序、福音派と共産党の共闘?
最近、共産党系の団体や人々と行動を共にする福音派のクリスチャンが多いことに、私は疑問を感じています。「たまたま共通の目標があったから、共闘しているんだ」ということなら理解できなくもないのですが、主張している内容や用語まで彼らと同じだったり、似ていたりします。キリスト教の集会の案内ちらしとかキリスト教系の新聞とかで、そんなものを見かけるものですから、「あれれれ、どうなってるの?」と心配になるわけです。本稿では、共産主義や社会主義とキリスト教の関係について、考え方を整理してみようと思います。
1.マルクス主義と社会民主主義の違い
「共産主義」は「マルクス主義」や「マルクス・レーニン主義」とほとんど同義ですが(例外も無きにしも非ず)、「社会主義」はマルクス以前から存在しており、多種多様な思想です。マルクスとエンゲルスは自分たちの政治経済理論を「科学的社会主義」と呼び、それ以外の社会主義を「空想的(ユートピア)社会主義」と呼びました。
その後者の主たるものは、正統的なキリスト者が中心となって生まれ、発展した思想・運動です。それは現代では「キリスト教社会主義」や「社会民主主義」と呼ばれています。キリスト教社会主義や社会民主主義の政党は、共産党が非合法の国にも存在していて、政権も担っています。
共産主義と社会民主主義には次のような根本的な違いがあります。
(1) 共産主義がヘーゲル左派の影響を受けた反キリスト教的世界観を基礎とするのに対して、社会民主主義には正統的・福音的なキリスト教の影響があります。
(2) 前者は人類の歩みを階級闘争の歴史と見る唯物史観をベースにしますが、後者はキリスト教的あるいはヒューマニズム的な友愛・互助・慈善の精神をベースにします。
(3) 前者は共産党の「前衛主義」であり、基本的に一党独裁かそれに近い体制を目指しています。後者は複数政党制の議会制民主主義を重視します。
(4) 経済システムとしては、前者は生産手段の私有の禁止=国家による統制管理であり、後者は私有制を認めて税負担を重くします。
(5) 前者の運動がめざすのは実力行使による革命です。後者の運動は、選挙によって議会で多数派となって社会を改良することをめざす民主的で平和的なものです。
2.マルクス主義の根本問題
「持っている者はさらに与えられ、持っていない者は持っている物までも取り上げられる」。これが資本主義の現実です。マルクスによる近代資本主義の分析は、経済学としては妥当性があり、有効なものです。
マルクスの理論を応用したウォーラーステインの近代世界システム論は、勝れたものです。中心ー半周縁ー周縁という経済の構造とダイナミズムは、今日でもよく援用されます。
しかし、人類の歴史を「階級闘争の歴史」と定義するマルクスの世界観=唯物史観には根本的に問題があります。それは、ダーウィンの進化論と同様に、近代合理主義が生み出した時代の産物です。
マルクスの唯物史観=史的唯物論の基礎を成す世界観は、物質が精神の根源である。人間の精神や意識は肉体という物質の活動から生まれたものである。神は人間の本性の反映であるーーという唯物論であり、無神論です。
「人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである」(マルクス著『経済学批判』序言)

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マルクス主義は、キリスト教徒が受け入れることのできない真逆の思想です。
ヘーゲル左派とりわけフォイエルバッハの思想的影響を受けたマルクスは、人間の能力によって「神の国」ならぬ共産主義社会を実現できると考えたのです。その根拠とされた人間理性への信頼が崩壊したのが、このポスト・モダンの時代です。
ヘーゲル左派の宗教攻撃 - Quartodecimanium Memo
マルクス主義者がめざす社会主義革命とは、資本主義社会を構成するすべての権力を打倒して、すべての権力と資本と国民を共産党の支配下に置くものです。見方によっては、国家・企業・農地等の乗っ取り・強奪と言えるでしょう。プロレタリアート独裁による社会主義の国家を実現しようとするマルクス主義の革命運動は、武力無しには進みません。
マルクス/エンゲルス著『共産党宣言』(1848年)には、はっきりとこう書かれています。
「共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する」。(岩波文庫版より引用)
20世紀の社会主義経済は、資本主義経済よりも効率が悪くて、環境汚染がひどい状態でした。今も中国の環境汚染が、ひどい状態になっています。「豊かな社会」を実現した資本主義の方が環境問題が深刻だ、とは言えません。
マックス・ウェーバーは『社会主義』と題した講演で、社会学的な分析を示して、マルクス主義にはシステムとして致命的な問題があることを指摘しました。国家が社会のすべてを統制管理するとなると、官僚組織が恐ろしく肥大化し、非効率的であるため、自滅する他ないのです。ウェーバーは1918年にすでに、20世紀末の社会主義諸国崩壊を予見していたと言ってよいでしょう(その講演は講談社学術文庫に収録されています)。
3.日本は「世界で最も成功した社会主義国」?
戦後日本は、ケインジアンの影響もあって、政府・行政機関が経済政策と公共政策をリードして、「世界で最も成功した社会主義国」と言われる高度な福祉社会を築き上げました。諸外国がうらやむ国民皆保険の安全安心社会を築いたわけです。
自民党政権が長続きしているのは、巧みに「社会主義」から「社会福祉」「社会保障」の知恵を学び取って、バランスの良い政策を実行してきたからです。自民党のリベラル勢力は弱くなりましたが、その分、今は公明党がバランスをとる役割を果たしています。うまい具合にやっているから、幅広い国民の支持を得て、選挙で勝てるわけです。
そういえば、日本の国旗は、真ん中が真っ赤、周りが真っ白ですね。アメリカもイギリスもドイツもフランスもスペインもイタリアも、国旗に「赤」が入っています!
冗談はさておき、イデオロギーではなくて、経済システムとしては、公共の福祉を重視する社会主義の原理や手法も取り込むと良いのでしょう。
4.現代資本主義の限界と文明論的な大転換
近年、経済学の世界では、現代資本主義の限界と文明論的な大転換の必然性を説く経済学者が次々と登場しています。正村公宏、中谷巌、佐伯啓思、水野和夫などです。
資本主義がダメなら、社会主義か? そんなに単純な話ではありません。資本主義は市場・交換・貨幣の歴史と共に古いもので、普遍性があります。水野和夫氏などが指摘しているのは、近代資本主義の限界です。
我々は現代の危機を乗り越えて、持続可能な経済社会を築かなければなりません。それには、もっと大きな文明史観が必要なのです。カール・ポランニーの経済人類学や岩田昌征のトリアーデ体系、あるいは環境考古学、エコロジー経済学等は、その知恵を与えてくれるものだと、と私は考えています。

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出典 : 岩田昌征著『労働者自主管理』紀伊國屋書店,1978年
出典:岩田昌征著『凡人たちの社会主義(ユーゴスラヴィア・ポーランド・自主管理)』(筑摩書房)1985年
カール・ポランニーの経済人類学や岩田昌征のトリアーデ体系は、次のことを示しています。
ーー資本主義の基本原理である「交換」も、国家社会主義の基本原理である「再分配」も、自主管理社会主義の基本原理である「互酬」も、人類社会における普遍的な原理であって、何処の経済社会もこの三つの原理を内包している。
そもそも「資本主義か社会主義か」という二項対立の枠組み・思考そのものが、間違っています。現代の資本主義経済も社会主義経済も混合経済であって、両者の違いは比重の違いに過ぎません。
イデオロギーの時代はもう終わりにして、トリアーデ体系を応用して経済社会システムの最適化を図ることが良いのではないでしょうか。
5.新しいマルクスの解釈
柄谷行人は『可能なるコミュニズム』太田出版(2000年)9頁でこう述べています。
<ここでマルクスがいうコミュニズムとは、アソシエーショニズムのことである。つまり、生産者ー消費者協同組合のグローバルなアソシエーションによって、資本と国家を揚棄することである。いうまでもなく、それは、コミュニズムを国家的統制経済だと見なす通念とは、まったく無縁である>
確かに、共産主義社会は国家と階級の無い社会です。その重要な担い手となるのは、協同組合やNPO法人、社会福祉法人、財団法人などの公益法人や市民団体、いわゆる「市民セクター」でしょう。
cpri.jp
私は大学の卒業論文で、エコロジー運動において協同組合などの市民セクターが果たす役割について、研究しました。そして、最も活発に活動している生活クラブ生協・神奈川で3年間働きました。その生協は消費生活協同組合ですが、全国各地の生産者、さらに海外の生産者とも直結する産直運動を展開しています。そして、ワーカーズ・コレクティブ(労働者協同組合)を次々に生み出して、生協の配達や福祉施設の運営なども女性たちが担うようになりました。
生活クラブは共産党系ではありませんので、独自のネットワーク運動で政治活動を行っています。
もし日本共産党がめざす共産主義社会が地域内自給・地域内循環を基本とする協同市民社会であれば、これはエコロジー運動が目指している循環型社会に近いかもしれません。それはグローバリズムの対極です。
ただし、日本共産党は社会主義革命路線を捨てたわけではありません。綱領の表現は変わりましたが、不破哲三氏いわく「マルクスは生きている」のですから。
資本主義国が社会主義国に変わるには、現体制を根底から覆す革命が必要であり、それを主導するのは共産党である。社会主義革命が全世界で成功した先に、共産主義社会が成立するーーという基本的な理論は変わっていないのです。
日本共産党が、マルクスとエンゲルスの定義した「共産党」「共産主義」と異なる路線に変更するのなら、党名と綱領を変更すべきでしょう。
6.共産主義社会か神の王国か
興味深いことに、カール・マルクスの父方も母方も、代々ユダヤ教のラビ(教師)を務めていた家系です。マルクスの唯物史観は、聖書の歴史観の唯物論的改造版でしょう。マルクスば、高度に発達した資本主義の国が社会主義国に変わり、それが共産主義社会に発展するのは、歴史的必然だと言います。これにはヘーゲル哲学の影響もありますが、歴史に必然的な帰結があるという考え方はまさに一神教です。
◆以下、Wikipediaから引用
マルクス家は代々ユダヤ教のラビであり、1723年以降にはトリーアのラビ職を世襲していた。マルクスの祖父マイヤー・ハレヴィ・マルクスや伯父ザムエル・マルクス(ドイツ語版)もその地位にあった。父ハインリヒも元はユダヤ教徒でユダヤ名をヒルシェルといったが、彼はヴォルテールやディドロの影響を受けた自由主義者であり、1812年からはフリーメーソンの会員にもなっている。そのため宗教にこだわりを持たず、トリーアがプロイセン領になったことでユダヤ教徒が公職から排除されるようになったことを懸念し、1816年秋(1817年春とも)にプロイセン国教であるプロテスタントに改宗して「ハインリヒ」の洗礼名を受けた。母方のプレスボルク家は数世紀前に中欧からオランダへ移民したユダヤ人家系であり、やはり代々ラビを務めていた。母自身もオランダに生まれ育ったので、ドイツ語の発音や書くことに不慣れだったという。彼女は夫が改宗した際には改宗せず、マルクスら生まれてきた子供たちもユダヤ教会に籍を入れさせた。
ところが、マルクスは、社会主義国がどうしたら共産主義社会に発展できるのか、その肝心なプロセスについては説いていません! なにしろ、共産主義社会というのは、国家や階級が無い状態です。国家社会主義の国を築き上げて、特権階級と化した共産党が、その絶大な国家権力を自己否定できるのでしょうか?
マルクスが夢見た共産主義社会は、聖書のに記されている「新天新地」=完成された「神の王国」の真似でしょう。マルクスは若い頃に、彼自身のキリスト信仰を表した著作を残しています。ところが、彼はその信仰を捨てて、人間の能力によって共産主義社会を築こうとしたのです。否、その実体は神に反抗する悪魔の力に他なりません。

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結び
私は、人間の罪性の深さを思うと、国家権力はキリストの再臨=直接的統治まで無くすことはできない、と思います。国家(行政機関)と私企業と市民セクターの三種が、適材適所でバランスよく役割分担をする社会が、健全な社会だ、と考えます。
かつての帝国主義、そして今日の強力なグローバリズムは、このバランスを崩し、地域の自立的な経済や生態系や伝統文化を破壊する危険性があります。
我々は、キリスト者として、国民・市民・地域生活者として、賢明な判断と行動によって、良きものを守っていきましょう!
<参考>
◆孝橋正一著「マルクス主義の宗教批判とキリスト教、仏教」
『社會問題研究』1964, 14(3), p.1-45 大阪府立大学
Issue Date 1964-08-01
http://hdl.handle.net/10466/7370
◆宮地健一のホームページ