KANAISM BLOG ー真っ直ぐに行こうー

聖書のメッセージやキリスト教の論説、社会評論などを書いています。

日本伝道のブレイクスルー戦略(2)

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[注]この論説は、日本イエス・キリスト教団 信徒局 教会教育室 が発行している『聖書教育教案誌 牧羊者』の「教師養成講座」に、筆者が連載している記事を転載したものです。

日本イエス・キリスト教団 信徒局 教会教育室

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  第2章 日本伝道の障壁

 

  第1節 大正・昭和初期のリバイバル

 

 筆者が牧会している神戸大石教会では、毎月CS教師会で教科書を用いて学習をしています。拙著『実を結ぶ教会学校』(改訂版)とパジェット・ウィルクス著『救霊の動力』(旧版)をこれまで少しずつ読んできました。昨年5月に『救霊の動力』の新版が発行されたので、水曜日の聖書研究祈祷会でも、これを少しずつ学んでいます。筆者は大学生の頃からこれを座右の書として何度も読んできましたが、読むたびに深く教えられ、心を奮い立たせられます。

パゼット・ウィルクス - Wikipedia

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改訂増補版 救霊の動力 【いのちのことば社のオンライン通信販売サイト ゴスペルショップ(Gospel Shop)インターネット店】


 奇しくも神戸大石教会は、ウィルクス師が昭和6年(1931年)に日本で〈最後に力を打ち込んだ伝道〉、神戸・春日野の天幕伝道によって生まれた群れです(E・W・ゴズデン著『燃える心の使徒パゼット・ウィルクス』116頁)。その群れを長年守り育てた堀江博牧師は、児童伝道において用いられた器でした。堀江師が発行していた児童伝道新聞『みつかひ』と『おさなご』は教派を超えて広く用いられました。

ヒストリー - 神戸大石教会 公式サイト


 大正時代から昭和初期にかけて日本伝道隊の宣教は、著しく発展しました。大正4年(1915年)に開館した湊川伝道館では、最初の半年間で85名の受洗者が与えられました(『日本伝道隊百年史』49〜50頁)。大正13年には、御影聖書学舎(現在の関西聖書神学校)が創立され、湊川伝道館ではこの年60名以上の受洗者が与えられました。筆者の祖父・濱口龍太郎もその一人でした。濱口の夫婦は、堀江師のご協力により神戸・加納町の自宅で児童伝道に励んでいました。

 聖書学舎が塩屋の新校舎に移転した昭和5年には、湊川伝道館で100名以上の受洗者が与えられました。この大正・昭和初期に降った聖霊の火は、全国に拡大する「前進運動」となり、それによって生まれた群れの一部が昭和10年に「日本イエス・キリスト教会」となりました。日本イエス・キリスト教団の前身です。

日本イエス・キリスト教団(JCCJ)

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  第2節 救霊の研究

 

 『救霊の動力』は、ウィルクス師が〈若い宣教師の日本人伝道を助けるために書いた〉教科書ですが、豊富な経験に裏付けられており、これに勝る日本伝道の指南書は無いと思います。

多くの人は、どのような分野であっても、注意深くかつ念入りな研究が成功に欠かせないことを心得ている。しかし、こと救霊の学問となると、ただ神学上の知識や、行き当たりばったりの散漫な研究によって習得できると思っているようである。もちろん、このような考え方では失敗に終わらざるをえない。異教国においてはきわめて難しい仕事であろうが、やり遂げられねばならない。(新版48頁)

 このウィルクス師の忠告は今も有効です。

 

 今日、キリスト教徒は、世界人口のおよそ3分の1を占めています。世界一の経済大国である米国では、キリスト教徒が人口の7割を占め、週に1回以上教会に行く人が5割近くいます。韓国では人口のおよそ3分の1がキリスト教徒です。中国は共産党の支配する国ですが、国家公認の教会だけでも6000万人以上、非公認の教会を加えれば1億人以上のキリスト教徒がいるようです。

 ところが、日本ではキリスト教徒は人口の1パーセントしかいません。なぜ日本は、これほどキリスト教徒が少ないのでしょうか。大正・昭和初期の宣教の勢いは、なぜ続かなかったのでしょうか。

 

  第3節 異教国日本

 

 ウィルクス師は、日本が「異教国」であることについて注意深くあるように、と勧めています。

異教国に住む者は神を知らない。(中略)日本では、神とは、祭り上げられた偉人にすぎない。(同73頁)
人の心は非常に暗くされている。このことを悟っていただきたい。(同83頁)
異教徒の理性にある無知について可能な限り深く意識しておくことは非常に重要である。(中略)彼らは今も知らないし、今までも知らなかった。(中略)わたしたちが語りかけている人々は神の存在と善意と力についての初歩的な概念さえもっていない。(同84頁)

日本に最初に来た宣教師フランシスコ・ザビエルも1552年に書いた手紙で、ウィルクス師と同様のことを述べています。

日本の宗教は世界の創造について、つまり太陽や天や地や海などについて何も教えていません。ですから日本人はそういうものが自然に生まれてきたとばかり思っています。霊魂の創造者であり同時に父である方がたった一人おられ、万物はその方が創造されたのだということを聞いて彼らはびっくりしてしまいました。どうしてそんなに驚いたかというと、彼らの宗教の伝承では宇宙の創造主についてひと言も触れていないからです。(ピーター・ミルワード著、松本たま訳『ザビエルの見た日本』講談社学術文庫、87頁)

ザビエルの見た日本 (講談社学術文庫)

ザビエルの見た日本 (講談社学術文庫)

 

  ザビエルは最初、ラテン語ポルトガル語のDeus(デウス)を「大日」と訳しました。ところが「大日」が密教の奉ずる「大日如来」を指すことがわかると、これを撤回し、ラテン語そのままに「デウス」を用いることを主張しました。

 

  第4節 カミ・神・GOD

 

 『広辞苑』(第5版、岩波書店)には「神(かみ)」について次のように書かれています。

①人間を超越した威力を持つ、かくれた存在。人知を以てはかることのできない能力を持ち、人類に禍福を降すと考えられる威霊。人間が畏怖し、また信仰の対象とするもの。②日本の神話に登場する人格神。③最高の支配者。天皇。④神社などに奉祀される霊。⑤人間に危害を及ぼし、怖れられているもの。⑥キリスト教で、宇宙を創造して支配する、全知全能の絶対者。上帝。天帝〉。

 キリスト教の伝来以前には、「宇宙を創造して支配する、全知全能の絶対者」という概念が無かったのです。

 江戸時代の国学者本居宣長は『古事記伝』第三巻で次のように述べています。

さて凡て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微とは云ふなり。

 すなわち、古代日本においては、畏怖の対象となるものは何でも、「カミ」であったのです。それは人格的存在に限りません。雷や狐、狼、蛇、樹木、岩、泉、山、海であったりします。古代日本人にとって「カミ」は自然に感じられる神秘的な力に過ぎず、森羅万象のすべて、自然そのものが「カミ」であったのです。

 神道の基底には、すべてのものに「タマ」(霊魂)が宿っているとするアニミズムがあります。「カミ」と「タマ」は、ほとんど同義でした。そこから、自然崇拝が生まれ、祖霊崇拝が生まれました。

 紀元前3世紀頃に、日本列島でも水田稲作の農耕社会が成立しました。これは大陸からの渡来人が生み出した新しい社会です。それに伴って、農耕儀礼を中心とした宗教が現れました。神憑り状態になって超自然的存在=神、精霊、死者等と交流を行うシャーマニズムが大陸から伝わって、これに呪術的要素が加わりました。

 紀元3世紀に近畿地方では、有力な豪族の連合によるヤマト王権が成立しました。そして、その王の権威を確立するために、神話と儀礼が整えられていきました。ヤマト王権は、大陸のシャーマニズムの影響を受けて、天に在る神々を祭り、オホキミ(天皇)は天の神アマテラスオホミカミ(天照大神)の子孫であるとして、垂直的な思考と社会的関係を確立したのです。

 ヤマト王権は各地に、天皇の祖先を祀る神社と共に、征服した豪族を祀る神社も建てました。こうして水平的思考と垂直的思考が交錯したことから、神道の世界観は複雑化し、多様な神々を数知れず生み出していきました。

日本の神々 (岩波新書)

日本の神々 (岩波新書)

 

 

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  第5節 伴天連追放と帝国主義

 

 日本宣教には歴史的に3回、大きなチャレンジがあったと言われます。最初は1549年のフランシスコ・ザビエルイエズス会宣教師)の来日から始まったキリシタンの時代です。それからおよそ100年の間に日本に来た宣教師がおよそ300名いました。各地の大名は、ポルトガルとの貿易が利益をもたらしたため、宣教師を歓迎し、自らキリシタンとなる者もいました。17世紀初頭にはキリシタンの数は70万人以上に増加しました。

 天下人・豊臣秀吉は1587年6月18日に伴天連バテレン。宣教師)追放令を発布しました。これには、ポルトガル商人による日本人奴隷の売買を禁じた規定があります。

「大唐、南蛮、高麗え日本仁を売遣候事曲事。付、日本におゐて人之売買停止之事。 右之条々、堅く停止せられおはんぬ、若違犯之族之あらば、忽厳科に処せらるべき者也」(伊勢神宮文庫所蔵「御朱印師職古格」)

 デ・サンデ著『天正遣欧使節記』日本語版の「対話14 ヨーロッパにおいてふつう行われる海戦の有様について」227頁に、世界各地に売られた日本人奴隷を少年使節が見たと記されています。豊臣秀吉バテレンを追放したのは、ポルトガルやスペインによって日本が侵略されて、日本人が奴隷として海外に売られる恐れがあったからです。

デ・サンデ天正遣欧使節記 (異國叢書)

デ・サンデ天正遣欧使節記 (異國叢書)

 

  欧州の列強によるアフリカ、アジア、南北アメリカオセアニアの侵略と植民地支配が始まったのは、15世紀です。それを是認したのはローマ教皇庁でした。

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  第6節 壇家制度と五人組

 

 キリシタンは封建秩序を脅かす存在だと江戸幕府は考えて、禁教政策を行いました。江戸幕府は初期には、朱印船貿易を盛んに行っていましたが、欧州列強の侵略を恐れて、鎖国に転じました。烈しい迫害によって殉教したキリシタンの数は、20~30万人と言われます。

 幕府は、すべての家にいずれかの仏教寺院の檀家となることを強制し、寺院に檀家がキリシタンでないことを証明する宗旨人別帳を作らせ、仏壇の無い家は邪宗門として告発させました。そして、民衆がキリシタンにならぬよう相互に監視する連座制のシステム「五人組」を組織しました。檀家制度と五人組の影響は今でも残っています。

キリシタン拷問史 (三一新書)

キリシタン拷問史 (三一新書)

 

 

キリシタン禁制と民衆の宗教 (日本史リブレット)

キリシタン禁制と民衆の宗教 (日本史リブレット)

 

 

  第7節 カクレキリシタン

 

 江戸幕府によってキリシタンが禁教とされた後も230年間、潜伏キリシタンオラショ(祈祷)を口伝えで継承しました。しかし、その意味は失われてしまいました。
 明治維新によってキリシタン禁教令が解かれた後も、ローマ・カトリック教会に戻らないで、独自の信仰を守った人たちがいます。それがカクレキリシタンです。今でも長崎県の五島地方と外海地方、生月島にはカクレキリシタンが千人ほどいます。
 彼らは掛軸に表装した、日本的な姿をしたキリスト、マリヤ、諸聖人、殉教者などを描いた「御前様」を崇拝し、すでに意味内容が失われたオラショ(祈祷文)を呪文のように唱えています。
 生月島オラショには「神寄せ」があり、50体あまりの神様をお呼びするといいます。ミサの代わりに御神酒と刺身が出されます。彼らが呼びかけるデウス、ゼスキリスト、サンタマリヤなどがいかなる存在か、理解はほとんどありません。彼らの宗教はもはやキリスト教とは言えないものです。

 

カクレキリシタンの実像: 日本人のキリスト教理解と受容

カクレキリシタンの実像: 日本人のキリスト教理解と受容

 

 

 遠藤周作は小説『沈黙』の中で重要な問題提起をしています。この小説の中で、元・イエズス会宣教師フェレイラ(棄教して沢野忠庵と改名)は次のように語っています(新潮文庫 pp.190〜193抜粋)。

この国の者たちがあの頃信じたものは我々の神ではない。彼等の神々だった。それを私たちは長い長い間知らず、日本人が基督教徒になったと思いこんでいた。
 基督教の神は日本人の心情の中で、いつか神としての実体を失っていった。
 日本人はこれまで神の概念はもたなかったし、これからももてないだろう。日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない。日本人は人間を超えた存在を考える力も持っていない。
 日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だがそれは教会の神ではない。
 私にはだから、布教の意味はなくなっていった。たずさえてきた苗はこの日本とよぶ沼地でいつの間にか根も腐っていった。私はながい間、それに気づきもせず知りもしなかった。
 切支丹が亡びたのはな、お前が考えるように禁制のせいでも、迫害のせいでもない。この国にはな、どうしても基督教を受けつけぬ何かがあったのだ。

 

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 

 

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メイド・イン・ジャパンのキリスト教

メイド・イン・ジャパンのキリスト教

 

 

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  第8節 復古神道国家神道

 

 江戸中期以降、日本の古典を研究し、純日本的精神を追究する国学が発達する中で、日本固有の神道を復元しようとする動きが起こりました(復古神道)。本居宣長平田篤胤が中心人物です。
 平田はキリスト教を研究し、それを神道に応用して、彼の神学=平田神道を形成しました。平田の没後、復古神道の信奉者が激増し、これが尊王攘夷明治維新の原動力になりました。

 明治維新によって、天皇を現人神とする国家神道が、大日本帝国の中心的な原理となりました。それが大正時代を経て、昭和20年の終戦まで続きました。

平田篤胤 - Wikipedia

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  第9節 キリスト教の解禁と迫害

 

 幕末にカトリック教会は、朝鮮と琉球で日本への再進出の準備を進め、開国後直ちに宣教師が来日しました。明治政府は欧米諸国との交流を進めるため、キリスト教を解禁しました。プロテスタントの宣教師も続々来日し、各地に教会や学校を建てて宣教しました。聖書和訳の事業が盛んに行われました。


 しかし、ドイツを中心として欧米に広がった新神学自由主義神学)が、1889(明治22)年頃から日本の牧師や信徒に広がり、福音主義の信仰を損ねていきました。これは、科学を信頼して、超自然的な聖書の記述を認めず、歴史的な信条を告白しない立場・運動です。

 バークレー・バックストン師が英国から純粋な福音主義リバイバル運動の「活ける水」「燃える炎」を持って来日したのは、ちょうどその最中、1890(明治23)年です。

 

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 その後、日本人の中から無教会の内村鑑三やクエーカーの新渡戸稲造救世軍山室軍平社会運動家賀川豊彦など、日本社会に大きなインパクトを与える指導者が輩出しました。
 1941(昭和16)年6月に、政府の政策によって日本のほとんどの教会が「日本基督教団」に統合され、戦争に協力することとなりました。教会でも御真影天皇の肖像写真や肖像画)が掲げられ、宮城遥拝が為されました。

 日本が米国や英国と戦った太平洋戦争の時代には、キリスト教は敵性宗教と見なされ、キリスト者迫害を受けました。特に朝鮮での迫害は激しいものでした。本土でもホーリネス教会の牧師等が戦時中に弾圧されて、殉教する者が出ました。

 

  第10節 進化論・唯物論・世俗化

 

 1945(昭和20)年8月に、日本が米国を中心とする連合国に降伏して、太平洋戦争は終結しました。戦後、進駐軍GHQが主導した改革によって、主権在民=民主主義を基本とする日本国憲法が制定されました。憲法によって信教の自由が保障されました。

 戦後しばらくの間、欧米から大勢の宣教師が来日して、教会に大勢の人が集まりました。しかし、キリスト教ブームはやがて沈静化しました。

 戦後教育によって、進化論唯物論の世界観が、日本人に浸透しました。ーー科学は万能であり、技術革新が豊かな生活をもたらすーーと信じる楽観的な科学信仰進歩主義が蔓延しました。

 日本のプロテスタント主流派では、日米安保体制に反対する社会派の過激な運動が盛んになり、大きな混乱が続きました。

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  高度経済成長によって日本は世界でトップクラスの経済大国となり、プラグマティズム実用主義)と拝金主義が広まりました。これは若者たちにも浸透しました(世俗化)。

 

  第11節 カルト問題・宗教多元主義

 1960年代後半にアメリカの若者に広がったカウンターカルチャー(反体制的な対抗文化)の一部で、70年代以降、ニューエイジ的な新興宗教が盛んになり、「スピリチュアル」なものが流行しました。

ニューエイジムーブメントの危険

ニューエイジムーブメントの危険

 
ニューエイジの罠

ニューエイジの罠

 

 

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  日本では、オウム真理教が、1989年11月に坂本弁護士一家殺害事件、1994年6月に松本サリン事件、1995年3月に地下鉄サリン事件を起こして、世界を震撼させました。これによって、多くの日本人が、「宗教は怖い」というイメージを、持つようになりました。

オウム真理教事件 - Wikipedia


 ポストモダンの現代では「唯一」「絶対」なるものが否定され、一神教に反対する宗教多元主義が広く支持されるようになりました。そもそも日本は多神教の国ですが、「宗教の違いは、同じ山を違う道から登っているようなものだ。結局、行き着く先は同じだ。自分の宗教だけが本物だなんて主張するな」というわけです。それは本当でしょうか?

 キリストは仰せになりました。
 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(新改訳ヨハネ14・6)

どんな宗教でも救われるか―福音的キリスト教信仰と宗教多元主義


 次回は、このような伝道の障壁の突破について、学びましょう。

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日本キリスト教史

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日本キリスト教宣教史 ―ザビエル以前から今日まで

日本キリスト教宣教史 ―ザビエル以前から今日まで