カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

キリストの血の責任

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Christ in front of Pilate  by Mihály Munkácsy

 

2018年3月25日 棕櫚の主日 礼拝説教
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【説教題】「キリストの血の責任」金井 望 牧師

【聖書朗読】マタイの福音書27章15〜26節

マタイ 27.1-66

【中心聖句】

彼の血は私たちの上に、そして私たちの子どもたちの上に。

(マタイ27:25)

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2018年3月25日礼拝説教

【説教要旨】

 無罪であるイエス・キリストが十字架で殺されたのは、誰の責任だろうか。

 当時、ユダヤとガリラヤはローマ帝国支配下にあった。ローマ総督ピラトはイエスに尋ねた。

あなたはユダヤ人の王なのか

ユダヤ議会(サンヘドリン)はそのように訴えた。反乱の首謀者だというのである。主イエスは答えて言われた、

あなたがそう言っています

エスはこのようにも言っておられる、

わたしの国は、この世のものではありません」(ヨハネ18:36)

武器も兵隊も持たないイエスを、反乱罪に定めることはできない。

 祭司長や長老たちが、ねたみのゆえにイエスを訴えたことを、ピラトは知っていた。ピラトは祭の際の恩赦を利用して、イエスを釈放しようとした。その時、暴動を起こし殺人を犯したバラバという男が捕えられていた。

ピラトは群衆に尋ねた、

あなたがたは誰を釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエス

群衆は答えて言った、

バラバだ

彼らはユダヤの指導者たちに、そのように答えるよう説得されたのである。

 ピラトは言った、

では、キリストと言われているイエスは、どうすべきか

群衆は叫び続けた、

十字架につけろ」「十字架につけろ

十字架刑は恥辱に満ちた極刑である。

ピラトは彼らに問うた、

あの人がどんな悪い事をしたというのか

結局、暴動になって責任を問われることを恐れ、群衆の声に屈した。彼は群衆の目前で手を洗って言った、

私はこの人の血について責任が無い。あなたがたが始末せよ

群衆はみなこう言った。

彼の血は私たちの上に、そして私たちの子どもたちの上に

 使徒信条は「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と言っている。十字架はローマ帝国の刑罰であり、ピラトは責任を免れ得ない。

 そして、ユダヤ人はこの血の責任を負って、ユダヤ戦争(66年から73年)でこの地を失い、1800年以上も世界を流浪することとなった。

 選ばれた神の民が、神の御子を十字架につけた。私たちも、この罪の重さを深く覚えたい。

 神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

(ヘブル6:6)

 

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兄弟が罪を犯したなら

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ジャン=フランソワ・ミレー『晩鐘』(パリ・オルセー美術館蔵)
L'angélus, by Jean-François Millet. (Musée d'Orsay, Paris)

 

2018年3月18日 受難節第5主日 礼拝説教
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【説教題】「兄弟が罪を犯したなら」金井 望 牧師

【聖書朗読】マタイの福音書18章15〜20節

 また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。

マタイ 18.1-35

【中心聖句】

まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです(マタイ18:18)

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2018年3月18日礼拝説教

【説教要旨】

キリストは教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた。

(エペソ5:25)

 <教会>という語は、福音書ではマタイ16:18と18:17にしかない。マタイ18:15-20は、教会に起こる罪の問題を扱う重要なテキストである。

  1. まず直接、個人的に確認し、叱責する

 <>とは<律法>に背くことである。

罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。

(第一ヨハネ3:4)

律法のないところには違反もありません。

(ローマ4:15)

 教会の兄弟姉妹が自分に対して罪を犯したなら、まず<その人と自分だけの場で>その人の言動を確認して、それが罪であれば叱責し、悔い改めを求めるべきである。その罪を他人に知られて、相手の名誉を傷つけることが無いように、また、プライバシーが守られるように、配慮が必要である。<もし聞き入れたら>、<兄弟>としての真実な交わりが得られる。

 不正な裁判をしてはならない。弱い者におもねり、また強い者にへつらってはならない。あなたの隣人を正しくさばかなければならない。人々の間を歩き回って、人を中傷してはならない。

(レビ19:15-16)

 あなたの隣人をねんごろに戒めなければならない。(中略)復讐してはならない。あなたの民の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。

(レビ19:17,18)

  2. ひとりかふたりの証人に確認してもらう

 <もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行き>、<証人>となってもらう。第三者を交えて客観的に<すべての言葉が確認されて>、公正な判断を下すことが大切である。謝罪や償い、処罰はその罪の重さに相応のものでなければならない。問題の放置や不正な裁きは、共同体の罪となる。

どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。もし、ある人に不正な証言をするために悪意のある証人が立ったときには、相争うこの二組の者は、主の前に、その時の祭司たちとさばきつかさたちの前に立たなければならない。さばきつかさたちはよく調べたうえで、その証人が偽りの証人であり、自分の同胞に対して偽りの証言をしていたのであれば、あなたがたは、彼がその同胞にしようとたくらんでいたとおりに、彼になし、あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。ほかの人々も聞いて恐れ、このような悪を、あなたがたのうちで再び行わないであろう。あわれみをかけてはならない。いのちにはいのち、目には目、歯には歯、手には手、足には足。

申命記19:15-21)

  3. 教会に訴える

 <それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げて>、問題の処理を委ねるべきである。教会内の問題は基本的に、聖書の教えと教会法に基づいて処理すべきである(罪刑法定主義)。世俗の公権力を優先して用いるべきではない。

あなたがたの中には、仲間の者と争いを起こしたとき、それを聖徒たちに訴えないで、あえて、正しくない人たちに訴え出るような人がいるのでしょうか。あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたは、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。それなのに、この世のことで争いが起こると、教会のうちでは無視される人たちを裁判官に選ぶのですか。私はあなたがたをはずかしめるためにこう言っているのです。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。それで、兄弟は兄弟を告訴し、しかもそれを不信者の前でするのですか。そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。

(第一コリント6:1-7)

  4. 教会戒規を執行する

 <教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように>扱うべきである。すなわち教会の戒告に応じない場合、陪餐停止・停職・免職・除名といった処分によって、その人を教会の交わりから除かなければならない。教会にはその権威と職責が神から委ねられている。

まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。

(マタイ18:18)

 処分の目的は、当人の悔い改めと教会の交わり・職務への回復である。そのために、私たちは共に祈るのである。

まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。

(マタイ18:19-20)

  

教会戒規

教会戒規

 
神と法と裁判と

神と法と裁判と

 

この小さい者たちのひとりを

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2018年3月11日 受難節第4主日 礼拝説教
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【聖書朗読】マタイの福音書18章1〜14節

マタイ 18.1-35

【説教題】「この小さい者たちのひとりを」金井 望 牧師

【中心聖句】

この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。(マタイ18:14)

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2018年3月11日礼拝説教

【説教要旨】

  1. 子どものように自分を低くする

 主イエスはペテロに「天国の鍵を授ける」と言われた(16:19)。彼が弟子の筆頭格であることは明らかだった。弟子たちは、神の国で誰が一番偉いのか、ということに強い関心を示した。すると、主イエスは意外なことを仰せになった。

まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。

 子どもは、社会的な地位や名声を持っておらず、低い立場に身を置いているので、自分の間違いを素直に認めて<悔い改め>ることができる。神の御前で罪を認めて、<自分を低くする>ことができなければ、人は天国に入ることができない。

  2. 子どもにつまずきを与えるな

 当時のユダヤ社会では、子どもの社会的な立場は低くくて、軽んじられていた。子どもは神殿やシナゴーグ(会堂)の礼拝に出ることができなかった。ところが主イエスは子どもを中心に置いて、こう仰せになった、

だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです」。

 彼らの守護天使はいつも天父の御顔を仰いでいる。天父は子どもたちを特別に愛しておられる。彼らを見下げてはならない。

  3. この小さい者たちのひとりを捜し求めよ

 羊飼いは<99匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけ…もし、いたとなれば…その人は迷わなかった99匹の羊以上にこの一匹を喜ぶ>。

このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません」。
 私たちも子どものように素直に悔い改めて、心へりくだり、小さき者たちを理解して受け入れ、共に主に従う者でありたい。