カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

福音派と共産党の共闘?(4)

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最近、筆者は、①小林多喜二の母・セキの一生を描く三浦綾子著『母』、②プロレタリア文学の金字塔・小林多喜二原作『蟹工船』劇画版、③高橋秀典著『聖書から見るお金と教会、社会』を読みました。

小林多喜二をはじめ、共産党に身を投じた人々の多くが求めたのは、①人間の「尊厳」が社会的に広く認められて、②法律と公権力によって「人権」が守られ、③「貧困」を克服して、④誰もが人間らしい生活ができるようにすることだったのではないでしょうか? しかし、多喜二の「優しい心」は、共産党に入党してから、母親にも理解できないほど変わってしまったように思いました。

ちなみに、三浦綾子さん御自身は、共産主義を支持しておられません。小林多喜二の親族にはクリスチャンが多くいて、お母様もキリスト信仰をお持ちになったようです。

「持っている者はさらに与えられ、持っていない者は持っている物まで取り上げられる」。これは聖書の格言です(マルコ4:25)。

①資本を持つ者が、資本を持たない労働者を「搾取」することによって、さらに富を集積していく。②拝金主義によって、人間の尊厳は侵され、失われる。③社会の秩序を保ち、資源や食糧を確保し、市場を拡大するために、国家は警察と軍隊を必要とする。④領土や利権をめぐる国家間の争いや対立が、戦争に至ることもあるーー。

これらは資本主義の必然であって、現代の世界も①わずかな超富裕層への富の集積、②貧困層の増大、③テロリズムと戦争、④難民問題に苦悩しています。

マルクス主義共産党とは、「資本主義の根本問題を解決するためには、労働者が団結して社会主義革命を起こすしかない」というイデオロギーであり、運動です。共産党がめざす社会主義革命とは、①武力によって既存の体制を打倒して、②独占資本を解体し、③生産手段を国有化・公有化するものであり、④国際的・全世界的な革命を推進するものです。

しかし、20世紀に展開された共産主義運動は、共産党員という新たな支配階級=特権階級を生み出しました。②計画経済は非効率的で、環境破壊が著しく、多くの国家が破綻しました。③貧困問題を解決することができず、恐ろしいほど多くの人命が飢餓によって失われました。④政治は共産党一党独裁となり、首脳部に反対する者が大勢、粛清されました。⑤著しい軍拡を続けて、世界の各地で侵略戦争を起こしました。マルクス主義共産党の運動が、資本主義の根本問題を解決できないことは、100年に及ぶ壮大な「社会実験」によって実証されているのです。

 

高橋秀典師は、①社会的弱者も「神のかたち」に創造された者として、その尊厳が保たれなければならない。②キリスト者は、保守と革新という枠組みの対立を超えたヴィジョン・新たな価値観を提示すべきだ。③「互酬」「再分配」「市場交換」という三つの経済原理の調和が重要だ。④神の平和(シャローム)をこの地に広げるという共同体的な信仰の運動、これこそ今、私たちが必要とする新たな宗教改革ーーと説いておられます。そして、それらがみな、聖書から学ぶことができる知恵である、というのです。筆者も高橋先生のご意見に賛成する者です。


カール・ポラニ
は経済人類学的なアプローチによって、現代経済の原理的な問題を明らかにしましたが、それに応えてピーター・ドラッカーは現代「社会」の具体的なトランスフォーメーションについて論じていたように思います。このふたりの巨人が同郷で、親友であったというのは、神の配慮かと思います。


日本ではドラッカーを「経営の神様」のごとく崇めていますが(笑)、後期のドラッカーは「ソサエティーやコミュニティーこそ、21世紀の最も重要な問題だ」と主張していたように思います。現代資本主義が最も発達した米国は「貧困大国」でもありますが、その社会を支えているのは、巨大な非営利組織の活動です。アメリカでは、市民が現代資本主義の弱点を補っているのです。

もちろん政府の公的な補助金や企業の献金もあるわけですが、何と言ってもアメリカの富は超富裕層に著しく偏在しています。そこが法人資本主義の日本と大きく異なるところです。ビル・ゲイツの呼びかけに応えて、アメリカの超富裕層が財産の半分を慈善事業に寄付したこともありました(2010年)。アメリカの資産家やエリートは、社会に貢献する活動に熱心に取り組んでいます。その動力となっているのはやはり、アメリカ的なキリスト教精神と愛国心でしょう。

日本では「少子高齢化=人口減少時代において必要とされる社会の変革を担うのは、政府か企業か市民か。コストは誰がどのように負担するのか」という差し迫った問題があります。法人税所得税、固定資産税、相続税、消費税など税制の調整が必要であり、年金・健康保険・介護保険の保険料と給付の調整も必要です。伝統的な地縁共同体や血縁共同体は瓦解しつつあります。今後、インターネット・AI(人工知能)・ロボットの発達が、生産の領域だけでなく、再生産の領域を含めて、現代社会の全体を大きく変えていくでしょう。

 

今、日本の政治・経済・社会は、従来の単純化した枠組みを乗り越える、新しい枠組みを必要としています。そこに日本のキリスト教は、どのように絡んでいくのでしょうか。

 

母 (角川文庫)

母 (角川文庫)

 

www.gendaipro.com

 


映画『母 小林多喜二の母の物語』主演・寺島しのぶ 監督・山田火砂子 原作・三浦綾子 製作・現代ぷろだくしょん 

 

図書カード:蟹工船青空文庫

 

 『マンガ蟹工船』 - 白樺文学館 多喜二ライブラリー (作画: 藤生ゴオ、解説: 島村輝)

http://www.takiji-library.jp/collection/read/kanikousen/kani_cmc.pdf

劇画「蟹工船」 小林多喜二の世界 (講談社+α文庫)

劇画「蟹工船」 小林多喜二の世界 (講談社+α文庫)

 

 

聖書から見るお金と教会、社会

聖書から見るお金と教会、社会

 

 

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

 
ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書)

 

 

21世紀の資本

21世紀の資本

 

 

[新訳]大転換

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ネクスト・ソサエティ

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ドラッカー名著集 4 非営利組織の経営

ドラッカー名著集 4 非営利組織の経営

 

 

そうだったのか!現代史 (集英社文庫)

そうだったのか!現代史 (集英社文庫)

 
そうだったのか!現代史〈パート2〉 (集英社文庫)

そうだったのか!現代史〈パート2〉 (集英社文庫)

 

 

www.sankei.com

 


【討論】シリーズ「日本の敵」:日本共産党とは何か?[桜H28/10/15]

 

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日本伝道のブレイクスルー戦略(3)

 

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[注]この論説は、日本イエス・キリスト教団 信徒局 教会教育室 が発行している『聖書教育教案誌 牧羊者』の「教師養成講座」に、筆者が連載している記事を転載したものです。

日本イエス・キリスト教団 信徒局 教会教育室

 

  第3章 日本伝道のブレイクスルー

 

  第1節 伝道の社会的障壁

 
 ウィルクス師をはじめ多くの伝道者が、伝道のモデルケースとして、主イエスサマリヤの女への伝道(ヨハネ4章)に注目しています(『救霊の動力』第13章参照)。これを参考にしつつ論考を進めます。  

 

サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。(9)

 

 サマリヤは北王国イスラエルの首都でしたが、その都市は紀元前722年にアッシリア帝国の軍隊によって滅ぼされました。イスラエルの指導者ら二万人以上がアッシリアに捕囚として連れ去られ、代わりに帝国の各地から移民がこの地に入植しました。その後、イスラエルの残りの民と入植者の雑婚が進んで、サマリヤ人となったのです。

 彼らはゲリジム山に神殿を築いてユダヤ人・エルサレム神殿に対抗しました。そしてモーセ五書を何千個所も改竄(かいざん)して、独自の「聖書」(サマリ五書)を作りました。ユダヤ教徒から見れば、サマリヤ教徒は異端です。 前2世紀のマカバイ戦争では、サマリヤ人はセレウコス朝に味方してユダヤ人を攻撃し、ユダヤ人は報復としてゲリジム神殿を焼き討ちにしました。

 このような関係ですから、ユダヤ人はユダヤとガリラヤの間を行き来する時、サマリヤを避けてヨルダン渓谷を通りました。 ところがこの時、主イエスはあえてサマリヤを通ってユダヤからガリラヤに帰ることとされました。主がサマリヤ人に伝道することに、重要な意味があったのです。

ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレムユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。 (使徒行伝1:8)

サマリア人 - Wikipedia

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出典 http://scriptures.lds.org/jpn/biblemaps/11

 

 私たちが日本で伝道するにあたっても、民族国家共同体の宗教といった社会的な障壁にぶつかります。これを打ち破るためには、それが何であるか正しく理解して、適切に対処する必要があります。

 「日本の宗教人口は2億人」と言われますが、一つの家が神社の氏子であり、寺院の檀家でもあります。この場合、宗教とは地縁と血縁による共同体への所属を意味しています。「キリスト教は、日本を侵略した外国の宗教だ。受け入れたら日本人の民族性が失われる」。そんな意識が染み付いていて、抵抗感のある人が未だに少なくありません。子どもが小学生なら教会学校に通うことを許していても、中学生になったり、「洗礼を受けたい」と言い出したりしたら、教会に行くことを禁じる家庭もあります。  

 

  第2節 檀家制度の崩壊  

 

わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています。(20)

 

 長寿社会、少子化、地方圏から大都市圏への人口の移動、グローバリゼーションなどによって、日本の家族や地域社会は著しく変化しています。過疎化、限界集落化、地方消滅、認知症社会、無縁社会という現実が広がっており、神社や寺院を支えてきた伝統的な血縁共同体と地縁共同体が瓦解しているのです。

 現代の日本人は、7割無信仰・無宗教を自認するほど、世俗化・宗教離れが進行しています。自分の家がどの宗派のどの寺院の檀家であるのか分からない、あるいは寺院との関係を持たない家庭が増加しています。キリシタン絶滅政策であった檀家制度が崩壊しつつあるのです。

 家の宗教・宗派が特に問題となるのは葬式です。  

①葬祭の情報サービス会社である鎌倉新書が2014年に関東圏で実施した調査の結果は次のとおりです。 

  一般葬(参列者が31人以上) 34パーセント 

  家族葬(参列者が30人以下) 32パーセント

  一日葬(一日だけの葬儀)   11パーセント

  直葬(葬儀を行わず火葬のみ)22パーセント

www.kamakura-net.co.jp

②エンディングデータバンクの調査によると、2016年の首都圏での葬式の費用は次のとおりです。

   50万円未満 21.1パーセント

  100万円未満 26.5パーセント

  150万円未満 27.5パーセント

  200万円未満 10.2パーセント

  250万円未満 6.3パーセント

  300万円未満 2.5パーセント

  350万円以上 5.7パーセント

data.urban-funes.com

日本消費者協会が実施した第10回葬儀についてのアンケート調査(2014年)によると、葬儀費用の合計は全国平均額で188.9万円でした。これは年々下降しています。その内訳の主なものは次のとおりです。

  葬儀一式費用(通夜式・告別式)   122.2万円

  寺院への費用(お経、戒名、お布施) 44.6万円

 最近の葬式には次のようなトレンドがあります。

①従来一般的であった臨終密葬通夜式本葬儀告別式火葬法要納骨という流儀が崩れています。

②葬式を一日で済ませるケースが増えています。

③少人数で行う家族葬直葬が増えています。家族葬に特化した小規模でローコストの葬祭場が増えています。

④僧侶を呼ばずに葬式を行うケースが増えています。

⑤葬儀とは別に「お別れの会」をホテルなどで開催するケースも増加しています。

 ちなみに筆者は、タイミングによっては教会の主日礼拝を「追悼礼拝」として、それを本葬儀にしています。また、故人が地域社会で活躍していた場合、ご自宅で「お別れの会」と称して、会葬者100名以上が次々と入退場し献花をする前夜式を行うことがあります。長寿化によって喪主や遺族も高齢者が多くなり、葬式に二日も三日もかけることは体力的に困難になっているからです。

 

  第3節 宗教消滅

 

この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。(13〜14)

 

  最近の葬式の変化には、経済的な事情も関係しています。1991年(平成3年)から20年以上続いた平成不況によって、パート、アルバイト、派遣社員契約社員等の非正規雇用労働者貧困層が増加し、日本の相対的貧困率16パーセントに達しています(厚生労働省国民生活基礎調査」2012年)。生活保護受給世帯数は1990年には62万世帯でしたが、2014年には161万世帯を越えました。

 ところが、戒名料の相場はバブル経済の時期にインフレを起こしたまま下がらず、信士・信女が30~50万円、居士・大姉が50~70万円、院信士・院信女が80万円以上、院居士・院大姉が100万円以上だそうです。これでは寺院離れが起こるのも当然でしょう。

 そもそもインドの初期仏教や部派仏教は、葬儀と関係が無いものでした。キリスト教など西方の宗教から影響を受けて生まれた大乗仏教が中国に伝わり、そこで儒教の影響を受けて葬式仏教が生まれたようです。戒名は本来、出家者の証であって、在家の信者が持つものではありません。最近は、こういった真実を明示する書籍が次々と発行されています。

誤解された仏教 (講談社学術文庫)

誤解された仏教 (講談社学術文庫)

 

 

お坊さんが困る仏教の話 (新潮新書)

お坊さんが困る仏教の話 (新潮新書)

 仏教入門 (中公新書 32)

 

仏教入門 (中公新書 32)

 

 

  今や「寺院消滅」の時代と言われています。2015年には約7万7千の寺院がありましたが、そのうち2万以上の寺院が無住空き寺)であり、約2千の寺院は活動実態がありません。専門家の試算によると、2040年には日本の寺院の3〜4割が消滅しかねない情勢です。ただし宗教学者島田裕巳氏によると今は、仏教の寺院だけでなく神道の神社も新宗教の施設も含めて「宗教消滅」の時代のようです。 

寺院消滅

寺院消滅

 

 

宗教消滅 (SB新書)

宗教消滅 (SB新書)

 

  我々キリスト教会の課題は「寺院や神社に代わって、教会が地域の人々の受け皿になれるか」ということです。寺院や神社が日本の地域社会においてソーシャル・キャピタル(社会資本)として果たしてきた公共的な役割は、絶大なものです。「教会は所属する会員=クリスチャンのことしか考えないし、配慮しない」と見られるようでは、教会は地域社会で生き残れないかもしれません。

人口減少社会と寺院: ソーシャル・キャピタルの視座から

人口減少社会と寺院: ソーシャル・キャピタルの視座から

 

 

  筆者はこの2年間ほど日本イエス・キリスト教団兵庫教区で婦人部長を務めました。昨年秋の婦人部例会では、水野健牧師を講師にお迎えして「ひと味違う終活セミナー」を開催し、エンディングノートの書き方などを学びました。男性も含めて209名の参加者があり、大変好評でした。この分野は牧会だけでなく伝道においても大きな可能性があります。

キリスト教の終活・エンディングノート(ブルー)

キリスト教の終活・エンディングノート(ブルー)

 

  クリスチャン企業のライフワークスブレス・ユア・ホームは、教会に所属していないクリスチャンやノンクリスチャンのための葬儀も行っており、登録した牧師を教会外のキリスト教式葬儀に派遣しています。これは日本宣教において画期的な活動です。

www.life-works.co.jp

byh.jp

 

  第4節 芋づる式の伝道

 

あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが。(12)

 

 日本の従来の伝道は「一本釣り」が多かったのですが、終活・葬儀は「芋づるの伝道となります。葬儀には故人の子どもや孫、ひ孫まで参列します。

 キリスト教式葬儀は自然に伝道となります。葬儀は、誰もが生と死の意味を考えさせられる厳粛な場です。死は、参列する人すべてが、いつかは経験しなければならない現実です。参列者が「私も家族もこうやって葬式をするのだろう」と思えば、その家の宗教キリスト教に定まります。そこからキリスト信仰に進むのは容易です。

 筆者が牧会する神戸大石教会は、宣教開始から86年の歴史があります。筆者は着任してから1年半ほど、ある長老のご自宅に何度も通って教会の歴史を学びました。その長老は教会の歴史信徒の証しを記録した『群乃足跡』という冊子を何度も発行しました。筆者は長老にお願いして、教会員の家系図を作っていただきました。これらは葬儀だけでなく伝道牧会にも非常に役立ちます。

oishi-church.jimdo.com

 

  第5節 文化的障壁のブレイクスルー

 

あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。(21)

 

  イエス時代のユダヤとサマリヤは、

アレクサンドロス大王の東征(前334〜前323年)以来続くヘレニズムギリシア文化のオリエント世界への浸透)の影響を強く受けていました。

地中海世界を統一したローマ帝国によるパクス・ロマーナ(ローマの平和)のもとで世界中の人と文化に接触していました。

ユダヤ人やサマリヤ人にも、当時の世界の共通語であるギリシア語を使いこなす人が大勢いました。

 これは、我々現代の日本人が経験していることに似ています。

①ザビエルの来日以来ヨーロッパ文化の影響を受けるようになり、さらに江戸幕府末期の開国以来、欧米との交流・貿易が盛んとなりました。

②太平洋戦争の敗戦以降、パクス・アメリカーナのもとで世界中の人と文化に接触するようになりました。特にアメリカニゼーションは著しいものです。

③公教育で世界の共通語である英語を学び、ビジネスなどで使うようになりました。

 ただし、主イエスが復活後、世界宣教命令を下したのに、聖霊降臨後も弟子たちは「エルサレムユダヤ」から外に出ようとしませんでした。ヘブライストアラム語を日常的に使うユダヤ・ガリラヤのユダヤ人)には、サマリヤ人や異邦人に対する拒絶感があったのです。  

 けれど間もなく、ステパノの殉教に続いて起こった迫害によって散らされた弟子たちによって、サマリヤの伝道が行われ、世界宣教が開始されました(使徒行伝8章)。その弟子たちは長年外国で生活してきたディアスポラ(離散民)であり、ヘレニストギリシア語を日常的に使う人)のユダヤ人でした。

最初期キリスト教は、なぜローマ帝国に広まったのか - カナイノゾム研究室

 近年、日本人の受洗者は、国内で洗礼を受ける人よりも、外国で洗礼を受ける人の方が多くなっています。国際化=グローバリゼーションによって、日本人伝道のブレイクスルーが海外ですでに始まっているのです。ただし、ディアスポラ日本人クリスチャンで帰国後に日本の教会につながる人は、2割くらいしかいないようです。

JCFN Japanese Christian Fellowship Network http://jcfn.org/jcfnhome/index.php?lang=ja

 最初期の教会では、割礼・食物・安息日・祭儀などの律法規定慣習が、異邦人伝道の障害となりました(使徒11:1-3, コロサイ2:16)。今日の日本の教会は、伝道の妨げとなるもの固執していないでしょうか。教会の伝統文化は大切ですが、異なる文化も受容して良いのではないでしょうか。CS教師には、現代の子どもや若者の文化を理解する努力が必要です。

 

  第6節 知的障壁のブレイクスルー

 

あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。(22)

 

   第2章で述べたように、日本人には多元的な宗教性があります。また戦後70年間、科学万能主義・唯物論・進化論に基づく無神論的な公教育が為されてきました。このような日本の人々に対して、私たちキリスト者は辛抱強く、聖書・キリスト教が宗教的に唯一の絶対的な真理であることを、証ししなければなりません。そのためにCS教師は、聖書の教理弁証論を学ぶ必要があります。

 教理は日本イエス・キリスト教団が発行している『信仰生活の指針』に簡潔に記されています。1956年に教団から発行された小豆正夫著『キリスト教のおしえ』というカテキズムがありましたが、文体や内容を現代的に修正して、これを用いるのも良いでしょう。弁証論はハロルド・ネットランド、内田和彦 著『キリスト教は信じられるか』(いのちのことば社)をお薦めします。

キリスト教は信じられるか―現代人のための信仰入門

キリスト教は信じられるか―現代人のための信仰入門

 

  現代の子どもや若者への伝道においては、メディアが重要な鍵となっています。筆者は聖書・キリスト教関係のマンガを収集して、教会で閲覧・貸出をしています。筆者は2010年にクリスチャンセンター 神戸バイブル・ハウスで、2012年には東京の教文館で、仲間と共に「マンガ・アニメ聖書展」を開催しました。

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 日本人が作るマンガはクオリティーが高くて、世界中で人気があります。ケリー篠沢作『マンガ・メサイア』は700万部以上頒布され、イスラム圏でもキリスト教リバイバルを起こしています。

manga-ministry.com

www.newlifeministries.jp

 「アンダー25」と言われますが、今25歳以下の人たちは、パソコンインターネットがあって当たり前という環境で育っています。内閣府の調査によると、スマートフォンスマホ)の所有率は中学生が51.7パーセント、高校生は94.8パーセントにのぼります。スマホによるネットの利用時間は中学生で平均124分、高校生だと平均で170分もあります。

 SNSソーシャル・ネットワーキング・サービス)とりわけLINE(ライン)が若者たちの交流の場となっています。紙の本を読まず、スマホの画面ばかり見ている若者たちに伝道するためには、YouTube(ユーチューブ)で福音的な動画を公開して、LINETwitterツイッター)、Facebookフェイスブック)等で拡散することが有効でしょう。

 

  第7節 霊的障壁のブレイクスルー

 

神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。(24)

あなたと話をしているこのわたしが、それである。(26)

 

 聖書において「霊」という語は、天的な存在の次元を表し、あるいは人が持つ神との交流能力を意味しています。信仰とは、キリストにあって啓示された神との出会いから始まり、神との人格的な交わりを深めていく営みに他なりません。その出会いは、イエスをキリストと信じて新生し、神の御霊を宿している人との交わりを通して、与えられるものです。この交わりは電子空間では足りず、フェイス・トゥ・フェイスが大切ではないでしょうか。

 最後に一つの提案をさせていただきます。

①信徒が主体的に、

②自分たちが暮らしている地域で、

③土曜日や祝日に、

④所属している教会を超えて集まり、

⑤子ども伝道あるいは教会学校を行う。

 二代目、三代目、四代目と信仰継承が続けば良いのですが、ーー教会から離れた地域に転居したりするうちに、子どもや孫らが日曜朝の教会学校から離れてしまったーーというケースが少なくありません。それならば、自分たちの住んでいる地域で、協力して何とかしようよ、ということです。

 探してみたら、案外、近所に同じ教団の信徒や同じ信仰を持つ教派の信徒がいたりします。 今、日本イエス・キリスト教団が推進している「協力教会制度」をこのために活用できないでしょうか。

 メンバーが2〜3人でも集まったならば、まずはお互いの課題を分かち合い、テキストブックを読んで学び、共に祈ることから始めてみたら、いかがでしょうか。

 

もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである。(マタイ18:19-20)

 

日本CEF(日本児童福音伝道協会)

ワンダーブック

wlpm.or.jp

jpnews.or

 

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      改訂増補版 救霊の動力



 

変えられた人生 pyutaの経験

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 幼いころから私は、他の人となにかがちがう、と感じて生きてきました。周りが普通にできることができない私でした。また人間関係を保つことがほとんどできませんでした。

 

 17歳の時にそれが統合失調症という脳の障害であることがわかりました。そのときは受け入れることもできず、この先もほかの人のような人生を送ることを望んでいました。ただ必死で治すということを考えて生きていたような気がします。

 

 そんなときにインターネットで知り合った牧師にS市の教会を紹介されました。そのころは本当の神様を知らずに深く考えずわらにもすがる思いで洗礼をうけました。

 なんとなくクリスチャンになったけどはっきりいってすぐになにかが変わったわけではありませんでした。私が本当の意味で神様を求めて信じたのは、最近のことです。しかしそれまでの人生と信仰生活があるからこそ、今の恵みのなかに生かされていることを日々感じます。

 

 洗礼をうけてすぐに、ここH町に引っ越してきました。それを機に、こちらの教会の群れに加えていただきました。

 そのころの私は、生きていることがいやでいやで仕方ありませんでした。しかし死ぬ勇気もなく、毎日なんとなく生きていました。教会に通ってはいたけれど、神様がわかりませんでした。


 大学を卒業して、同級生やキリスト者学生会の仲間たちは、就職していきました。しかし、私はそのころまだ自分の障害を受け入れず、必死でその人たちと似たような人生を送ることにこだわり続けました。就職活動をしたり学校へ行ってみたりしました。しかし、なにも決まらず入院しました。

 

 その後約1年病院で生活しました。精神科病棟という場所は、他の病棟とは違い、患者を人間として扱わない風潮が昔からあります。残念ながら現在もそういう病院があります。

 そこに入院中つらい毎日の中で聖書を読みました。教会に行くことは許されませんでした。この絶望的な状況の中にたしかに神様が共にいてくださることを、みことばから悟っていきました。


 退院しても日常生活を送ることは難しく、ほとんど寝て過ごしていました。そのころは、日曜の朝起きて教会に通うということもつらい時期でした。

 

 半年が経ったころ、病院の紹介で、ある福祉施設に就労訓練に通うことになりました。そこは全国でも1番規模の大きい施設であり、身体障害・知的障害・精神障害の三障害受け入れており、障害者が様々な作業をしながら入所と通所で生活をしている施設です。

 そこに行き始めて1週間で辞めたくなりました。私は見た目ではどこが悪いのかわからないため、健康な人だと扱われ、ずいぶんとひどいことを言われたからでした。

 

 そのころ教会に通うことがとても楽しくて、もっと神様を知りたいと祈りました。

 祈ったことがどんどん叶えられていた時期だったので、私は施設をあまり重要に考えず、将来は神様のために働きたい、自分は牧師になることがふさわしいのでは、と考えていました。

 東京で行われた青年宣教大会にも参加しました。主のために命を捨てるほどのものをもとめていると聞き、自分は自分を救ってくださったイエス様にすべての時間をささげよう、とその場で決心しました。

 

 しかし、この障害特有の問題が再発しました。季節の変わり目で調子を崩すということが、その直後に起こったのです。今、思えば、それが神様のときでした。

 私は、私にしかできない方法で神様に仕えよう、と思いました。そのときに、「私が遣わされている場所は今の施設なのでは」と思いました。施設に入所している人は、子供の時から病院や施設で生活をしている人が、大半でした。その人たちに福音を伝えることができるのは、同じ立場にある私しかいない、と神様からはっきりと示されました。

 

 そのときに、自分がそれまでにもっていた生まれつきの障害者に対する偏見や差別を、神様の前に悔い改めました。

 みんな神様に愛されている一人の人間ですが、神に裁かれるべき罪人でもあります。それなのに私は、その人たちとかかわることをしてこなかった。1年も一緒にいるのに、その人たちが傷ついているなどと考えたことがなかったのです。

「もし神様がこの人たちを救ってくださるなら、私はここに遣わされていると感じます」と祈りました。

 

 それから私は人が変ったように熱心に働き、様々な人と関わってきました。施設にたくさんのクリスチャンが生活していることを知りました。「ひとりでもふたりでもわたしの名においてあつまるところには、わたしも共にいる」というイエス様の言葉を思い出しました。

 

 そして、ある人との出会いをとおして、私は神様に本当の意味で出会うことができました。今まで人と比べて生きていた私ですが、本当に大事なのは神様の目から見たかけがえのない私です。誰かに好かれるとか嫌われるとかではなく、神様がどう思うかなのです。

 そう思うと、聖書の言葉ひとつひとつが宝物でした。今までなんとなく読んでいた聖書を、自分に与えられたみことばとして受け取れるようになりました。

 私はそれまで、自分のことが世界で一番嫌いでした。しかし障害があったとしても、今生かされていることが恵みであり、障害という弱さがあったからこそ、神様にもたくさんの愛する仲間たちにも出会えた、と今は感謝しています。

 

 なんで自分には障害がついてまわるのだろう、とたしかに思います。しかしこれからは、人と比べるのではなく、神様が与えてくれたこのからだと人生を、自分らしくつくっていくことができるといいな、と祈っています。

 どのようなからだに生まれるのかは神様が決めるのかもしれないけれど、神様はその人の人生に責任をとられるかたであり、その人の苦しみを放っておかれる方ではありません。本当の痛みにふれてくださる神様です。

 私の過去も現在も未来もすべて、イエス様の十字架で赦されています。私が、「障害があるから不幸だ」と思ってしまえば、そこまでです。でも、もしそのことを神様のみこころだと受け止めるなら、神様は最高のものを私に下さいます。

 

 クリスチャンではない人を用いて、神様は私と神様を真に出会わせてくれました。今、その人がイエス様に出会うために、私は祈っています。その人のルームメイトと友人もクリスチャンです。それで、現在4人で礼拝のメッセージをわかちあったりしています。

 このようなことができて、本当に神様は私の人生を、否定の人生から肯定の人生に変えてくれました。

 

 最近、あるビデオに出会いました。両手両足のない宣教師の話です。彼は世界中に、そのからだで神様を伝えています。

 ある日、彼は神様に両手両足を求めて祈っていました。すると、それがあたえられた夢を見ました。夢の中で彼の両親は喜んでいました。彼も喜びました。

 しかし、そのことを知った手足のない人や体が不自由な人は、「自分は健常者になることができないのに、この人だけに手足を与えるなんて、神様はおかしい。神様など信じない」と思いました。

 彼の人生が終わったとき、彼は神様に言いました。「神様、健常者にならせていただき感謝します。僕の人生になにか間違いはありましたか?」

 すると、「君が神を求めるよりも健常者になることを求めたので、君は障害者のままで福音を伝えることができなかったのだよ。君は大事なものを失ってしまった」と神様は言われたそうです。

 夢から覚めて、彼は自分に手足がないことを確認して、神様に感謝しました。

 このビデオを観て、私も神様の計画があって生かされていることを、感謝しました。

 

 ヨハネ福音書9章に次のようなイエス様の言葉があります。

「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。わたしが世にいる間、わたしは世の光です」。
 神様が命と障害、そして信仰を私にあたえてくださったことを、心から感謝します。