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聖書のメッセージやキリスト教の論説、社会評論などを書いています。

皇室のキリスト教への改宗こそ、日本宣教の課題である!

f:id:nozomu-kanai:20170218014315j:plain        フィリポがエチオピアの宦官に聖書を解き明かす

 

日本福音主義神学会 西部部会 2019年度春季研究会議 研究発表

皇室のキリスト教への改宗こそ、日本宣教の課題である!

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皇室のキリスト教への改宗こそ、日本宣教の課題である!


  5.皇室神道キリスト教信仰の関係

 

彼らとは逆に「皇室神道キリスト教は同質性・親和性が高いものである」と主張するキリスト者もいる。これは、キリスト教信仰を日本教天皇教に融和すべく変質させた混淆宗教=多神教、いわゆる「日本的キリスト教」を生み出す。日ユ同祖論もこれに関係している。戦時中には、信徒に神社参拝や宮城遥拝を勧奨した牧師たちもいた。 

メイド・イン・ジャパンのキリスト教

メイド・イン・ジャパンのキリスト教

 

天皇制・皇室神道キリスト教信仰の関係については、

【対立】「両者は相容れないものである」から「天皇制反対=共和主義」だ
【混淆】「両者は同質性・親和性が高いものである」から「日本的キリスト教」を創ろう

という両極端の間に

【共存】「両者は相容れないものである」けれども「平和に共存できる」

【改宗】「両者には同質性・親和性もある」から「皇室のキリスト教への改宗」の手立てを考えよう

という方向性もあるはずだ。

二王国論(二統治説)によって【共存】の方向性は可能となる。

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ここでは【改宗】=「皇室のキリスト教への改宗」の可能性について考察してみたい。

極めて大胆な提案のようだが、キリスト教2000 年の歴史において、王をはじめ国が丸ごとキリスト教に改宗した事例は、少なくない。そもそもキリスト教徒を激しく迫害した「反キリスト」的なローマ帝国が、キリスト教国に転換した。それが今日に続く世界宗教としてのキリスト教の基盤となったことは、歴史的な事実である。神は伝統的な異教によっても、その地の民がキリストの福音を理解し、受容するための「道備え」をしておられる、と筆者は考えている。

 

  6.皇室のキリスト教への改宗こそ、日本宣教の課題である!

 

 松谷好明は近著『キリスト者への問い――あなたは天皇をだれと言うか』で次のように述べている。

キリスト教国家神道皇室神道は両立するというのが日本のカトリック教会およびバチカンの基本的な考え方です(pp.123-124)
聖書的プロテスタントキリスト教の視点から見れば、天照大神・皇霊・八百万の神の祭祀である皇室神道は、三位一体の真の神以外のものを拝む偶像崇拝の宗教以外のなにものでもありません(p.136)
 美智子皇后が人的にも精神的にもカトリック教会にきわめて近く、聖書とキリスト教の全般について相当の知識を有していることは確かです。(中略)では彼女がカトリックの洗礼を受けてキリスト者になる可能性はあるでしょうか。ないと思います。彼女は一般国民である正田家の人々とは完全に異なる身分である「皇后」であって、天皇の場合と同様、皇室神道国家神道に従って生きることを法と伝統・慣習によって義務付けられているからです。天皇はもとより皇后にも、「信教の自由」は存在しません。(pp.182,183)

  松谷が〈キリスト教国家神道皇室神道は両立する〉というカトリック教会の考え方を指摘しているのは重要である。ただし、松谷は〈美智子皇后〉(現上皇后)をはじめ皇室の方々がキリスト教に改宗する可能性は無い、と述べている。 

改訂版 キリスト者への問い あなたは天皇をだれと言うか

改訂版 キリスト者への問い あなたは天皇をだれと言うか

 

  山口陽一は近著『キリスト者から見る〈天皇の代替わり〉』で次のように述べている。

天皇には信教の自由を含む人権がありません。(中略)天皇制が廃止されて天皇の救いの環境が整うという順序と、救われるべき罪人の一人である天皇の救いにより宮廷祭祀が廃止されるという順序、いずれにしても祈りはそこにあります。天皇の地位は憲法が定めていますが、宮中祭祀は私的なことだからです。(p.31)

山口が〈宮中祭祀は私的なこと〉と指摘しているのは重要である。天皇の改宗は天皇制の廃止とセットでなければ実現しない、と山口は考えている。

キリスト者から見る〈天皇の代替わり〉 (いのちのことば社)

キリスト者から見る〈天皇の代替わり〉 (いのちのことば社)

 

原武史は『「昭和天皇実録」を読む』(岩波新書)で、終戦後の状況に関して重要なことを述べている。

もうひとつの責任のとり方として、神道からカトリックへの改宗が考えられます。(中略)マッカーサー天皇の退位を封じ込めましたが、もし天皇が改宗したいと言った場合、それを止めることはできたでしょうか。天皇家といえども信教の自由はあるという理由で宮中祭祀の継続を許した経緯を踏まえれば、できなかったと思います。では、改宗した場合、宮中三殿は撤去され、祭祀も行われなくなったでしょうか。おそらく、それはなかったでしょう。なぜなら、古代以来、天皇家は断続的に祭祀を行いつつ、仏教を受容してきた歴史があるからです。(中略)たとえ天皇が改宗し、カトリックの教義を信仰するようになったとしても、国体そのものが変わることはないわけです。そもそもローマ法王自身が裕仁に「カトリックの教理は確立した国体・政体の変更を許さない」と語っていたことは、第2講で見た通りです。(中略)「実録」を読んでゆく限り、この時期から、天皇が積極的にキリスト教に接近する姿が現れてくるのです。(pp.194,195,196,202)

  原の見解としては、天皇家は古代以来、皇室祭祀と仏教のハイブリッドを実行してきたのだから、皇室祭祀とカトリックのハイブリッドも可能だというのである。バチカンは、それを用意周到に道備えしていたようである。

「昭和天皇実録」を読む (岩波新書)

「昭和天皇実録」を読む (岩波新書)

 
天皇は宗教とどう向き合ってきたか (潮新書)

天皇は宗教とどう向き合ってきたか (潮新書)

 

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 1951年に日本国が独立を回復すると、昭和天皇カトリック教会への接近は止まった、と原は述べている。しかし、その後の皇族の婚姻関係を見ると、皇室のキリスト教への接近が途絶えたとは思えない。

上皇后美智子 - Wikipedia雙葉学園雙葉小学校卒業生、聖心女子学院中等科・高等科・聖心女子大学卒業生)

皇后雅子 - Wikipedia田園調布雙葉学園 田園調布雙葉小学校・田園調布雙葉中学校卒業生)

三笠宮寛仁親王妃信子 - Wikipedia(カトリック教徒である麻生家のご出身、聖心女子学院初等科・中等科卒業生)

高円宮憲仁親王妃久子 - Wikipedia (聖心女子学院初等科・中等科卒業生

(注)カトリックと関係のある学歴だけを書いています。

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マリアベールを被る美智子さま

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1993年9月4日 天皇皇后とローマ法王

私の信頼できるカトリック教徒の知人からの情報によりますと、今年に入ってから、皇后・美智子様実弟である正田修・素子夫妻が、都内の教会でカトリックの洗礼を受けられたということです。

正田家は、美智子様の祖母きぬさんが昭和2年にフランス人宣教師ヨセフ・フロジャック神父より洗礼を受けられてから、カトリックには縁の深いお家柄です。きぬさんの夫であった正田貞一郎氏も、戦後、昭和24年に関口教会カトリックの洗礼を受けられています。また、美智子様の母上である冨美子さんも、臨終の間際に洗礼を受けられ、実妹の安西恵美子さんも洗礼を受けられたとのことです。

美智子様カトリックのミッションスクールで育ち、聖心女子大学を卒業されたことは、あまりにも有名ですね。
美智子様は、カトリックの精神が育んで誕生した、日本の新しい時代の皇后である、と私たちは胸を張って言えるのではないかと思います。

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1905年から10年間、昭和天皇の養育係を務めた(昭和天皇が4〜14歳までの間)足立たか(父親が札幌バンド出身のプロテスタント。後に鈴木貫太郎の夫人となる)も、明仁上皇の家庭教師・ヴァイニング夫人(クエーカー)も、徳仁天皇の教育係・濱尾実カトリック教徒)も皆、キリスト教と関係の深い人たちである。昭和天皇は昭和53年12月4日の記者会見で「鈴木たかは、本当に私の母親と同じように親しくしたのであります」と述べておられる。

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鈴木貫太郎とタカ夫人

 鈴木貫太郎の妻たかの父は札幌農学校の二期生で、内村鑑三新渡戸稲造、宮部金吾、広井勇、町村金弥らと同級の足立元太郎。クラークの遺訓に従って洗礼を受け、のちに内村鑑三らと共に札幌独立基督教会を創設したキリスト信徒である。足立は札幌農学校卒業と同時に開拓使物産局博物課勤務となるが、学業の余暇に蚕の生理・病理など養蚕を自習していたことから養蚕・生糸行政に従事する。このころ常子と結婚、常子もキリスト信徒入りし、長女たかが生まれる。
 専門知識と人柄を高く買われた足立は、その後横浜生糸検査所技官を命ぜられて札幌から横浜に移る。足立は子供の教育には熱心で、長女のたかを東京府立女子高等師範学校保母科に進学させた。明治三十七年、同校を卒業したたかは、同校付属幼稚園の保母として勤めはじめた。
 このころ宮内省では、四歳になった皇孫(のちの昭和天皇)の養育に幼児保育の専門家を置くことにし、元東大総長、文部大臣の菊地大麓に人選を依頼していた。青山御所内の皇孫御殿に住み込み、皇孫たちの身の回りの世話や躾、教育までを受け持つ母親代わりの養育掛である。ケンブリッジ大学卒業の菊池が推薦したのは、二十一歳の足立たかだった。菊池の孫が同校付属幼稚園に通園していて、園児の父母の間で足立たかの評判がいいことを聞き、推薦したのである。たかの保育、教育のすばらしさが高く評価されたのだが、そこにはたかが父から受け継いだキリスト教信仰があったに違いない。こうしてたかは明治三十八年から大正四年までの十年間、昭和天皇十四歳のときまで養育掛を務める。その十年間は昭和天皇の人格形成に大きな影響を与えたはずである。

昭和天皇の親代わり-鈴木貫太郎とたか夫人 | 歴史・人物伝 |

昭和天皇の親代わり?鈴木貫太郎とたか夫人

昭和天皇の親代わり?鈴木貫太郎とたか夫人

 

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皇太子の窓 (文春学藝ライブラリー)

皇太子の窓 (文春学藝ライブラリー)

 


浩宮様と浜尾実さん

 

2004年6月~2009年4月3日まで敬宮愛子さまの養育係を務めた福迫美樹子氏は、田園調布雙葉学園聖心女子大学で学び、雙葉小学校付属幼稚園で16年間、教諭を務めた初等教育の専門家である。

 

なお、三笠宮崇仁殿下がオリエント学者すなわち聖書学者であられたことは有名である。

三笠宮崇仁親王 - Wikipedia

Piyo bible Ministries 

ホームページをリニューアルいたしました|ニュース|公益財団法人 中近東文化センター

天皇・皇族: GOALS DIGGER

新聖書地図 (図説世界文化地理大百科)

新聖書地図 (図説世界文化地理大百科)

 

我々は、このような皇室のキリスト教への接近を、どのように考えるか。

今なお皇室のキリスト教への改宗こそ、日本宣教の課題である!

 

 そして、ある夏の日のことでした。田中政男先生が私のところに興奮してきました。「おい!順!すごいことがあったぞ!」と。何かと聞くと、実は、軽井沢には、今の天皇夫妻が出会って、恋に落ちた思い出のテニスコートがあります。そこに行くと天皇夫妻、当時は皇太子夫妻でしたけれど、テニスをやりに来るのです。私たちはそれを時々、金網にへばりついて、ロイヤル・テニスと呼ぶのでしょうか、見ていました。
 なんで田中先生が興奮して来たかといったら、あの皇太子妃殿下の美智子さんが、田中政男先生に、自ら近づいて来たというのです。全く見ず知らずの関係のない、田中先生に妃殿下が近づいて来たというのです。
 しかしそれは全く田中先生の勘違いでして、彼の後ろに、皇太子夫妻が乗る車があったからでした。彼は勘違いしたのです。「私の所に主が扉を開いて、皇太子夫妻が近づいて来た!」
 その時、田中先生は私の父が書いた「平安を持つ秘訣」という薄い本を、ちょうど持っていたのです。とっさにその本を出して、「美智子様!これをお読みください!」と差し出したそうです。直訴みたいなもんです。するとその本の題名を見て、「受け取ってよろしいでしょうか」と言って受け取られたというのです。
 そして、車に乗り込んでからも、わざわざ窓を開けて「ありがとう」と言われたというのです。とにかく本を渡したわけです。
 勘違いから、「平安を持つ秘訣」という本が妃殿下に渡ったのです。それを彼女がさっそく読んだみたいです。ちょうど平安がなかった時みたいでした。なんとその後向こうから電話がかかってきました。私たちは軽井沢の安宿に雑魚寝してたのですが、そこに電話がかかってきました。そして「一度出会って、話を聞きたい」ということでした。どこにご夫妻はおられるのかと聞くと、プリンス・ホテルにおられるとのことでした。
 その時は興奮でしたね。ついに皇太子夫妻に伝道が出来る!ズボンを履いたら田中先生のズボンが破れていました。いろいろと繕ったりして、父と田中先生は皇太子夫妻に出会うために祈ってから、緊張して出かけて行きました。
 その時の運転手は誰か・・・。それはなんと、この私だったのです。私は二人をただ、プリンス・ホテルに連れていけばいいと軽く考えていて、私の格好は短パンにビーチ草履、Tシャツ。当時は私の髪の毛は長かったのですが、そんな出で立ちで私は二人をプリンス・ホテルに連れて行きました。
 しかし、ホテルに着いて、皇太子夫妻が宿泊しているかと聞くと、「いませんよ」というのです。実はプリンスホテルというのは俗っぽいホテルではなくて、本物のプリンスが泊まるプリンスホテルが軽井沢にはあるのです。それは彼らの別荘というか、御用邸というか、それがあるのです。
 私はそんなこと全然知らないですから、普通のプリンスホテルに連れて行きました。そのホテルも高級なホテルですが、そこに行ってしまったのです。場所を間違ったわけです。
 そして、なんと、あの皇太子夫妻は、三十分も待ちぼうけだったそうです。私たちが約束の時間に来ないものだから、他のスケジュールがあって出かけたというのです。私たちが本物のプリンス・ホテルに着くと、入口に警察官が立っていて、敬礼されて、玉砂利の長い道を私の中古の車が入って行きました。着いたら戸を開けられて、降ろされて、「運転手さんも」と開けられちゃったのです。
 私は短パンとTシャツとビーチ草履で、異様な格好をしていたのですが、その日をきっかけにして、その後、今の天皇夫妻と何度も出会うことが出来ました。
 私も一度一緒に行ったことがあります。その時もまた運転手で行ったのですが、今の天皇夫妻の横でお茶を飲みました。枝豆を出してくれたので、ただ、ぼりぼり食べながら、話を聞いていました。父が「お祈りしましょう」と祈りました。
 もしかしたら彼らも、やがて主を信じる日が来るのかな…と、今から二十数年前の若き日の思い出ですが、これは偶然ではありません。
 田中先生が間違えた、勘違いした、美智子さんが自分の所に来てくれたなんて、普通じゃ考えません。普通の人間では、そんな勘違いはしないはずです。しかしそれをきっかけに、皇室伝道が開かれたのです。

滝元順牧師:メッセージ2011年9月4日 of 2011以前メッセージバックナンバーShinshiro Church Web Site

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秋篠宮家の次女・佳子さま 国際基督教大学をご卒業(19/03/22)

 

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天皇制反対=共和主義へと向かうべきか

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メシアに出会った東方の博士たち

日本福音主義神学会 西部部会 2019年度春季研究会議 研究発表

2019年6月9日@大阪聖書学院

皇室のキリスト教への改宗こそ、日本宣教の課題である!

 


皇室のキリスト教への改宗こそ、日本宣教の課題である!

 

  はじめに


今年5月1日に天皇の代替わり・改元が行われて「令和」の時代となり、早や一か月が過ぎた。マスコミはこぞって新天皇の即位に祝意を表し、政党も皆、共産党でさえ祝意を表している。ところが、キリスト教諸団体は、天皇の代替わり儀式に反対する声明を次々と出しており、突出した感じがある。

天皇の退位と即位に際しての政教分離に関する要望書 | カトリック中央協議会

日本キリスト改革派教会 川杉安美大会議長「天皇『代替わり』の諸行事に関して政教分離国民主権の原則を厳守するよう求める声明」

http://www.rcj-net.org/statement/statement_against_prime_minister_2018Oct10.pdf

日本基督教団総会議長 石橋秀雄「天皇の退位および即位の諸行事に関する声明」

http://uccj.org/wp-content/uploads/c63b5efbd69e93d5ec5b415956829884.pdf

日本聖公会主教会・正義と平和委員会「大嘗祭への国の関与は政教分離の原則に反します」

http://www.nskk.org/province/seimei_pdf/190221taii_sokui.pdf

20190424 新天皇即位と元号改元に際しての私たちの信仰的表明(2019年4月24日 理事会声明) – 日本バプテスト連盟

即位の礼・大嘗祭に関する宣言 – 日本同盟基督教団

キリスト教婦人矯風会「『即位礼・大嘗祭(だいじょうさい)』に対する声明」

http://kyofukai.jp/wp-content/uploads/2019/02/d914e7d1ac7d693c1a99e747d5b730db.pdf

www.asahi.com

biz-journal.jp

■平成の御代替わりに伴う儀式に関する最高裁判決

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/taii_junbi/dai2/siryou6.pdf

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キリスト教と日本」、「日本宣教と天皇」というテーマは、キリシタン時代から今日に至るまで、我々日本の教会・キリスト者にとって、避けることのできない本質的な問題であった。日本福音主義神学会では、たびたびこの問題に関係する研究発表が為され、論文が学会誌に掲載されてきた。次の三つは、その代表的な論文と言えよう。

橋本 龍三「福音宣教における天皇制の問題」(21号、1990年)

http://www.evangelical-theology.jp/jets-hp/jets/jets_paper/jets_papers21.html

山口 陽一「日本の政治文化と教会――悔い改めない文化と教会の責任」(26号、1995年)

http://www.evangelical-theology.jp/jets-hp/jets/jets_paper/jets_papers26.html

油井 義昭「日本の教会の戦前・戦中の歩み──国家神道の圧制のもとで」(27号、1996年)

http://www.evangelical-theology.jp/jets-hp/jets/jets_paper/jets_papers27.html

日本キリスト教協議会(NCC)や日本福音同盟(JEA)、キリスト者学生会(KGK)、各教派・教団・グループ、宣教団体、大学・神学校などでも、これは長年、追究してきた問題である。その結果、今日でも、天皇制を廃止して共和制に変えるべきだと主張する人たちが、日本の教会内にいる。

松谷好明「象徴天皇制と日本の将来の選択 : キリスト教的観点から」

https://serve.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1695&file_id=22&file_no=2

 『天皇の代替わり問題とキリスト教Q&A』 - 日本キリスト教協議会

salty-japan.net

果たして、それが聖書の教えに従う道なのか。それが日本における宣教と教会形成にふさわしいことか。他の道は無いのか。この研究発表はこうした問題について考察し、提言を行うものである。

 

  1.象徴天皇制の圧倒的な支持

 

毎日新聞が4月13,14日に実施した全国世論調査で、今の憲法に定められた象徴天皇制についてどう思うかを尋ねたところ、

「現在の象徴天皇制でよい」と答えた人が74%、

天皇制は廃止すべきだ」は%、

天皇を現在よりも、もっと権威と力のあるものにすべきだ」は

であった。

国民の圧倒的多数が、現行の象徴天皇制を支持しているのである。

終戦から43年を経て昭和から平成へと時代が変わり、さらに30年を経て時代は令和に変わった。元号への賛否がどうあれ、改元によって日本国民の意識に変化が起きているのは、明らかである。

戦争を直接体験した世代が中心となって「戦後」の社会と教会を築いた昭和の時代は、とっくに終わっている。戦前戦中の世界観・歴史観・価値観を真っ黒に塗りつぶす「戦後教育」を受けた世代が中心となった平成の時代も、終わった。

直接的な戦争体験者の減少はマイナス面も大きいが、プラス面もある。すなわち、より長い歴史的なスパンで、また、より広いグローバルな視野で客観的に「日本」と「天皇」について捉え直すことが可能となっているのである。


教育の民主化(墨塗り教科書・仮とじ教科書)

http://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/ags/6-1-1-010.pdf

ja.wikipedia.org


  2 日本の成立


我々キリスト者は聖書が教えるとおり、神があらゆる国と王朝の興亡を支配しておられる、と信じている。それには異教の国や王も含まれる。 

神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。(使徒17:26)
神は季節と時を変え、王を廃し、王を立てる。(ダニエル2:21) 

日本国民にとって天皇の代替わり・改元がなぜ喜ばしいのか。それは、倭人・日本人が2000年にわたって築いてきた「日本」という祖国が、アイデンティティーを保って今も存続している証しだからである。

ただしそれは「単一民族が2000年にわたって日本列島に単一の国を保持してきた」という意味ではない。考古学や歴史学、DNA解析などによって明らかになった古代の日本列島は、北から南から西から流入してきた諸民族が、衝突したり、融合したり、棲み分けたりしていた多民族多文化共生社会であった。 

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核DNA解析でたどる 日本人の源流

核DNA解析でたどる 日本人の源流

 
日本人はどこから来たのか? (文春文庫)

日本人はどこから来たのか? (文春文庫)

 

1世紀に書かれた『漢書』地理志によると、当時の倭人は100余りの小国に分かれていた。福岡県の志賀島で発見された金印には「漢委奴国王」と刻まれている。これは57年に漢の光武帝が倭の奴国の使者に下賜したものだと考えられている。

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金印「漢委奴国王」

後漢書東夷伝によると、107年に倭国王帥升後漢へ使者を遣わし、生口(奴隷)を160人献呈している。

『魏書』倭人条によると、2世紀後半に起きた倭国大乱の後、30の国が卑弥呼を女王として共立し、都を邪馬台国に置いた。纏向遺跡奈良県桜井市)がその都であり、箸墓古墳(全長278m)が卑弥呼の墓であるという学説が、有力となっている。卑弥呼の死は248年頃である。この倭国連合がヤマト王権の成立に直接関係していると考えられる。

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箸墓古墳

纒向遺跡ってどんな遺跡?|桜井市纒向学研究センター

箸墓古墳(桜井市 箸中)陵墓 - 一般社団法人 桜井市観光協会公式ホームページ

石上神宮奈良県天理市)には、372年に百済近肖古王から倭王に贈られた七支刀がある。

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七支刀(石上神宮

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「古代日本」誕生の謎―大和朝廷から統一国家へ (PHP文庫)

「古代日本」誕生の謎―大和朝廷から統一国家へ (PHP文庫)

 
古代国家はいつ成立したか (岩波新書)

古代国家はいつ成立したか (岩波新書)

 
天皇誕生―日本書紀が描いた王朝交替 (中公新書)

天皇誕生―日本書紀が描いた王朝交替 (中公新書)

 

607年、第33代推古天皇の時代に小野妹子が隋に派遣された。煬帝は「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」(『隋書』東夷伝)と述べる国書を受け取って、激怒した。古代中国の思想で「天子」とは、天上の最高神である天帝(天主、天皇)の子であり、天命により天下を治める者とされたからである。日本の天孫降臨神話のルーツはアジア大陸にある。

元号は第35代皇極天皇の時代、大化の改新(645年)から始まった。「天皇」という君主号は第40代天武天皇(在位673年~686年)の時代に制定され、689年に施行された飛鳥浄御原令に明記されている。2012年に中国で王連竜が発表した論文によると、西安で見つかった石板の墓誌に「日本」の文字がある。その墓誌は678年の作である。「日本」の国号が正式に採用されたのは第42代文武天皇の時代、701年の大宝律令においてである。
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  3.日本と天皇の存在意義

 

国号も天皇号も元号も7世紀以来、日本が中国の華夷秩序に、また欧米列強の帝国主義に従属しない独立国であることの証しとして、存続してきたものである。それゆえ「天皇」「代替わり」「改元」を否定することは、「日本国」そのものを否定しているかのように、一般的に思われる。これらを否定して「反日左翼」と見なされた教会が、日本人に伝道できるだろうか。


 土肥 歩「五四運動と中国キリスト教界の『反日』言説」

明治学院大学機関リポジトリ

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北朝鮮×キリスト教ネットワーク

北朝鮮と日本のキリスト教団の関係

日本基督教団 実録教団紛争史

日本基督教団 実録教団紛争史

 

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下世話なQ&A「クリスチャンは共産党を支持しないといけないんですか?」

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https://hi-hyou.com/archives/10007?fbclid=IwAR1rQM-VzJcr5U90WAt7lboM5M16V8Jgs2I914HJcBkr8PEfF_YPscpWDcQ


世界に現存する王朝の中で、皇室ほど長く続いている王朝は他に無い。王朝交替説が正しいとしても、第26代継体天皇の即位は507年であり、継体王朝は1500年以上続いている。継体天皇は第15代応神天皇仲哀天皇神功皇后の子)の5世孫であり、大王の家系としては傍系の出である。ただし、継体天皇は、第24代仁賢天皇の皇女であり第25代武烈天皇の姉である手白香皇女(たしらかのひめみこ)を皇后としている。第29代欽明天皇(在位539年~571年)は継体天皇手白香皇女の子であるから、大王家の直系の血統を受け継いでいる。今上天皇欽明天皇の子孫である。この事実は国際社会において非常に重要な意味を持つ。 

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継体天皇系図

大航海時代から500年にわたって続いた帝国主義は、「西欧近代」モデルの文化によって全世界を塗りつぶす運動でもあった。その文化の基礎にはキリスト教人文主義があった。その文化侵略に対して長年にわたり強力な抵抗を続けたのが、日本である。200年に及ぶ「鎖国」の後、明治維新以降に日本人が取った態度は和魂洋才である。ポストモダンの現代においては逆に、ローカルな独自の高度な文化を保持する日本が高く評価され、世界中の人々が日本の文化に大変な興味・関心を持っている。

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文化防衛論 (ちくま文庫)

文化防衛論 (ちくま文庫)

 2018年に日本を訪れた外国人観光客数は3,119万人であり、前年比8.7%増となっている(観光庁観光統計)。日本語は世界でも難しい言語の一つであるが、今や137か国で365万人の外国人が日本語を学習している(国際交流基金「2015年度海外日本語教育機関調査」)。これは学校その他の教育機関で日本語を学習する人の数であり、文化交流団体やテレビ・ラジオ・書籍・雑誌・インターネットなどで日本語を学習する外国人の数は、これを大きく上回っている。

このような変化が起きている現代において、「日本」と「天皇」に関する再考の作業を怠るならば、教会は日本の人々の頭と心に響く宣教の言葉を語ることが、できなくなるだろう。

天皇は今日の世界に現存する唯一のEmperor=king of kingsである。皇帝がいなければ、我々は真の「神」(God、創造主)「キリスト」を指す「諸王の王」という聖書の言葉(ダニエル2:47、黙示録17:14、19:16)を、具体的に理解することができない。「諸王の王」(king of kings)という称号は、古代ペルシア帝国(アケメネス朝)を開いたキュロス大王が使用したものである。古代中国・漢字文化圏においても、「天子」や「天皇」は「天の神」(ダニエル書2:37)「天帝」「天主」の雛形であり、「神」の栄光を映す「鏡」であった。

聖書と古代中国の7つの謎

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   4.天皇制反対=共和主義へと向かうべきか

 

ところが、天皇制とキリスト教信仰の関係について、「両者は相容れないものであるから、天皇制廃止=共和主義へ向かうべきだ」と主張するキリスト者がいる。

それは明治維新から昭和20年まで続いた国家神道体制が、大東亜戦争期における軍国主義に帰結し、アジア太平洋地域に甚大な犠牲者と損害をもたらしたからである。その時期に、日本の教会が軍国主義国家神道に加担・協力し、「日本的キリスト教」を生み出したこと、そして、日本とアジア太平洋地域のキリスト者が国家権力によって迫害を受けたことが、我々にとって極めて大きな重荷となっている。

メイド・イン・ジャパンのキリスト教

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天皇とキリスト: 近現代天皇制とキリスト教の教会史的考察

天皇とキリスト: 近現代天皇制とキリスト教の教会史的考察

 

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 最近発行された「教会と政治」フォーラム編『キリスト者から見る〈天皇の代替わり〉』には、牧師たちの次のような主張が記されている。 

天皇や皇族の救いと天皇制度が不要となること、その目標に向かって象徴天皇制に頼らない民主主義を育て、天皇と日本が悪魔化しないよう政教分離を守る務めを果たしたいと思います。(山口陽一、p.36)

天皇制の神学的批判は、しばしば「偶像礼拝禁止」との類比で行われます。君主は神の位置になりやすいものです。(中略)この批判的立場を貫くならば、憲法を改正して立憲君主制を廃止することを主張するのが筋です。(城倉啓、p.64)

 あり得ないことを承知のうえで、もし悔い改めとさばきによる代替わりがあるとするならば、昭和天皇こそが1945年8月に退位すべきであり、より根本的に言うならば、天皇制そのものが廃止されるべきだったでしょう。(朝岡勝、p.116)

 天皇を神格化し、象徴天皇制国家神道体制に戻そうとする動きに抵抗するだけでなく、将来は皇室の民営化(公的制度としての象徴天皇制の廃止)を目指して、祈り、働いていくことこそ、天皇制の問題に対する教会の祭司的使命であると思います。(弓矢健児、p.181)

キリスト者から見る〈天皇の代替わり〉 (いのちのことば社)

キリスト者から見る〈天皇の代替わり〉 (いのちのことば社)

 

  彼らの主張は余りにも国民一般の意識とかけ離れている。このような運動が日本宣教の大きな障害となりつつある。果たして聖書の教えに従うならば、天皇制反対=共和主義へと向かうのが必然なのだろうか。聖書には「君主制を廃止せよ」という教えは無い。むしろ「偶像崇拝を勧める王にも忠実に仕えよ。ただし、あなたは偶像を拝んではならない」というのが聖書の教えである。  皇帝を神として崇拝するローマ帝政下に生きる伝道者・牧者・信徒に、使徒パウロ使徒ペテロは次のように教えている。

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。したがって、権威に反抗する者は、神の定めに逆らうのです。逆らう者は自分の身にさばきを招きます。(ロマ13:1-2)

あなたは人々に注意を与えて、その人々が、支配者たちと権威者たちに服し、従い、すべての良いわざを進んでする者となるようにしなさい。(テトス3:1)

人が立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、あるいは、悪を行う者を罰して善を行う者をほめるために、王から遣わされた総督であっても、従いなさい。(第一ペテロ2:13-14)

そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。(中略)そのような祈りは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることです。(第一テモテ2:1,3)

偶像崇拝を強要する王に仕えつつ、命をかけて偶像崇拝を拒んだシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ(ダニエル3章)や、王以外への祈願を禁じる法令が出されても、命がけで天の神に祈ったダニエルの生き方(ダニエル6章)が、良い模範である。

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この世の終末期に「荒らす忌まわしいもの」(マタイ24:15)、「不法の者」(第二テサロニケ2:3-12)、「獣」(黙示録13章)が強大な王権を持ち、自らを神として、人々に礼拝を強要すると、聖書は教えている。しかし安易にこれを今ある王に適用すべきではない。 

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人種差別から読み解く大東亜戦争

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天皇制の検証―日本宣教における不可避の課題 (東京ミッション研究所選書シリーズ)

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https://www.wlpm.or.jp/pub/?sh_cd=1587

大嘗祭とキリスト者 (ライフ・ブックレット)

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(続く)

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平成から令和へ

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天皇ご即位

 

平和成る世を祈る君 受け継ぐは
和を重んずる 令(よ)き帝(みかど)なり

             金井 望

 

2019年5月1日に天皇の代替わり・改元が行われて「令和」の代となり、早や一か月が過ぎました。この春は、象徴天皇制の意義について改めて考える良い機会となりました。

明仁天皇 最後のおことば  2019年(平成31年)4月30日

今日(こんにち)をもち、天皇としての務めを終えることになりました。
ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。
即位から三十年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。
明日(あす)から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。

www.asahi.com

 

■新天皇 最初のおことば 2019年(令和元年)5月1日

日本国憲法および皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。
この身に負った重責を思うと、粛然たる思いがします。
顧みれば、上皇陛下には御即位より、三十年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御心を御自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯(しんし)に取り組んでこられました。
上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に、心からの敬意と感謝を申し上げます。
ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研さんに励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。

www.huffingtonpost.jp

 

左翼政党は天皇の代替わり・改元をどのように見ているのでしょうか。

 

社会民主党(公式サイト) 2019年5月1日

天皇の即位にあたって(コメント)
      社会民主党党首 又市征治
 本日、皇太子徳仁親王が新天皇に即位し、元号も「平成」から「令和」へと改められました。新天皇におかれては、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たされることを願います。
 安倍政権は「新時代」をアピールするとともに、お祭り気分をあおることで、日本が直面している政治的な難問や経済的な難問を棚上げし、政権浮揚に結びつけようとしています。皇位継承改元の政治利用は認められません。西暦か元号かどの紀年法を用いるかは、国民の選択にゆだねるべきであり、新元号の使用が強制になるようなことがあってはなりません。
 日本国憲法の象徴天皇皇位継承として、具体的な儀式等が国民主権政教分離をはじめとする憲法の理念にかなったものとなるようにするとともに、皇位継承改元に伴って国民生活に支障が生ずることがないように配慮することを求めます。
 社民党は、誰もがともに、平和で安心して暮らすことができる社会を目指し、これからも全力をあげるとともに、平和と暮らしを破壊する暴走するアベ政治に終止符を打ち、国民の手に政治を取り戻し、憲法を活かす政治への転換を勝ちとるところから、「新時代」を切り開いていく決意です。
以上

新天皇の即位にあたって(コメント)

社民党は、象徴天皇制を含めて昭和憲法を固守する姿勢のようです。土井たか子さんは衆院議長になった時に、天皇陛下に接見できることを喜んでいましたからねぇ。

 

日本共産党志位和夫委員長は、次のコメントを発表しました。

しんぶん赤旗 2019年5月1日

 新天皇の即位に祝意を表します。
 象徴天皇として、新天皇日本国憲法の精神を尊重し擁護することを期待します。

新天皇の即位にあたって/志位委員長が談話

特権階級の最たるものである王室を打倒するのが、共産党の本旨のはずですが、国民の圧倒的な多数から支持を得ている象徴天皇制に真正面から反対するのは得策ではない、と志位さんは判断しているのでしょう。


キリスト教会はどうでしょうか。朝日新聞から引用します。

 プロテスタントカトリックなど国内のキリスト教の教団や教派団体が30日、東京都新宿区で記者会見し、天皇代替わりの一連の儀式を国事行為・公的行事として行うことは「憲法上、国民主権の基本原理や政教分離原則に違反し、国家神道の復活につながる」と主張した。
 各団体は、5月1日にある「剣璽(けんじ)等承継の儀」は神道神話に基づく神器を引き継ぐ儀式と指摘。10月の「即位礼正殿の儀」で新天皇が「高御座(たかみくら)」に立つことは、天孫降臨神話に基づき天皇が生き神の性格を帯びる意味を持つと述べ、両儀式が国事行為として行われることは「政教分離原則に違反する」と主張した。
 11月に新天皇が臨む大嘗祭(だいじょうさい)についても、「皇室の私的宗教行事」だとし、国費の支出に異議を唱えた。

編集委員・北野隆一)

www.asahi.com

 

天皇の代替わり儀式に反対する声明を出したキリスト教諸団体だけが、突出した感じがします。これまで左翼勢力と共闘してきたのに、「屋根の上に昇ったら、ハシゴをはずされた」という感じでしょうか。

 

彼らの主張する政教分離は、政治と神道の分離でしょう。「国家神道が軍国日本を生んだから」という論理です。「神道式の即位の礼はダメ。キリスト教式なら良い」という人たちは、国政まで支配して、国民にキリスト教式の儀礼をさせたいのでしょう。それこそ帝国主義であり、原理主義なんですけどね。

 

日本のキリスト教会には、政治的な運動よりも、ひとりひとりの信仰の戦いを共に担っていくことの方が、難しくて大事な課題だと思います。日本人への伝道は、キリスト者が地道にキリストの愛を実践してキリストを証しする以外に無い、と言っても過言ではありません。そして結果的には、政治的な運動よりも福音宣教の方が、この世に対して大きな影響力を発揮するのです。

 

天皇」の存在意義について、我々キリスト者はもっとよく考えるべきでしょう。

 

古代において極東の日本列島は、北から南から西から渡ってきた多様な諸民族が混在する多文化共生社会でした。その多様性ゆえに、全体を統合する強力な王権とマツリゴトが必要となりました。日本人が外国の言語や文化を積極的に取り入れつつ、それを独自の形態に変えて使いこなすのは、このような歴史的背景があるからでしょう。

 

長江流域から日本に伝えられたジャポニカ米の水田稲作は、灌漑治水の大事業を要する労働集約型の農業でした。太陽・月・星の動きを見て農作業の時を告げた巫女と、それに従って農業に関わる共同作業を指導した王が、ヤマト王権のルーツでしょう。邪馬台国卑弥呼が活躍したのは3世紀の前半です。日本神話に著された皇祖神=天照大神には、卑弥呼(日巫女)の姿が投影されていると思います。

 

日本の歴史において、天皇の親政が行われた時代は短いものです。基本的に、天皇は日本人を統合する象徴的存在でした。近代において、天皇が直接的・具体的に国政を指導したのは、明治維新や2・26事件、大東亜戦争末期など、ごく限られた時期だけです。錦の御旗が無ければ倒幕は成らず、終戦詔勅玉音放送)が無ければ終戦は成りませんでした。戦後の復興と外交において天皇と皇族が果たした役割は、絶大なものです。

 

諸外国から労働者や留学生などが日本にどんどん流入している今日、国民統合のために「天皇」の必要性が増しているのではないでしょうか。

 

■平成の御代替わりに伴う儀式に関する最高裁判決

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/taii_junbi/dai2/siryou6.pdf

 

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