時代以降だ。白村江の戦い(663年10月)で百済が滅亡し、大勢の人たちが日本に移ってきたものかもしれない。

 近年、縄文時代以前の化石人骨が続々と見つかっている。沖縄・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡から約2万7000年前の人骨が19体も出土し、学際的な研究が進められている。

  

海を渡った人類の遥かな歴史 ---名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか

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アフリカで誕生した人類が日本人になるまで (SB新書)

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KBH聖書学術員養成講座【第2課程】受講生募集中!

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KBH 聖書学術員 養成講座【第2課程】受講生 募集中!

 

クリスチャンセンター 神戸バイブル・ハウス(KBH)は、館内に展示している聖書の案内・解説ができる 聖書学術員 の養成を、2017年から始めました。

2018年には 第2課程 の講座を開講します。KBHの関係者はもちろん、どなたにも有益な講座です。

ぜひご一緒に聖書を楽しく本格的に学びましょう! 皆様のご参加をお待ちしております。

担当:KBH展示委員会

 

■ 2018年の講座【第2課程】■

聖書正典の成立史と貴重蔵書の研究

第1講「旧約聖書正典の成立史」  金井 望氏  4月14日(土) 午前10時〜12時

第2講「KBH貴重蔵書の研究(1)」 池田憲廣氏  5月12日(土) 午前10時〜12時

第3講「KBH貴重蔵書の研究(2)」 池田憲廣氏  6月 9日(土) 午前10時〜12時

第4講「新約聖書正典の成立史」  金井 望氏  7月14日(土) 午前10時〜12時

第5講「KBH貴重蔵書の研究(3)」 池田憲廣氏  8月18日(土) 午前10時〜12時

第6講「KBH貴重蔵書の研究(4)」 池田憲廣氏  9月 8日(土) 午前10時〜12時

第7講「聖書学術員(初級)認定試験」有木義岳氏 10月13日(土) 午前10時〜12時

 

*第1課程を受講していない方も歓迎いたします。

 

受講料 友の会 会員 500円/1回 2,500円/1年間

    一 般 の 方  500円/1回 3,000円/1年間

 

会 場 クリスチャンセンター 神戸バイブル・ハウス

〒651-0086 神戸市中央区磯上通4-1-12
TEL&FAX:(078)252−1966
ホームページ http://kbh-bible.jp
Eメール kobe-bible-house@maia.eonet.ne.jp

kbh-bible.jp

 

日本人の死生観とキリスト教(1) ー 信者以外のキリスト教葬儀は是か非か ー

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今日、世界人口の3分の1がキリスト教徒である。韓国では人口の3割がキリスト教徒であり、共産党支配下にある中国でも1割を超えているようである。ところが日本では、キリスト教徒は総人口の1パーセントしかいない。なぜ日本人はキリスト教徒にならないのか、なりにくいのか。これには、数多の事情が関係しており、その理由は単純ではない。私見によれば、日本伝道には少なくとも次のような障壁があると考えられる。 

A 社会的障壁 「私はキリスト教と何の関わりもありません」=異教社会、世俗化
B 文化的障壁 「私はキリスト教が苦手です」=西洋的なキリスト教文化への違和感
C 心理的障壁 「私はキリスト教が嫌いです」=キリスト者や教会、ミッションスクール等への躓き
D 知的障壁  「私はキリスト教が信じられません」=唯物論、進化論、無神論

E 宗教的障壁 「私はキリスト教徒にはなれません」=他宗教、檀家制度

F 霊的障壁  「私はキリストに従う生活なんて御免です」=霊的無感覚、罪への愛着

16世紀にキリスト教が入ってくるまで、日本人の主要な宗教として神道仏教が併存していた。近世・近代において日本人にとりわけ大きな影響を与えたのは、江戸幕府によって創られた寺請制度檀家制度)と、明治政府によって創られた国家神道であった。すなわち、――血縁共同体であるイエ)の宗教は仏教であり、地縁共同体である地域(ムラ)地方(クニ)の宗教は神社神道であり、国家の宗教は国家神道天皇教である――というピラミッド型の重層的な宗教社会が、公権力によって固定化されたのである。

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寺請制度 - Wikipedia

国家神道 - Wikipedia  

日本宣教論

日本宣教論

 

しかし、幕末の開国と明治維新、近代化、太平洋戦争の敗戦、GHQ主導による民主化、高度経済成長、地方圏から大都市圏への人口移動、グローバリゼーションといった社会変動によって、血縁共同体(イエ)と地縁共同体(クニ、ムラ)は解体され、信教の自由が制度としても実態としても広く認められるようになった。近年は寺請制度が崩壊しつつあり、宗教は個人のものとしてかなり自由化されている。

檀家制度が崩壊して、宗教の自由化が進んでいることは、キリスト教の伝道者にとって手放しで喜べることだろうか。戦後70年に及ぶ民主化は、ヒューマニズム個人主義プラグマティズム、商業主義、世俗化の傾向を持っており、国民一般にキリスト教も含めた宗教離れをもたらした。これも見落としてはならない潮流である。

それは葬式の変化において顕著に現れている。旦那寺とのつながりが切れた家庭や個人は葬式を、商業化した葬祭サービスに頼ったり、近親者や友人知人による直葬で済ませたりしている。旦那寺とは無関係に、業者が提供するサービスによって、納骨堂に遺骨を納め、法事のために僧侶を派遣してもらうのである。 

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無葬社会 彷徨う遺体 変わる仏教

無葬社会 彷徨う遺体 変わる仏教

 
寺院消滅

寺院消滅

 

このトレンドは日本のキリスト教とも無関係ではない。キリスト教葬儀を専門とする業者によって、信徒以外の葬儀への牧師派遣が始まっており、拡大しつつある。それは日本伝道の一つの突破口として期待できる。

キリスト教 葬儀、牧師派遣はブレス・ユア・ホーム(株)へ 

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葬式仏教として商業化し世俗化した仏教に対する人々の不信感と失望は大きい。高額な戒名料にいかなる根拠があるのか? 商業化した葬式仏教が本来の仏教とかけ離れたものであることは、今や広く知られている。 

お坊さんが困る仏教の話 (新潮新書)

お坊さんが困る仏教の話 (新潮新書)

 
誤解された仏教 (講談社学術文庫)

誤解された仏教 (講談社学術文庫)

 

 では、日本のキリスト教は仏教に代替しうる公共性を備えているだろうか。また、仏教以上の宗教性をもって日本人の心を満たせるであろうか。

驚くべきことに、この異教国日本でキリスト教キリスト教風?)結婚式は、全体の半数以上を占める。それをこなせるほど大勢の牧師や神父がいるわけではない。無資格・偽物の結婚式専用「牧師」が大勢いるのだ。

現状では、キリスト教式の葬式が全体に占めるシェアは、結婚式とは比較にならないほど小さい。しかし、これから結婚式並みにキリスト教式の葬式が流行るのかもしれない。ただし、日本のキリスト教も世俗化してしまうようなら、伝道になるどころか、かえってつまずきの石となる危険性も、無いとは言えないだろう。人の死を弔う葬式は厳粛な場である。

信者でない故人のためにキリスト教葬儀を行うことに、抵抗を感じる牧師や信徒もいるだろう。筆者は神学的・信仰的にこれは可能であると考えている。少なくとも、一般恩恵を根拠とすることができる。破損しているとはいえ、人は皆「神の像」に造られた尊い存在であり、ノンクリスチャンでも、ひとりひとりが神の御手によって母の胎内で造られた尊い存在なのである(詩篇139篇)。

日本文化と宣教

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それゆえ、教会外部の葬式への牧師派遣に、筆者も賛成である。葬式仏教と揶揄されてはいるものの、仏教寺院が歴史を通じて日本社会で果たしてきた社会資本ソーシャル・キャピタル)としての役割は、絶大なものである。キリスト教会が本気で日本宣教の結実を望むのなら、教会の公共性を高めて、社会的に必要不可欠と認められる社会資本(ソーシャル・キャピタル)として成長することが、重要である。 すなわち、日本の人々に「キリスト教に改宗しても大丈夫だ。ゆりかごから墓場まで、いや、天国までケアしてくれる」という安心感を持ってもらうことが第一の課題であり、教会が中核となってムラ社会に代わる新しいコミュニティーを形成していくことが第二の課題である。寺院をセンターとして仏教が提供してきた葬式納骨堂)、位牌仏壇法事過去帳が持つ社会的な意味は小さくない。教会がこれを理解して、必要に応じ代替物を用意することが必要である。

人口減少社会と寺院: ソーシャル・キャピタルの視座から

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公共福祉とキリスト教

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加えてもう一つの重要な課題は、キリスト教式の葬儀を世俗化させずに、キリスト教の宗教性・霊性を保ちつつ推進することであり、それによって日本人の宗教的・霊的な渇きをいやしていくことである。

この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る

ヨハネ4:13-14)

このような現実と課題をふまえて今、改めて日本人の死生観を問い直し、これとキリスト教接点を確認する必要がある。すなわち、「接ぎ木」である(武田清子参照)。これが最近、筆者の追求しているテーマである。  

死の民俗学―日本人の死生観と葬送儀礼 (岩波現代文庫)

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お葬式―死と慰霊の日本史

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日本葬制史

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土着と背教―伝統的エトスとプロテスタント

土着と背教―伝統的エトスとプロテスタント

 

 ーー神は、日本人がキリスト教を理解し、受容するための準備を、歴史を通じて日本の宗教社会においても成し遂げておられるーーと筆者は信じている。

 パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。

アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。皆さんのうちのある詩人たちも、

『我らは神の中に生き、動き、存在する』

『我らもその子孫である』

と、言っているとおりです。

わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。

 さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです」

使徒17:22-31新共同訳)

なるほど、遠藤周作が『沈黙』で指摘しているように、日本は諸々の宗教を飲み込んで変質させてしまう多神教シンクレティズムの島国である。カクレキリシタンは、もはやキリスト教とは言えないほどに変質してしまった。日本には、キリスト教を部分的に取り込んで成立している宗教が無数にある。

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カクレキリシタンの実像: 日本人のキリスト教理解と受容

カクレキリシタンの実像: 日本人のキリスト教理解と受容

 
メイド・イン・ジャパンのキリスト教

メイド・イン・ジャパンのキリスト教

 

それでもなお、我々日本のキリスト者は、神が日本を真の神の国に変えてくださることを信じて、神の御業に参与すべきであろう。

数多ある日本の伝統宗教の中で、浄土教に筆者は特に注目している。これは明らかにキリスト教の影響を受けた他力本願の宗教である。浄土宗(600万人以上)や浄土真宗(1200万人以上)等の浄土教の信徒数は、日本の宗教界において最大の宗派となっている。それは、浄土教の宗教性が日本に適合しており、日本人の心を満たすものがあったからではないか。ちなみに、筆者の父の実家(新潟県上越市)も、母方の祖父の実家(和歌山県すさみ町)も代々、浄土真宗の信徒であった。  

浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか (幻冬舎新書)

浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか (幻冬舎新書)

 

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では、現代のキリスト教は、浄土教に勝り、それに代替し得る宗教性・霊性を、広く日本人に示しているだろうか。その優劣が明確に表れる場が、葬式である。今、改めてキリスト教の死生観が問われている。   

キリスト教死生学論集

キリスト教死生学論集

 
天国と極楽―キリスト教と仏教の死生観

天国と極楽―キリスト教と仏教の死生観

 
死後のことについて本当のことを知りたい

死後のことについて本当のことを知りたい

 

 具体的には、信者以外の葬式において牧師はどのような説教をすることが可能か。また、どのような説教をすべきか。これが差し迫った課題である。 

心に残るキリスト教のお葬式とは―葬儀の神学序説 (NCC宗教研究所双書)

心に残るキリスト教のお葬式とは―葬儀の神学序説 (NCC宗教研究所双書)

 
キリスト教における死と葬儀 現代の日本的霊性との出逢い

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死と葬儀 (1974年)

死と葬儀 (1974年)

 

キリスト教の死生観に関して筆者が特に注目しているのは、古代の教父やマルティン・ルター等に見られる「勝利者キリスト」の神学である。グスタフ・アウレンの問題提起が有名である。キリストの黄泉(よみ)への降下と悪魔悪霊の征服、復活・高挙による勝利の凱旋は、明らかに新約聖書が教えていることである。しかし、カルヴァン以降のプロテスタントでは刑罰代償説を重視するあまり、「勝利者キリスト」論を軽視してきたきらいがある。

勝利者キリスト―贖罪思想の主要な三類型の歴史的研究 (1982年)

勝利者キリスト―贖罪思想の主要な三類型の歴史的研究 (1982年)

 
ルターと死の問題―死への備えと新しいいのち

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生と死の講話

生と死の講話

 
イースター・ブック: 改革者の言葉と木版画で読むキリストの生涯

イースター・ブック: 改革者の言葉と木版画で読むキリストの生涯

 

 

――浄土教は「勝利者キリスト」の「影」であり、イエス・キリストの福音こそ、浄土教に代表される日本人の宗教的・霊的欲求を満たすことができる――。遠大な課題だが、筆者はこれを論証したく思っている。  

 

 

親鸞とパウロ―徹底討議

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キリスト教と民衆仏教―十字架と蓮華

キリスト教と民衆仏教―十字架と蓮華

 
イエスに出会った僧侶―ありのままの仏教入門

イエスに出会った僧侶―ありのままの仏教入門

 
牧師の読み解く般若心経 (YOBEL新書)

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仏教からキリストへ―あふるる恩寵の記

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仏教からクリスチャンへ―新装改訂版―

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データブック日本宣教のこれからが見えてくる キリスト教の30年後を読む (いのちのことば社)

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