(注)この記事の内容はトンデモ本・都市伝説の類です。この記事で紹介した情報の信憑性について筆者は保証できません。こんな話もあるのか、という程度でスルーしてくださいませ f^_^;
イスラエル国旗の紋章として有名なのが「ダビデの星」です。突起が6つある星型を「六芒星」(ヘキサグラム)と言いますが、その中でも「ダビデの星」は図形内部の線がすべて入っているものです。これを日本では「籠目紋」と言います。
「ダビデの星」は、古代イスラエルの英雄ダビデ王(在位:紀元前1000年~前961年)と直接の関係は無いようです。古代のヘブライ文字で「D」の字は三角形「Δ」に似ていました。「DAVID」の最初と最後にある「Δ」を重ねると、このマークができるため、「ダビデの星」と呼ばれたようです。
六芒星は古代の中東や北アフリカで広く使用された宗教的な印でした。ガリラヤ湖畔の町カペナウムで発掘された後3世紀のシナゴーグの遺跡にも、六茫星が見られます。
六茫星は、ユダヤ神秘主義=カバラで使用され、西洋魔術の理論的根拠にされました。
日本では聖武天皇の時代から賀茂氏の一部が八咫烏(やたがらす)という秘密結社を組織して、宮中祭祀を裏で仕切っていた。彼らの神道は裏の陰陽道であり、それはユダヤ人のカバラに由来するので「迦波羅(かばら)」と呼ばれているーーというトンデモない話もあります。
古事記や日本書紀では、カムヤマトイワレビコ(のちの神武天皇)が東征の途中、天から遣わされた八咫烏の道案内により熊野・吉野の山中を行軍したということです。
八咫烏のルーツは古代中国のようですが、高句麗の象徴としてよく知られています。八咫烏の三足は「三神一体思想」=「天・地・人」を表していると言われます。
金鵄(きんし)八咫烏は、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)の祭神である建角身命(たけつぬみのみこと)の別名です。賀茂御祖神社(下鴨神社)は新しい天皇の即位の礼や大嘗祭などを仕切っています。
対談:『下鴨神社 祭儀課長 禰宜 清水洋直 X 村山祥栄』 【京都党Offical Web】
さて、中世末期からユダヤ人の旗やエンブレムに六茫星が使われるようになりました。ユダヤ人が一般的にこれを使用するようになったのは17世紀以降です。シナゴーグの外にも取り付けられました。
プラハのユダヤ人が30年戦争(1618年〜1648年)に協力したことへの感謝の印として、神聖ローマ皇帝フェルディナント三世がユダヤ人のために名誉ある旗印をつくりたいという意向を示し、その時に採用された紋章が六芒星、いわゆる「ダヴィデの星」だったのです。これがヨーロッパの他のユダヤ人共同体にも広まっていったのですが、ユダヤ教のラビたちは、この紋章が異教起源であることを理由に採用に強固に反対したくらいでした。しかし、ロスチャイルド家がこの紋章を採用したことで、ユダヤ人の間でこの紋章が人気となったのです。しかし、ロスチャイルド家はユダヤ教を信奉していませんでした。そして、ロスチャイルド家がシオニズム運動を後援していたことから、1897年にシオニストたちがこのマークを採用し、シオニズム運動のシンボルマークとなったのです。
フリーメイソンも、ダビデの星をマークとして使用しています。星はユダヤ教、十字架はキリスト教、月はイスラム教を表しており、一神教の三大宗教が一つになるという意味があるそうです。
https://item.rakuten.co.jp/union06/tee-illuminati6/
アメリカ合衆国では、ネバダ州のラスベガス北西150km付近に位置する米軍基地「エリア51」の近くに、直径240m近い巨大な六芒星の地上絵があります。
かつて奄美・沖縄の女性には手に施す入墨=ハジチ(針突)の習慣があり、その模様の一つとして六芒星がありました。
話がヤバイ方向に向かいそうですが、魔術的なものには悪魔・悪霊の力が働きます。霊的な問題には素人は踏み込まない方がよろしいかと思います。
伊勢神宮の参道には六芒星が刻まれた燈篭があります。これは1955年以降に設置された、比較的新しいものです。
(注:筆者はこのサイト ↑ の日ユ同祖論を支持してはおりません。参考まで)
しかし、六芒星・籠目紋は、日本では遥か古代から天皇家や古神道と結びついていたようです。元伊勢籠(この)神社の奥宮・真名井(まない)神社にある三つの社紋の一つが古来、「ダビデの星」と同じマーク「籠目紋」でした。
ただし、「ダビデの星」は「△」と「▽」を組み合わせるだけの単純なマークですから、イスラエルと日本に類似性が見られるのは偶然でしょうか。
この「ダビデの星」は削られて、「三つ巴(みつどもえ)」に変えられました。
籠船。星、日、月かあ。。。
日本古代史の好きな人には、元伊勢籠神社というのは、非常に重要なポイントです。
TEL 0772-27-0006 FAX 0772-27-1582
籠神社の神職=社家(しゃけ)は、古代から海部氏(あまべうじ)の一族が担っています。
豊受大神御鎮座本紀によれば、崇神天皇の時代、天照大神が大和笠縫邑から与佐宮に移り、豊受大神から御饌物を受けていた。
4年後、天照大神は伊勢へ移り、後に豊受大神も伊勢神宮へ移った。
これによって、当社を元伊勢という。
雄略天皇の御代に天照大神のお告げによって丹波国(現在の丹後)の与佐(よさ)の小見(おみ)の比沼(ひぬ)の魚井原(まないはら)にいる丹波道主(たにわのみちぬし)の娘・八乎止女(やおとめ)のお祀りする豊受大神が天照大神の食事を司る神として伊勢に迎えられました。この丹波の魚井原で豊受大神をお祀りしていたお宮のことも「元伊勢」と云います。「海部家は豊受大神を祀った彦火明命の血脈であり、丹波道主の子孫にも当たり、また海部家の直系の女性が「八乎止女」を襲名し、豊受大神をお祀りしていたことが伝えられています。」つまり、雄略天皇の御代、「丹波国の丹波道主の娘の八乎止女が祀っていた豊受大神」とは、奥宮真名井神社(古称 吉佐宮)の豊受大神であり、「元伊勢」としての由緒が明らかとなっています。
真名井神社の地における祭祀の始まりは大変古く、少なくとも弥生時代まで遡ることが出来ます。真名井神社の裏には古代の祭祀形態である磐座(いわくら)が鎮座し、その磐座(神が宿る石)で神祀りが行われていました。
丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ) 京都丹後日本三景天橋立
海部氏(あまべうじ)は海人(あま)族を統括した伴造(とものみやつこ:ヤマト王権の各部司を分掌した豪族)であり、天皇家の親戚です。
海人族は、縄文時代または弥生時代以降に海上輸送によって勢力を誇った集団です。インド・チャイニーズ系の海人族は、中国の江南地方から東シナ海を北上し、対馬海流に乗って玄界灘、九州北部に達した集団と推定され、日本に水稲栽培をもたらしたものと考えられます。「倭人」と同一でしょう。
海部氏は丹波国(現在の丹後地方)を中心として、日本海側に広く勢力を誇っていた豪族でした。丹後国には大小の墳墓や古墳が五千基ほどあります。この密集度は日本一です。
真名井神社では縄文時代の磨製石斧や磨石、弥生時代の祭祀土器や勾玉、日常用の土器、鎌倉時代の経筒などが発掘されています。また、籠神社では古墳時代の土師器や須恵器、平安時代の 祭祀土器、鎌倉時代の経筒、経石が発掘されています。
籠神社の神宝の鏡は、前漢時代(およそ2050年前)の邊津鏡です。
丹波国が栄えた要因の一つとして、この地方を流れる由良川と瀬戸内海に注ぐ加古川とが、日本海側と瀬戸内海・太平洋側を結ぶ最も平坦なルートになっていることが、挙げられるでしょう。この二つの川の水源地である兵庫県丹波市の「水分(みわ)かれ」は標高が95メートルしかありません。はるか古代からこのルートが重要な交通・通商の道となっていたのです。
神宝の鍵を握る籠神社のレイライン | 日本とユダヤのハーモニー
「海部氏系図」は日本最古の系図であり、少なくとも紀元後1世紀にまで遡る史実があると言われています。この系図は、平安時代の書写が国宝となっています。「日本」や「日本人」のルーツを探る上で、重要な鍵になる系図です。
海部氏は、彦火明命(ひこほあかりのみこと) を祖とし、籠神社の創建以来、代々奉斎をしてきたとされ、現在の宮司は82代目です。
彦火明命は天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫にあたり、古事記では天火明命(あめのほあかりのみこと)、日本書紀では天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかり)ともいいます。稲作に関係のある名前であり、太陽神、農業神として信仰されています。
海部氏が祀る豊受大神は別名を天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・国常立尊(くにとこたちのみこと)・御饌津神(みけつかみ)とも云い、その御顕現の神を豊宇気毘女神・豊受比売(トヨウケビメ)とも云います。
〈延暦23年(804年)の『止由気宮儀式帳』に、雄略天皇が天照坐皇太神の夢託を蒙り、御饌都神(みけつかみ)として等由気太神(豊受大神)を丹波国から伊勢に迎えたのが外宮であると記す〉
豊受大神と豊宇気毘売神(トヨウケビメ)は本来、別の神であったものが、同一視されるようになりました。
天之御中主神(国常立尊)は、この世に最初に現れた始源神であり、高御産巣日神(たかみむすび)、神産巣日神(かみむすび)と合わせて造化三神といいます。この造化三神は性別のない「独神」(ひとりがみ)とされます。天之御中主神は至高の神です。伊勢神道では豊受大神(天之御中主神)を祀る伊勢神宮外宮は、天照大神を祀る内宮よりも立場が上とされます。天皇陛下も伊勢参拝におかれては、まず外宮に詣られてから内宮へ詣られます。
■古事記
【原文】
天地初めて發けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神、この三柱の神は、みな獨神と成りまして、身を隱したまひき。
【現代文訳】
天と地が初めて分れて、高天原(タカマガハラ)に出てきた神の名前は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、次に高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、次に神産巣日神(カミムスビノカミ)です。この三柱の神は、奥さんや子供のいない独神で、姿かたちもありませんでした。■日本書紀
【原文】
古天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟涬而含牙。及其淸陽者、薄靡而爲天、重濁者、淹滯而爲地、精妙之合搏易、重濁之凝竭難。故天先成而地後定。然後、神聖生其中焉。故曰、開闢之初、洲壞浮漂、譬猶游魚之浮水上也。于時、天地之中生一物。狀如葦牙。便化爲神。號国常立尊。至貴曰尊。自餘曰命。並訓美舉等也。下皆效此。次国狹槌尊。次豊斟渟尊。凡三神矣。乾道獨化。所以、成此純男。
【現代訳】
昔、まだ天と地が分かれておらず 陰と陽が分かれておらず
混沌としていて鶏の卵のようでした。そこにほんのちょっと兆しがありました。
その澄んで明るいものは 薄く広がって天となりました。
重く濁ったものは地となりました。天となるものは動きやすく 地となるものは固まりにくかったのです。
なので天が先に生まれ、 次に地が固まりました。
その後、その中に神が生まれました。世界が生まれたとき 国は漂っていました。
それは魚が水に浮かんでいるようでした。天地の中に一つのものが生まれました。 アシの芽に似ていました。
国常立尊(クニノトコタチノミコト)です。(とても尊いものを「尊(ミコト)」と書きます。そのほかは「命(ミコト)」と書きます)
次に国狹槌尊(クニノサツチノミコト)、次に豊斟渟尊(トヨクムヌノミコト=トヨクモノミコト)が生まれました。
これらの三柱は対となる配偶者の居ない男神でした。
籠神社の先代宮司である海部穀定(あまべ よしさだ)氏は、著書『元初の最高神と大和朝廷の始元』(桜楓社刊)の「まえがき」でこう述べています。
日本の上古史に、元初の神(天地開闢のはじめの神)として、その名が記されているのは、古事記によると、天之御中主神であり、日本書紀によると、国常立尊である。
尤も、次に、高皇産霊尊、神皇産霊尊、或は、国狭槌尊などの名が見え、解釈によっては、之等の神々も、元初の神といえもするし、また、それに相違ないが、ここにいう元初の神とは、最初の一神を指してのことである。書紀の一書には、これを、ウマシアシカビヒコヂノ尊と云い、又、天之常立尊とも云っており、旧事本紀には、別に、これに該当する神名も見える。(中略)
一般神社のうちには、これらの神々をお祭りしているところが極めて少なく、容易に発見することが困難であるとさえ云える状態にあるのは、何故であろうか。
社伝によれば、現在伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神は、神代は「真名井原」の地(現在の奥宮真名井神社)に鎮座したという。
ちなみに、京都の太秦(うずまさ)にある木島坐天照御魂神社の祭神も天之御中主神です。この神社を創ったのは秦氏です。
古代日本のキリスト教徒たち(←想像力がたくましい日ユ同祖論! ホンマかいな?)
真名井神社の「真名」(マナ)は、エジプトを脱出したイスラエルの民がシナイ半島の荒野で食べた「天からのパン」の名に由来する、と考える人もいます(出エジプト記16:31)。なるほど、モーセが神の「真の名」を知らされて、イスラエルの人々にそれを告げた、という故事ともつながるのでしょうか? ウ~~ン (?o?;; こじつけっぽい気が。。。
かつて籠神社では新しい宮司の襲名式において、黄金でできた「真名之壺」を神殿から出してきて、金粉を削り、杯に入れて飲む、と言う儀式があったと言われます。マナを保存した壺は、古代イスラエルの幕屋や神殿の至聖所で、契約の箱に入れてありました(出エジプト記16:32-34, へブル人への手紙9:4)。それ(模造品?)が真名井神社にある、あるいは、そこから伊勢神宮の外宮に移された、と言われます。ホンマかいな??
http://g-village.net/iyasaka369/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B85.pdf
その地は「匏宮(よさのみや、与佐宮/吉佐宮/与謝宮)」と呼ばれたとし、天照大神が4年間営んだ元伊勢の「吉佐宮」にあたるとしている。
「よさのみや」の「よさ」は ヘブライ語の「ヨシュア」(יְהוֹשֻׁעַ イェホシュア / יֵשׁוּעַ イェシュア)に由来する、と言う人もいます。ヨシュア(英語では Joshua)は、モーセの後継者となって、イスラエルの民を約束の地カナンに導き入れ、その地を征服した英雄の名として、よく知られています。「ヨシュア」はギリシア語では「イエス」(Ίησοῦς イエースース)になります。すなわち「よさのみや」は、イエス・キリストを神として祀る神社だというのです!? 日本人がよく口にする「よっしゃ」も同じ由来だとか。。。マジですか?
「伊勢」は「יֵשׁוּעַ イェシュア」に由来する? 伊勢神宮内を流れる五十鈴(いすず)川の名は、「イエス」と和訳されているギリシア語 Ίησοῦς(イエースース)に由来するという人もいるようですが。。。\(@Д@;;/ そこまでいくと不謹慎かも。や~べえ。
ちなみに、籠神社の参拝者は天橋立(あまのはしだて)を渡って行けるようになっています。「天橋立」は旧約聖書の創世記28章に出てくる「ヤコブのはしご」に通じると言われますが。。。?(ヨハネ1:51も参照)。
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♪ 籠目、籠目、籠の中の鳥は 何時、何時、出遣る 夜明けの晩に
鶴と亀が統べった 後ろの正面、誰? ♫
かごめ唄は籠神社発祥の唄とも言われます。籠の中の「鳥」って、契約の箱の上にあるケルビムだったりして、、、。まさかね f^^; 黄金に輝く契約の箱とケルビムは、お神輿(みこし)と鳳凰(ほうおう)にそっくりだという人もいますけれど💦(ヘブル9:4-5参照)
こんな故事もあります。ーー神武天皇が長髄彦と戦っているときに、金色の霊鵄が天皇の弓に止まった。すると、その体から発する光で長髄彦の軍兵たちの目がくらみ、天皇軍が勝利することができた。この霊鵄を指して「金鵄」と呼ぶ。
「霊鵄形大錦旛(れいしけいだいきんばん)」は、天皇即位の礼に使用される大錦旛のひとつです。それには金色に輝く金鵄が刺繍されており、頭八咫烏形大錦旛(やたがらすだいきんばん)と対になっています。
最後に五芒星に関するトンデモな都市伝説をご紹介します。平城京をはじめ古代の都が結界で守られていたという説です。
伊弉諾神宮 ★★★ 日本遺産認定 『国生みの島・淡路』 | はじまりの島、はじまりの時。古事記・日本書紀の神代巻に創祀の記載がある最古の神社
素人はこの手の話に深入りしない方が良いでしょう。ユダヤ教じゃなくて偽ユダヤ教、キリスト教じゃなくて偽キリスト教かもしれません。
モルモン教が日ユ同祖論を取り込んで、さらに怪しい宗教に変わりつつあるようです。ご注意あれ!
ユダヤ人周辺のDNA
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