ダニエル書の世界観と神の民の倫理
旧約聖書の「ダニエル書」には、神の民の倫理に関して重要な事例が多数、記されている。この書は新バビロニア帝国、メディア王国、ペルシア帝国(アケメネス朝)に仕えたユダヤ人の歴史物語である。
これには歴史的な特殊性もあるが、神と国家権力と神の民、三者の関係について普遍的な原則を見出すこともできる。なにしろ、この預言書は、キリストの再臨と神の国の完成に至るまでの世界史における諸帝国の興亡を、予言しているのだから。
以下、ダニエル書の重要なテクストを引用しつつ、ダニエル書の世界観と神の民の倫理について考察してみたい。
1.ネブカデネザルの帝国とバビロン捕囚
時は紀元前7世紀の末、メソポタミアに強大な権力を誇る王が現れた。新バビロニア帝国の王ネブカデネザルである。彼は前605年にアッシリア帝国を滅ぼし、バビロン王に即位した。そして彼はカルケミシュの会戦でエジプト軍を全滅させた。ネブカデネザル王の支配はメソポタミアとシリアの全域に及んだ。
その年、ユダ王国の王エホヤキムの治世第3年(前605年)に、ネブカデネザルはエルサレムを攻略して、ユダヤの有力者たちをバビロンに捕囚として連行した。その中に4人の勝れた少年たちがいた。彼らの名前は、イスラエルの神である<主>に対する信仰の告白を表していたが、バビロンでは偶像に関係する名前に改められた。
<ダニエル>(神はさばきたもう)は<ベルテシャツァル>(彼の命を守りたまえ)に、<ハナヌヤ>(主は恵み深い)は<シャデラク>(アク神の命令)に、<ミシャエル>(神であられるのは誰か)は<メシャク>(だれがアクのような神か)に、<アザルヤ>(主は助けたもう)は<アベデ・ネゴ>(ネボ神に仕える者)となった。3年間の訓練を終えた4人は、王の前にはべることとなった。
2.王の夢を解き明かすダニエル
ネブカデネザル王は、治世の第2年(前604年)に特別な夢を見た。当時は、神々が夢によって人間に意思を伝えると、信じられていた。バビロンでは宮廷の先見者たちが、王の夢を解き明かす責任を担っていた。迷信深い王は直ちに彼らに説明を求めた。バビロンには大勢の呪術師と占星術師がいた。しかし、彼らは、その夢を説き明かすことが出来なかった。王は怒り、バビロンの知者をすべて殺そうとした。
ダニエルは、この危機的状況の中で適切な処置をとった。彼は王の侍従長アルヨクに、王の判決の説明を求めた。ダニエルは王のもとに行き、しばらくの時の猶予を求めて、許された。ダニエルは仲間たちと共に、夢の秘密を明らかにして下さるよう神に祈り求めた。
ネブカデネザルの夢の秘密が、夜の幻の中でダニエルに明らかにされた。彼は、それが何を意味するか、悟った。ダニエルは、賛美をもって感謝の思いを表現する。
神は季節と時を変え、王を廃し、王を立て、知者には知恵を、理性のある者には知識を授けられる。(2:20-21)
【原則1】 至高者なる神が計画性を持って、地上世界の歴史を支配しておられる。
【原則2】神が人間の国々の王を立て、また廃しておられる。真の神を知らない王においても、それは真実である。
ダニエルは王に、その夢を解き明かした。
あなたはあの金の頭です。(2:38)
新バビロニア帝国(前625年〜前539年)の王ネブカデネザル2世(在位前604年〜前562年)は強力な王であったが、彼の王朝は長く続かなかった。
あなたの後に、あなたより劣るもう一つの国が起こります。(2:39)
これは、メディアとペルシアが連合した帝国=アケメネス朝(前550年〜前330年)である。
次に青銅の第三の国が起こって、全土を治めるようになります。(2:39)
これは、マケドニアの王アレクサンドロス3世(在位前336年〜前323年)の大遠征によって、ギリシャ人が世界を支配することを意味する。大王の死後、帝国は分割された(アンティゴノス朝、セレウコス朝、プトレマイオス朝、他)。
第四の国は鉄のように強い国です。(中略)その国は鉄が打ち砕くように、先の国々を粉々に打ち砕いてしまいます。(2:40)
これはローマである。<鉄とどろどろの粘土が混じり合っている>(2:41)ように、ローマは多民族が混在する世界帝国を築いた。
この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。(2:44)
これは<一つの石>(2:45)=イエス・キリストによって地上に建てられた神の霊的王国、すなわちキリスト教会である。
ネブカデネザル王はひれ伏してダニエルに敬意を表し、こう言った。
まことにあなたの神は、神々の神、王たちの主、また秘密をあらわす方だ。(2:47)
王はダニエルを、バビロン全州を治める長官に任じた。ダニエルは王の宮廷で仕えることになる。
【原則3】国々を支配する皇帝も、神の主権の下にある。神の王権は永遠に続き、それは地上世界においても具体的に行使されている。
【原則4】神が国々に対して行われる介入によって、王と民は真の神を知る。
【原則5】地上のあらゆる国々、あらゆる言語の地域において、王も皇帝も民もすべての者が、真の神の主権を認めて、神を恐れ、神を讃え、神の御心に従って公義を行うべきである。それが神の願われることであり、御計画である。
さて、ネブカデネザル王は、バビロン郊外のドラの平野に巨大な金の像を造った。その高さは約27メートル、幅は約2.7メートルである。この時代には金の像がしばしば造られていた。ネブカデネザル王は、この像の奉献式に諸州のすべての高官たちを招集した。
そして、王は彼らに、笛や琴などの奏楽に合わせてひれ伏し、この像を拝むよう命じた。この帝国は、メソポタミアからシリア、キリキヤ、アラビヤ、ユダヤまで広がる多民族の連邦国家であった。政治的・文化的に多様性を持つこの帝国の国民を、宗教の力によって統一することを、王は願ったのである。
その命令を守らない者に厳罰が課せられることが、告げられた。
ひれ伏して拝まない者はだれでも、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。(3:6)
集まった者たちはみな王の命令どおりにした。しかし、ユダヤ人であるシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴだけは金の像を拝まなかった。あるカルデヤ人たちが、それを見て、彼らを王に訴えた。その訴えを聞いてネブカデネザル王は激怒し、その三人を呼び出した。王は彼らに言った。
あなたがたは私の神々に仕えず、また私が立てた金の像を拝みもしないというが、ほんとうか。もしあなたがたが、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときに、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよし。しかし、もし拝まないなら、あなたがたはただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう。(3:14-15)
シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは王に答えて言った。
もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。(3:17-18)
王は怒りに満ちて、炉を普通より7倍熱くし、彼らをその中に投げ込ませた。王は炉の中の様子を見てこう言った。
私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。(3:25)
王は彼らに命じた。
シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。いと高き神のしもべたち。すぐ出て来なさい。(3:26)
なんと、この三人は、炉に投げ入れられる前と、何ら変わるところがなかった。その第四の者は、天使と思われる。
ネブカデネザル王は、彼らの神をほめたたえて、言った。
諸民、諸国、諸国語の者のうち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神を侮る者はだれでも、その手足は切り離され、その家をごみの山とさせる。このように救い出すことのできる神は、ほかにないからだ。(3:29)
ネブカデネザル王は全国に布告を出した。
ネブカデネザル王が、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに書き送る。(中略)いと高き神が私に行なわれたしるしと奇蹟とを知らせることは、私の喜びとするところである。
そのしるしのなんと偉大なことよ。その奇蹟のなんと力強いことよ。
その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く。(4:1-3)
この後、三人はさらに重用され、彼らの宗教は国家公認となった。
【原則6】真の神を知る者は、日々神を礼拝し、神に祈り、神に仕えるべきである。他の神々に仕えてはならず、偶像を拝んではならない。生ける神は、神に従う者を守り、豊かに祝福してくださる。
4.獅子の穴で守られたダニエル
ネブカデネザル王の時代に大いに興隆した新バビロニア帝国であったが、大王の死後、王位が次々と代わり、ナボニドス王(在位前555年〜前539年)の時代に終焉を迎えた。彼は最後の10年間、アラビアに遠征したため、王子であったベルシャツァルが摂政として統治した。新バビロニア帝国は前539年にメド・ペルシアの連合軍によって滅亡する。ベルシャツァルは、バビロンが陥落した日の夜に殺害された。その後2年間<メディヤ人ダリヨス>(5:31)がバビロン王として国を治めた。
ダニエルはダリヨス王から非常に信頼されて、3人の大臣のひとりに任命された。そしてさらに首相に任命されようとしていた。すると、他の大臣や太守たちが彼をねたみ、陰謀を企てた。彼らは王に進言した。
国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、禁令として実施してくださることに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると。(6:7)
そこで、ダリヨス王はその禁令の文書に署名した。
ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。ーー彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていたーー。彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。(6:10 )
陰謀を企てた者たちは、それを見て確認した。そして彼らは、王の前に進み出て、訴えた。
ユダからの捕虜のひとりダニエルは、王よ、あなたとあなたの署名された禁令とを無視して、日に三度、祈願をささげています。(6:13)
王は非常に憂いて、ダニエルを救おうと努めたが、彼らは言った。
王よ。王が制定したどんな禁令も法令も、決して変更されることはない、ということが、メディヤやペルシヤの法律であることをご承知ください。(6:15)
そこで、王が命令を出すと、ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。王はダニエルに話しかけて言った。
あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。(6:16)
王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。その穴に近づくと、王は悲痛な声でダニエルに呼びかけた。
生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。(6:20)
ダニエルは王に答えた。
王さま。永遠に生きられますように。私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。(6:21-22)
王は非常に喜び、ダニエルをその穴から出せと命じた。そして、ダニエルを訴えた者たちを妻子とともに獅子の穴に投げ込ませた。獅子は彼らをかみ砕いた。
そのとき、ダリヨス王は、帝国に住むすべての民族、すべての言語の者たちに、次のように書き送った。
あなたがたに平安が豊かにあるように。私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇蹟を行ない、獅子の力からダニエルを救い出された。(6:25-27)
ダニエルは、ダリヨスの治世とペルシヤ帝国の王クロスの治世において、栄えた。
【原則7】真の神を知る者は、地上の王や皇帝を敬い、主君の代がいつまでも栄えることを願って、忠実に仕えるべきである。
【原則8】真の神を知る者は、王や皇帝の命令あるいは国の法令であっても、他の神々や偶像や人間などを神として礼拝してはならない。そのために自分の命を奪われるとしても、真の神以外の何ものも礼拝してはならない。
【原則9】真の神を知る者は、真の神を知らない、あるいは恐れない王や皇帝や民に対して、神の存在と主権と支配を証しすべきである。また、神の公義を行うようにと、勧告すべきである。
5.諸帝国の興亡とキリストの王国
第7章に進む。<バビロンの王ベルシャツァルの元年>(7:1)、紀元前553年のことである。<ダニエルは寝床で、一つの夢、頭に浮かんだ幻を見て、その夢を書きしるし、そのあらましを語った>(7:1)。
私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、四頭の大きな獣が海から上がって来た。(7:2)
これは神に逆らうカオス(混沌)の世界を象徴する(詩104:6-9参照)。
第1の獣は<獅子のようで、鷲の翼をつけていた>(7:4)。これは地上と空中を支配する。獣に人間の心が与えられた。
第2の獣は<熊に似た>もので、<その口のきばの間には三本の肋骨があった>(7:5)。
第3の獣は<ひょうのよう>で、その背には4つの鳥の翼があり、4つの頭があった(7:6)。
その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現われた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現われたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。(7:7-8)
<年を経た方>、すなわち永遠なる神が<座に着かれた>。<その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった>(7:9)。
この神の<さばきの>座は火の炎である。法廷の前に告訴された者たちの行為を記録した<文書が開かれた>(7:10)。
その獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれるのを見た。残りの獣は、主権を奪われたが、いのちはその時と季節まで延ばされた。(7:11-12)
続いて、メシアの預言がダニエルに与えられた。
私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。(7:13-14)
このメシア預言は次の聖書テクストに関係がある。マタイ25:31、26:64、マルコ10:45、14:62、ルカ17:24。
ダニエルは、神の御座の<かたわらに立つ>御使いの1人に、幻の解き明かしを求めた。そこで解き明かしが与えられた。
これら四頭の大きな獣は、地から起こる四人の王である。しかし、いと高き方の聖徒たちが、国を受け継ぎ、永遠に、その国を保って世々限りなく続く。(7:17-18)
<四頭の大きな獣>は、新バビロニア帝国、メド=ペルシア帝国、アレクサンドロス大王とギリシア人の支配する4つの帝国・地域、そしてローマ帝国である。一方で、メシアの王国,、すなわちキリスト教会が聖徒たちによって受け継がれていく。
第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。 十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。(7:23-27)
ローマ帝国の後には<十人の王>が立ち、<彼らのあとに、もうひとりの王が立つ>。これは終末時代に現れる反キリストである。最後に<さばき>が行われ、メシアの永遠の王国が確立する。
【原則10】現世の最後の時期に、<人の子>すなわちイエス・キリストが<天の雲に乗って来られる>。その時、死者は蘇り、全人類に対する最後の審判が行われる。永遠の命にあずかる者と永遠の地獄に入れられる者とが分けられる。命の書に記されている者はすべて救われる。
6.ペルシア帝国、ギリシア帝国、アンティオコス王
第8章。<ベルシャツァル王の治世の第3年>すなわち前551年に、ダニエルはエラム州の首都<シュシャン>(スサ)で第二の幻を見た。その幻の中でダニエルは、城の近くを流れるウライ川のほとりにいた。<一頭の雄羊が川岸に立っていた>。その<2本の角>は、一つがメディアで、もう1つの長い方はペルシアである。雄羊は<西や、北や、南の方へ突き進んで>いった。これはペルシア帝国(アケメネス朝)がエジプト、マケドニア、西インド、中央アジアにまで支配権を拡大する様子を表している。
次に登場する<雄やぎ>はギリシア帝国で、<著しく目だつ1本の角>はアレクサンドロス大王である。この雄やぎは、<二本の角を持つ雄羊に向かって来て、勢い激しく、これに走り寄った>。そして、<怒り狂って、この雄羊を打ち殺し、その二本の角をへし折った>。<雄やぎは雄羊を地に打ち倒し、踏みにじった>。前331年にアレクサンドロス大王が率いるギリシヤ帝国がペルシアを圧倒した。彼はその後、インダス川流域まで征服する。
<この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったときに、あの大きな角が折れた>。前323年にバビロンで、アレクサンドロス大王は熱病にかかり死んだ。32歳の若さであった。<そしてその代わりに、天の四方に向かって、著しく目だつ四本の角が生え出た>。大王の死後、ギリシア帝国は4人の将軍によって分割された。カッサンドロスはマケドニヤを、リュシマコスはアナトリアを、セレウコスはシリヤとメソポタミヤを、プトレマイオスはエジプトを支配した。
4つの角のうちの<1本の角から、また1本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった>。この<小さな角>はセレウコス朝シリヤの王アンティオコス・エピファネス、<南>はエジプト、<東>はペルシヤ方面、<麗しい国>はイスラエルを指す。アンティオコスは、エルサレムの神殿で、主への常供のささげ物を禁止し、異教の祭壇を築いて、主を冒涜した。
ダニエルは、天使ガブリエルによって、啓示を受けた。
見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。(中略)彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。彼は、あきれ果てるような破壊を行ない、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人手によらずに、彼は砕かれる。先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。これはまだ、多くの日の後のことだから。(8:19-26)
第10章に進む。<ペルシャの王クロスの第三年>、すなわち前535年にダニエルは神から啓示を受けた。祭司のごとく白い亜麻布の衣を着て、腰に金の帯を締めたひとりの人を、ダニエルは見た。この人は受肉以前の主イエスと思われる。この人が言った、
ぺルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をぺルシヤの王たちのところに残しておき、 終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。(10:10:14)
私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか。今は、ぺルシヤの君と戦うために帰って行く。私が出かけると、見よ、ギリシヤの君がやって来る。しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。あなたがたの君ミカエルのほかには、私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者はひとりもいない。(10:20-21)
【原則11】 地上の国々の興亡と統治には、天使たちが関与している。神に反抗する堕天使たち、すなわち悪魔・悪霊もその中に含まれている。ミカエルは、神の民を守って悪魔・悪霊と戦う天使の将軍である。
その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。
地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。
思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる」。(12:1-3)
【原則12】 現世の終わりの時代に、悪魔・悪霊に従う強力な王が立ち上がり、地上世界を支配する。彼は至高者なる神を冒涜し、聖徒たちをかつて無かったほどに激しく迫害する。しかし、ミカエルが立ち上がり、聖徒たちを救う。
【原則13】こうしてあるゆる世界のすべての国、すべての言語の人々がことごとく、キリストに仕えるようになる。その主権は永遠に続き、その王国は滅びることがない。神に仕える聖徒たちは栄光に輝く姿に化せられ、国を受け継ぎ、永遠にその国を保っていく。
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沖縄で悲劇を繰り返さなさいために
今、NHKオンデマンドで「ドキュメント沖縄戦」が無料で公開されています。
■ドキュメント沖縄戦
戦後70年にあたってNHK沖縄放送局が制作した、沖縄の地上戦の実態を克明に描き戦争とは何かを見つめ直したシリーズ。沖縄国際大学名誉教授の石原昌家さんが40年あまりにわたって記録した、住民の証言を収めたおよそ1000本のテープをもとに、およそ3か月にわたって続いた沖縄戦を、時系列に沿って描きました。沖縄本島各地の戦線で、住民たちは何を目撃し何を体験したのか。もうひとつの「沖縄戦 全記録」です。
2015年放送
(C)NHK
筆者は沖縄に行った時に、あちこちに遺骨が散在する洞窟を見て歩きました。地元の方々から、沖縄戦で起こったことについて説明を受けました。
激烈な地上戦において犠牲となられた沖縄の人々と日本軍の兵士に敬意と哀悼の意を表します。その犠牲の上に、今日の日本があることを忘れないようにしたく思います。
沖縄戦は1945年3月26日から始まり、5月末に第32軍首里司令部が陥落、7月2日に米軍は沖縄戦終了を宣言しました。沖縄における米軍の攻撃は極めて異常な激しさで、日本側の死者・行方不明者は18万人以上になりました。その異常な状況において、集団自決など悲惨な事態が各地で生じました。
沖縄戦の末期において、勝敗はすでに決しているのに、なぜ米軍は爆撃と火炎放射で沖縄を焼き尽くし、死者をどんどん増やしていったのか。また、なぜ米軍は日本本土で地上戦を行わず、空襲や原爆投下によって無差別に日本人を大量虐殺したのか。
その背景には、硫黄島をはじめ各地で経験した日本軍に対する恐怖感と憎悪、終戦の処理を米国に有利に持っていこうとする政治的意図など、諸々の要因が関係していました。
加えて、米軍による日本人大量虐殺の大きな背景としては、日本人をはじめとする有色人種に対する欧米人の差別意識があったのです。
昭和天皇の「終戦の詔書」(玉音放送)は、大東亜戦争の大義を明らかにしています。
朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非情の措置を以て時局を収拾しようと思い、ここに忠良なる汝ら帝国国民に告ぐ。
朕は帝国政府をして米英支ソ四国に対し、その共同宣言を受諾することを通告させたのである。そもそも帝国国民の健全を図り、万邦共栄の楽しみを共にするは、天照大神、神武天皇はじめ歴代天皇が遺された範であり、朕は常々心掛けている。先に米英二国に宣戦した理由もまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを切に願うことから出たもので、他国の主権を否定して領土を侵すようなことはもとより朕の志にあらず。しかるに交戦すでに四年を経ており、朕が陸海将兵の勇戦、朕が官僚官吏の精勤、朕が一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くすにかかわらず、戦局は必ずしも好転せず世界の大勢もまた我に有利ではない。こればかりか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、多くの罪なき民を殺傷しており、惨害どこまで及ぶかは実に測り知れない事態となった。しかもなお交戦を続けるというのか。それは我が民族の滅亡をきたすのみならず、ひいては人類の文明をも破滅させるはずである。そうなってしまえば朕はどのようにして一億国民の子孫を保ち、皇祖・皇宗の神霊に詫びるのか。これが帝国政府をして共同宣言に応じさせるに至ったゆえんである。
朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力した同盟諸国に対し、遺憾の意を表せざるを得ない。帝国国民には戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた者及びその遺族に想いを致せば、それだけで五内(ごだい、五臓)引き裂かれる。且つまた戦傷を負い、戦災を被り、家も仕事も失ってしまった者へどう手を差し伸べるかに至っては、朕が深く心痛むところである。思慮するに、帝国が今後受けなくてはならない苦難は当然のこと尋常ではない。汝ら国民の衷心も朕はよく理解している。しかしながら朕は時運がこうなったからには堪えがたきを堪え忍びがたきを忍び、子々孫々のために太平を拓くことを願う。
朕は今、国としての日本を護持することができ、忠良な汝ら国民のひたすらなる誠意に信拠し、常に汝ら国民と共にいる。もし感情の激するままみだりに事を起こし、あるいは同胞を陥れて互いに時局を乱し、ために大道を踏み誤り、世界に対し信義を失うことは、朕が最も戒めるところである。よろしく国を挙げて一家となり皆で子孫をつなぎ、固く神州日本の不滅を信じ、担う使命は重く進む道程の遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、道義を大切に志操堅固にして、日本の光栄なる真髄を発揚し、世界の進歩発展に後れぬよう心に期すべし。汝ら国民よ、朕が真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ。
太平洋戦争末期において米軍は、どれほど多くの日本の非戦闘員=民間人を大量虐殺したことでしょう。東京をはじめとする各地の大空襲、そして広島・長崎の原爆投下。沖縄の地上戦。これらこそ明らかに当時の国際法に違反する戦争犯罪です。
それなのに、米国の非を訴えずに、日本の非を訴える戦後の日本人! 米国による日本人のマインドコントロール=ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)の呪縛からもう解かれるべきではないでしょうか。
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム - Wikipedia
筆者は、国家神道や軍国主義、日本の軍隊がアジア太平洋諸地域で行った暴虐を肯定するつもりはありません。けれども、「アジア太平洋戦争(大東亜戦争)は、軍国日本によるアジア太平洋諸地域に対する侵略戦争だった」という単純な見方には同意できません。
大航海時代から500年にわたって続いた、欧米列強のアジア太平洋諸地域に対する帝国主義的な侵略という大きな歴史的文脈の中で、あの戦争の意味を考えるべきだと思うのです。その構図を理解しないで、帝国主義と結びついたキリスト教を自覚・反省せず、大日本帝国の「侵略」を非難するだけの日本キリスト教を、どうして日本人が受容できるでしょうか。
幕末の黒船来航以降、日本は欧米諸国と、①関税自主権が無い、②治外法権を認める、不平等な条約を結ばされました。そこで明治時代に政府は富国強兵を図り、欧米列強と対等の立場になって、条約改正を進めました。
太平洋戦争開戦には、対日石油禁輸や排日移民法など、日本人に対する米国の差別的な政策が大きく影響しました。日本にとって太平洋戦争は、英米に対する自衛戦争であった、とも言えるのではないでしょうか。
当時、アジアで欧米列強の植民地とならずに独立を守り通したのは、日本とタイだけでした。日本が自国の独立を守り、アジア太平洋諸地域の解放をめざしていたということも、一面の真実である、と私は理解しています。
あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書 (新潮新書)
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当時、日本が独立を支援した国々もあります。
◆孫文は日本に留学して、日本から中国大陸に向けて革命運動を開始しました。日本に来た中国人留学生は一万人以上に達していたのです。
◆ファン・ボイ・チャウを始めとするベトナムの青年たちも、日本の政治家の支援によって日本に留学して、独立運動を進めました。
◆マレーシアでも日本軍が訓練所を作って現地の若者たちを教育し、日本への留学制度を作って、独立運動を支援しました。
◆インドネシアでも日本軍が独立運動のために現地の青年たちを教育・訓練しました。日本の敗戦後も日本の兵士と民間人が1000人以上もインドネシアに残って、独立戦争でオランダ軍と戦いました。
◆太平洋戦争の時期はまだアジアの諸地域は独立する力が不足していましたが、戦後は次々と独立を果たしました。
それにしても、あの大戦において沖縄の人々に負わせてしまった甚大な犠牲、そして戦後ずっと負わせ続けてきた米軍基地の重荷は、我々ヤマトンチュも理解すべきですし、その軽減を課題とするのは当然でしょう。
ただし、沖縄で二度とあのような悲劇を起こさないように、必要な防衛力は今後も沖縄と他県に配備する必要があります。先島諸島に自衛隊が配備されたことは、重要な動きです。
米国も戦争において非道なことを数々行ってきましたが、それでも米国は民主主義の国であり、法治主義と人権が尊重されています。ところが、今、沖縄を侵略する危険性があると言われる中国では、民主主義・法治主義・人権が十分に尊重されているとは言えないでしょう。中国軍が沖縄に侵攻して、沖縄が占領・支配されたら、どれほど悲惨なことになるでしょうか。チベット、新疆ウイグル、内モンゴル、香港、福建省などを見れば、ある程度わかるでしょう。
東シナ海の海底調査によって、豊富な石油資源の存在が確認されたのは、1968年のことです。それ以降に、中国が尖閣諸島の領有権を主張するようになったのです。
防衛庁防衛研究所で約20年間、中国の軍事について研究を続けていた平松茂雄氏は、1970年代から「中国海軍が東シナ海に進展してくる」と警告を発していました。
実際、中国海軍は著しく軍拡を進めてきました。
中国の尖閣諸島へのプレッシャーは、大量の漁船、海警局の重装備巡視船(実質的に軍艦)、そしてついに海軍の空母、と意図的にレベルを上げてきました。
中国初の空母「遼寧」が昨年12月23日から24日まで、黄海や東シナ海で空中給油や戦術的な訓練を行っていました。
中国海軍は24日、遼寧を中心とする艦隊が西太平洋で訓練すると発表しました。中国の空母艦隊が遠洋訓練を行うのは、これが初めてです。
24日から26日にかけて、この空母艦隊は東シナ海を走り抜け、宮古海峡を通って太平洋に出て、台湾の東側を回り込み、南シナ海に入りました。
1月8日、中国共産党の機関紙「人民日報」と中国の国営テレビCCTVは、ほぼ同時に「中国の空母・遼寧は、遅かれ早かれ第二列島線に出航し、東太平洋に達する!」と報道した。
沖縄で悲劇を繰り返さなさいために、我々ヤマトンチュも沖縄と東シナ海で起こっていることを注視して、賢明な選択・言動をしたいものです。
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なぜ沖縄に海兵隊がいるのでしょうか?: 農と島のありんくりん
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日本伝道のブレイクスルー戦略(2)
[注]この論説は、日本イエス・キリスト教団 信徒局 教会教育室 が発行している『聖書教育教案誌 牧羊者』の「教師養成講座」に、筆者が連載している記事を転載したものです。
第2章 日本伝道の障壁
第1節 大正・昭和初期のリバイバル
筆者が牧会している神戸大石教会では、毎月CS教師会で教科書を用いて学習をしています。拙著『実を結ぶ教会学校』(改訂版)とパジェット・ウィルクス著『救霊の動力』(旧版)をこれまで少しずつ読んできました。昨年5月に『救霊の動力』の新版が発行されたので、水曜日の聖書研究祈祷会でも、これを少しずつ学んでいます。筆者は大学生の頃からこれを座右の書として何度も読んできましたが、読むたびに深く教えられ、心を奮い立たせられます。
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奇しくも神戸大石教会は、ウィルクス師が昭和6年(1931年)に日本で〈最後に力を打ち込んだ伝道〉、神戸・春日野の天幕伝道によって生まれた群れです(E・W・ゴズデン著『燃える心の使徒パゼット・ウィルクス』116頁)。その群れを長年守り育てた堀江博牧師は、児童伝道において用いられた器でした。堀江師が発行していた児童伝道新聞『みつかひ』と『おさなご』は教派を超えて広く用いられました。
大正時代から昭和初期にかけて日本伝道隊の宣教は、著しく発展しました。大正4年(1915年)に開館した湊川伝道館では、最初の半年間で85名の受洗者が与えられました(『日本伝道隊百年史』49〜50頁)。大正13年には、御影聖書学舎(現在の関西聖書神学校)が創立され、湊川伝道館ではこの年60名以上の受洗者が与えられました。筆者の祖父・濱口龍太郎もその一人でした。濱口の夫婦は、堀江師のご協力により神戸・加納町の自宅で児童伝道に励んでいました。
聖書学舎が塩屋の新校舎に移転した昭和5年には、湊川伝道館で100名以上の受洗者が与えられました。この大正・昭和初期に降った聖霊の火は、全国に拡大する「前進運動」となり、それによって生まれた群れの一部が昭和10年に「日本イエス・キリスト教会」となりました。日本イエス・キリスト教団の前身です。
第2節 救霊の研究
『救霊の動力』は、ウィルクス師が〈若い宣教師の日本人伝道を助けるために書いた〉教科書ですが、豊富な経験に裏付けられており、これに勝る日本伝道の指南書は無いと思います。
多くの人は、どのような分野であっても、注意深くかつ念入りな研究が成功に欠かせないことを心得ている。しかし、こと救霊の学問となると、ただ神学上の知識や、行き当たりばったりの散漫な研究によって習得できると思っているようである。もちろん、このような考え方では失敗に終わらざるをえない。異教国においてはきわめて難しい仕事であろうが、やり遂げられねばならない。(新版48頁)
このウィルクス師の忠告は今も有効です。
今日、キリスト教徒は、世界人口のおよそ3分の1を占めています。世界一の経済大国である米国では、キリスト教徒が人口の7割を占め、週に1回以上教会に行く人が5割近くいます。韓国では人口のおよそ3分の1がキリスト教徒です。中国は共産党の支配する国ですが、国家公認の教会だけでも6000万人以上、非公認の教会を加えれば1億人以上のキリスト教徒がいるようです。
ところが、日本ではキリスト教徒は人口の1パーセントしかいません。なぜ日本は、これほどキリスト教徒が少ないのでしょうか。大正・昭和初期の宣教の勢いは、なぜ続かなかったのでしょうか。
第3節 異教国日本
ウィルクス師は、日本が「異教国」であることについて注意深くあるように、と勧めています。
異教国に住む者は神を知らない。(中略)日本では、神とは、祭り上げられた偉人にすぎない。(同73頁)
人の心は非常に暗くされている。このことを悟っていただきたい。(同83頁)
異教徒の理性にある無知について可能な限り深く意識しておくことは非常に重要である。(中略)彼らは今も知らないし、今までも知らなかった。(中略)わたしたちが語りかけている人々は神の存在と善意と力についての初歩的な概念さえもっていない。(同84頁)
日本に最初に来た宣教師フランシスコ・ザビエルも1552年に書いた手紙で、ウィルクス師と同様のことを述べています。
日本の宗教は世界の創造について、つまり太陽や天や地や海などについて何も教えていません。ですから日本人はそういうものが自然に生まれてきたとばかり思っています。霊魂の創造者であり同時に父である方がたった一人おられ、万物はその方が創造されたのだということを聞いて彼らはびっくりしてしまいました。どうしてそんなに驚いたかというと、彼らの宗教の伝承では宇宙の創造主についてひと言も触れていないからです。(ピーター・ミルワード著、松本たま訳『ザビエルの見た日本』講談社学術文庫、87頁)
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ザビエルは最初、ラテン語とポルトガル語のDeus(デウス)を「大日」と訳しました。ところが「大日」が密教の奉ずる「大日如来」を指すことがわかると、これを撤回し、ラテン語そのままに「デウス」を用いることを主張しました。
第4節 カミ・神・GOD
『広辞苑』(第5版、岩波書店)には「神(かみ)」について次のように書かれています。
①人間を超越した威力を持つ、かくれた存在。人知を以てはかることのできない能力を持ち、人類に禍福を降すと考えられる威霊。人間が畏怖し、また信仰の対象とするもの。②日本の神話に登場する人格神。③最高の支配者。天皇。④神社などに奉祀される霊。⑤人間に危害を及ぼし、怖れられているもの。⑥キリスト教で、宇宙を創造して支配する、全知全能の絶対者。上帝。天帝〉。
キリスト教の伝来以前には、「宇宙を創造して支配する、全知全能の絶対者」という概念が無かったのです。
江戸時代の国学者、本居宣長は『古事記伝』第三巻で次のように述べています。
さて凡て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微とは云ふなり。
すなわち、古代日本においては、畏怖の対象となるものは何でも、「カミ」であったのです。それは人格的存在に限りません。雷や狐、狼、蛇、樹木、岩、泉、山、海であったりします。古代日本人にとって「カミ」は自然に感じられる神秘的な力に過ぎず、森羅万象のすべて、自然そのものが「カミ」であったのです。
神道の基底には、すべてのものに「タマ」(霊魂)が宿っているとするアニミズムがあります。「カミ」と「タマ」は、ほとんど同義でした。そこから、自然崇拝が生まれ、祖霊崇拝が生まれました。
紀元前3世紀頃に、日本列島でも水田稲作の農耕社会が成立しました。これは大陸からの渡来人が生み出した新しい社会です。それに伴って、農耕儀礼を中心とした宗教が現れました。神憑り状態になって超自然的存在=神、精霊、死者等と交流を行うシャーマニズムが大陸から伝わって、これに呪術的要素が加わりました。
紀元3世紀に近畿地方では、有力な豪族の連合によるヤマト王権が成立しました。そして、その王の権威を確立するために、神話と儀礼が整えられていきました。ヤマト王権は、大陸のシャーマニズムの影響を受けて、天に在る神々を祭り、オホキミ(天皇)は天の神アマテラスオホミカミ(天照大神)の子孫であるとして、垂直的な思考と社会的関係を確立したのです。
ヤマト王権は各地に、天皇の祖先を祀る神社と共に、征服した豪族を祀る神社も建てました。こうして水平的思考と垂直的思考が交錯したことから、神道の世界観は複雑化し、多様な神々を数知れず生み出していきました。
第5節 伴天連追放と帝国主義
日本宣教には歴史的に3回、大きなチャレンジがあったと言われます。最初は1549年のフランシスコ・ザビエル(イエズス会宣教師)の来日から始まったキリシタンの時代です。それからおよそ100年の間に日本に来た宣教師がおよそ300名いました。各地の大名は、ポルトガルとの貿易が利益をもたらしたため、宣教師を歓迎し、自らキリシタンとなる者もいました。17世紀初頭にはキリシタンの数は70万人以上に増加しました。
天下人・豊臣秀吉は1587年6月18日に伴天連(バテレン。宣教師)追放令を発布しました。これには、ポルトガル商人による日本人奴隷の売買を禁じた規定があります。
「大唐、南蛮、高麗え日本仁を売遣候事曲事。付、日本におゐて人之売買停止之事。 右之条々、堅く停止せられおはんぬ、若違犯之族之あらば、忽厳科に処せらるべき者也」(伊勢神宮文庫所蔵「御朱印師職古格」)
デ・サンデ著『天正遣欧使節記』日本語版の「対話14 ヨーロッパにおいてふつう行われる海戦の有様について」227頁に、世界各地に売られた日本人奴隷を少年使節が見たと記されています。豊臣秀吉がバテレンを追放したのは、ポルトガルやスペインによって日本が侵略されて、日本人が奴隷として海外に売られる恐れがあったからです。
欧州の列強によるアフリカ、アジア、南北アメリカ、オセアニアの侵略と植民地支配が始まったのは、15世紀です。それを是認したのはローマ教皇庁でした。
第6節 壇家制度と五人組
キリシタンは封建秩序を脅かす存在だと江戸幕府は考えて、禁教政策を行いました。江戸幕府は初期には、朱印船貿易を盛んに行っていましたが、欧州列強の侵略を恐れて、鎖国に転じました。烈しい迫害によって殉教したキリシタンの数は、20~30万人と言われます。
幕府は、すべての家にいずれかの仏教寺院の檀家となることを強制し、寺院に檀家がキリシタンでないことを証明する宗旨人別帳を作らせ、仏壇の無い家は邪宗門として告発させました。そして、民衆がキリシタンにならぬよう相互に監視する連座制のシステム「五人組」を組織しました。檀家制度と五人組の影響は今でも残っています。
第7節 カクレキリシタン
江戸幕府によってキリシタンが禁教とされた後も230年間、潜伏キリシタンはオラショ(祈祷)を口伝えで継承しました。しかし、その意味は失われてしまいました。
明治維新によってキリシタン禁教令が解かれた後も、ローマ・カトリック教会に戻らないで、独自の信仰を守った人たちがいます。それがカクレキリシタンです。今でも長崎県の五島地方と外海地方、生月島にはカクレキリシタンが千人ほどいます。
彼らは掛軸に表装した、日本的な姿をしたキリスト、マリヤ、諸聖人、殉教者などを描いた「御前様」を崇拝し、すでに意味内容が失われたオラショ(祈祷文)を呪文のように唱えています。
生月島のオラショには「神寄せ」があり、50体あまりの神様をお呼びするといいます。ミサの代わりに御神酒と刺身が出されます。彼らが呼びかけるデウス、ゼスキリスト、サンタマリヤなどがいかなる存在か、理解はほとんどありません。彼らの宗教はもはやキリスト教とは言えないものです。
遠藤周作は小説『沈黙』の中で重要な問題提起をしています。この小説の中で、元・イエズス会宣教師フェレイラ(棄教して沢野忠庵と改名)は次のように語っています(新潮文庫 pp.190〜193抜粋)。
この国の者たちがあの頃信じたものは我々の神ではない。彼等の神々だった。それを私たちは長い長い間知らず、日本人が基督教徒になったと思いこんでいた。
基督教の神は日本人の心情の中で、いつか神としての実体を失っていった。
日本人はこれまで神の概念はもたなかったし、これからももてないだろう。日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない。日本人は人間を超えた存在を考える力も持っていない。
日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だがそれは教会の神ではない。
私にはだから、布教の意味はなくなっていった。たずさえてきた苗はこの日本とよぶ沼地でいつの間にか根も腐っていった。私はながい間、それに気づきもせず知りもしなかった。
切支丹が亡びたのはな、お前が考えるように禁制のせいでも、迫害のせいでもない。この国にはな、どうしても基督教を受けつけぬ何かがあったのだ。
江戸中期以降、日本の古典を研究し、純日本的精神を追究する国学が発達する中で、日本固有の神道を復元しようとする動きが起こりました(復古神道)。本居宣長と平田篤胤が中心人物です。
平田はキリスト教を研究し、それを神道に応用して、彼の神学=平田神道を形成しました。平田の没後、復古神道の信奉者が激増し、これが尊王攘夷・明治維新の原動力になりました。
明治維新によって、天皇を現人神とする国家神道が、大日本帝国の中心的な原理となりました。それが大正時代を経て、昭和20年の終戦まで続きました。
第9節 キリスト教の解禁と迫害
幕末にカトリック教会は、朝鮮と琉球で日本への再進出の準備を進め、開国後直ちに宣教師が来日しました。明治政府は欧米諸国との交流を進めるため、キリスト教を解禁しました。プロテスタントの宣教師も続々来日し、各地に教会や学校を建てて宣教しました。聖書和訳の事業が盛んに行われました。
しかし、ドイツを中心として欧米に広がった新神学(自由主義神学)が、1889(明治22)年頃から日本の牧師や信徒に広がり、福音主義の信仰を損ねていきました。これは、科学を信頼して、超自然的な聖書の記述を認めず、歴史的な信条を告白しない立場・運動です。
バークレー・バックストン師が英国から純粋な福音主義・リバイバル運動の「活ける水」「燃える炎」を持って来日したのは、ちょうどその最中、1890(明治23)年です。
その後、日本人の中から無教会の内村鑑三やクエーカーの新渡戸稲造、救世軍の山室軍平、社会運動家の賀川豊彦など、日本社会に大きなインパクトを与える指導者が輩出しました。
1941(昭和16)年6月に、政府の政策によって日本のほとんどの教会が「日本基督教団」に統合され、戦争に協力することとなりました。教会でも御真影(天皇の肖像写真や肖像画)が掲げられ、宮城遥拝が為されました。
日本が米国や英国と戦った太平洋戦争の時代には、キリスト教は敵性宗教と見なされ、キリスト者は迫害を受けました。特に朝鮮での迫害は激しいものでした。本土でもホーリネス教会の牧師等が戦時中に弾圧されて、殉教する者が出ました。
第10節 進化論・唯物論・世俗化
1945(昭和20)年8月に、日本が米国を中心とする連合国に降伏して、太平洋戦争は終結しました。戦後、進駐軍GHQが主導した改革によって、主権在民=民主主義を基本とする日本国憲法が制定されました。憲法によって信教の自由が保障されました。
戦後しばらくの間、欧米から大勢の宣教師が来日して、教会に大勢の人が集まりました。しかし、キリスト教ブームはやがて沈静化しました。
戦後教育によって、進化論と唯物論の世界観が、日本人に浸透しました。ーー科学は万能であり、技術革新が豊かな生活をもたらすーーと信じる楽観的な科学信仰と進歩主義が蔓延しました。
日本のプロテスタント主流派では、日米安保体制に反対する社会派の過激な運動が盛んになり、大きな混乱が続きました。
高度経済成長によって日本は世界でトップクラスの経済大国となり、プラグマティズム(実用主義)と拝金主義が広まりました。これは若者たちにも浸透しました(世俗化)。
第11節 カルト問題・宗教多元主義
1960年代後半にアメリカの若者に広がったカウンターカルチャー(反体制的な対抗文化)の一部で、70年代以降、ニューエイジ的な新興宗教が盛んになり、「スピリチュアル」なものが流行しました。
日本では、オウム真理教が、1989年11月に坂本弁護士一家殺害事件、1994年6月に松本サリン事件、1995年3月に地下鉄サリン事件を起こして、世界を震撼させました。これによって、多くの日本人が、「宗教は怖い」というイメージを、持つようになりました。
ポストモダンの現代では「唯一」「絶対」なるものが否定され、一神教に反対する宗教多元主義が広く支持されるようになりました。そもそも日本は多神教の国ですが、「宗教の違いは、同じ山を違う道から登っているようなものだ。結局、行き着く先は同じだ。自分の宗教だけが本物だなんて主張するな」というわけです。それは本当でしょうか?
キリストは仰せになりました。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(新改訳ヨハネ14・6)
どんな宗教でも救われるか―福音的キリスト教信仰と宗教多元主義
次回は、このような伝道の障壁の突破について、学びましょう。