KANAISM BLOG ー真っ直ぐに行こうー

聖書のメッセージやキリスト教の論説、社会評論などを書いています。

女性のリーダーシップとネットワーク

日本イエス・キリスト教団 兵庫教区婦人部総会 第一部 礼拝説教 2017年4月18日

女性のリーダーシップとネットワーク金井 望(婦人部長、神戸大石教会牧師)

 
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■聖書朗読 ローマ人への手紙16章1-4節(口語訳)

 

1 ケンクレヤにある教会の執事、わたしたちの姉妹フィベを、あなたがたに紹介する。2 どうか、聖徒たるにふさわしく、主にあって彼女を迎え、そして、彼女があなたがたにしてもらいたいことがあれば、何事でも、助けてあげてほしい。彼女は多くの人の援助者であり、またわたし自身の援助者でもあった。3 キリスト・イエスにあるわたしの同労者プリスカとアクラとに、よろしく言ってほしい。4 彼らは、わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれたのである。彼らに対しては、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会も、感謝している。

 

■説教要旨

 

 「ローマ人への手紙」は、使徒パウロが第3回宣教旅行の途中、紀元57年の初め頃にギリシアの都市コリントからローマにいる信徒たちに宛てて書いた書簡です(使徒20:3参照)。パウロは何度もローマの教会を訪問したいと計画を考えていましたが、その機会が得られずにいました(ロマ1:9-15、15:22-24)。

 この時、パウロは小アジア、マケドニアギリシアの諸教会を巡回して募金を集め、飢饉に苦しむエルサレム教会の信徒たちに届けようとしていました(15:25-28)。その後に、パウロはローマに行く予定だったのです。

 この16章は、手紙の最後に記されたパウロの個人的な私信です。1節から4節までに出てくる二人の女性に注目しましょう。

 

 ケンクレヤは、コリントの市街から11キロメートルほど東にある港町です。パウロは第2回宣教旅行でこの地を訪れました(使徒18:18)。そこに生まれた教会で女性執事フィベは、多くの人の援助活動をしていたようです。執事は、教会の財産を管理したり、諸々の活動を指導する信徒リーダーです。

 パウロは、この大切な手紙をローマに届ける役割を、フィべに任せました。この「ローマ人への手紙」は、新約聖書の心臓部と言える重要な書になっています。パウロはローマの信徒たちに、このように依頼しました。

どうか、聖徒たるにふさわしく、主にあって彼女を迎え、そして、彼女があなたがたにしてもらいたいことがあれば、何事でも、助けてあげてほしい。彼女は多くの人の援助者であり、またわたし自身の援助者でもあった。

 フィべは、多くのキリスト者をつなぐ助け合いのネットワークを作りました。彼女にはオーガナイザーとしての賜物があったようです。

 

 さて、3節に出てくるプリスカは、ポント生れのユダヤアクラの妻で、愛称はプリスキラでした(使18:2)。49年にローマ皇帝クラウディウスユダヤ人追放令を出したため、この夫婦はローマからコリントに移住し、そこでパウロに出会いました(使徒18:1-3)。パウロは同業者であったため、彼らの家に住みこんで、一緒にテント作りをしました。パウロエペソに移った時に、彼らも同行しました(使徒18:18-19)

 パウロはこの夫婦を「同労者」と呼んでいます。彼らは優れた伝道者でした。雄弁な伝道者アポロがエペソに来た時には、彼の福音理解に欠けた部分があったため、「プリスキラとアクラ」が彼にさらに詳しく神の道を教えました(使徒18:26)。夫人の名が前に出るようになったのは、プリスカがより大きな働きを担ったからでしょう。その後、彼らはローマに戻り、「家の教会」を形成しました(16:5)。

 パウロは彼らの愛に感謝して、次のように激賞しています。

彼らは、わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれたのである。彼らに対しては、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会も、感謝している。

  女性伝道者プリスカは、ローマ、ギリシア、小アジアの諸教会をつなぐネットワークの形成において大きな役割を果たしました。

 

 ローマ書16章には女性の名前がたくさん出てきます。女性のリーダーシップとネットワークがどれほど伝道と教会形成において重要な役割を果していたか、うかがい知ることができます。このローマの教会がやがて、西方キリスト教世界の中心となったのです。

 

 いよいよ今年度から兵庫教区婦人部では、県北・山陽・神戸・阪神の4つのブロックでの活動が正式にスタートします。婦人部の幹事は、各ブロックから教職1名、信徒1名が選出される地域代表制となります。これは、少子高齢化・人口減少・地方消滅・大規模災害といった変化と危機に対応して、各地域の教会を守り、交わりを豊かに育てていくための取り組みです。

 6月の例会は各ブロックで持つことになりますが、兵庫教区婦人部としての全体の活動も、もちろん続いていきます。ブロック制は、バラバラになるのではなくて、むしろ各地域教会の実情を早く知って、お互いに迅速に助け合うために行うものです。新しいネットワークを作り出し、それを活かして用いるリーダーシップが皆さんに期待されています。昨年度の総会では、コリント人への第一の手紙 第12章からメッセージをしました。それを思い出していただければ、幸いです。

 

 本日の議事と新年度の婦人部の歩みが、主の御心にかなったものとなり、主の御業が前進することを信じて、お祈りいたしましょう。

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               地図の出典:『口語訳聖書』(日本聖書協会

 

日本イエス・キリスト教団(JCCJ)兵庫教区教会紹介

 

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君が代斉唱訴訟で教諭の敗訴が確定したことについて

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 大阪府立支援学校の卒業式で、君が代斉唱時に起立して歌わなかったとして減給処分を受けた教諭、奥野泰孝さん(59)が府に処分取り消しを求めた訴訟で、原告敗訴の2審判決が確定した。最高裁第1小法廷(池上政幸裁判長)が3月30日付で、奥野さんの上告を退ける決定をした。

 奥野さんは、卒業式での君が代の起立斉唱を定めた府条例について、思想や良心の自由を侵害しており憲法違反だと主張。1審大阪地裁判決は「式典を円滑に進行させるためで違憲ではない」とした上で、奥野さんが積極的に秩序を乱そうとしており、処分は重すぎないと判断した。2審大阪高裁も支持した。

 確定判決によると、奥野さんは2013年3月の卒業式で、学校に式場外での受け付け業務を命じられていたが場内に入り、君が代を起立斉唱しなかった。府教委は、減給1カ月の懲戒処分とした。

 

出典:毎日新聞2017年4月4日 大阪夕刊

https://mainichi.jp/articles/20170404/ddf/041/040/005000c

この件に関する奥野泰孝さんのコメント(4月6日 7:36 )を以下、フェイスブックから引用させていただきます。

4日の夕刊に私の最高裁上告の却下が報じられた。30日付の通知であったが、記者会見等で私の見解を述べる前に各社が小さい記事を載せた。小さい記事だが大きな問題をはらんでいる。上告人の意見が反映されてないこと。「積極的に秩序を乱そうとした」と言う判決理由が通れば、秩序を乱そうとしているとみなしただけで処分を出せることになる(共謀罪法案につながる)。もちろん私は秩序を乱そうとしたわけではない。法廷での管理職の証言は「奥野が立たないので不安に思った生徒がいると思う。」というものであり、何も実証されていない。妄想とも言える。それを地最、高裁と認めてきて、最高裁で確定されてしまったのだ。「受付業務を命じられていたのに式場に入った」という見立てもおかしい。受付業務が終われば式場に入ることは昔も今も学校現場で行われている。「式場に入るな」という職務命令は文書でも口頭でもなかった。このことは法廷で確認されている。それでも処分者側は黙示の職務命令があったと言い、裁判所は「口頭で言われてなくても奥野は分かっていたはず。分かっているのに入ったのは悪質。」と言う。今回の却下理由をきちんと述べないままの最高裁による却下は、「逃げ」であり、日和ったか、忖度があったと言う証拠だと思う。そう言うことを広く発信したい。そうでなければ、君が代強制反対が真摯な思いからでなく、「秩序を乱そうとしている」と言う裁判所の判断が社会的にも浸透してしまう。 

https://www.facebook.com/yasutaka.okuno.5?fref=nf&pnref=story


筆者は、JCE6神戸アナロギア社会委員会⇒コイノニア・ネットワーク@神戸アナロギア社会委員会で、奥野泰孝さんとご一緒に活動しています。奥野さんは、弱者に対する思いやりのある心優しい人であり、キリスト者として真剣に正義を追求している人です。私は奥野さんを尊敬していますし、人間的にも愛すべき御仁だと思っています。


生徒を心から愛して誠実に教育を行った教師が、その生徒たちの晴れの場である卒業式の会場に参列できないというのは、差別的な扱いであると思います。

 

筆者もかつて地方公務員でしたから、「公僕は法律を積極的に遵守すべきであり、国旗・国歌も尊重すべきだ」という意見には賛成です。しかし、多くの人々にとって日の丸・君が代は、いまだに大東亜戦争と固く結びついています。ですから、「日の丸・君が代を国旗・国歌として尊重することはできない」という方々の心情にも配慮すべきでしょう。


国旗国歌法が国会で可決される前に、政府与党は国旗・国歌を「強制しない」と明言していました。それなのに、国旗・国歌をめぐって処罰が為されているのは、大変残念なことです。それが「美しい国」とは思えません。


卒業式の場で教育委員会が教師の国歌斉唱を監視し、唇の動きによって歌っているかどうかチェックをする。そして、「歌っていない」教師は処罰するーー。これは果たして適切な「指導」でしょうか? それが、この晴れの場にふさわしくない緊張を生み出しており、生徒たちの心を傷つけていることが、教育委員会にはわからないのでしょうか? 残念ながら、大阪の行政のトップや教育委員会はそれがわからない、あるいはわかっていても押し通しているのです。この強権的なやり方が「美しい国」日本にふさわしいものでしょうか?


私は、日本人の指導者ならば、問題と思われる教師に道理を諭し、徳をもって納得させて、自主的に国歌「君が代」を歌えるようにするくらいであって欲しいのです。


そもそも、終戦後、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムを実行して、日本の国定教会書を墨で塗りつぶさせ、アメリカ的な自由民主主義を押し付けてきたのは、誰でしたか? それはアメリカの政府とGHQであり、その手先となった日本の政府でした。戦後日本の公教育に反日思想を埋め込んだのは、政治・行政の側です。

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム - Wikipedia

 

その大元を正さずに、末端の権力無き教師を処罰して見せしめとし、国民に国旗・国歌を「自主的に」尊重させるというのは、ひどいやり方です。この事件は、戦後教育70年の根本問題を浮き彫りにしているのです!

 

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」を開発したのは米国の政府機関であり、それは戦争と戦後処理における重要な心理戦でした。

その世界観と歴史観、すなわち東京裁判史観に基いて、終戦後まもなく鳩山一郎岸信介など一部の政治家が戦犯とされ、政界から追い出されました。米国のエージェントであった吉田茂自由党党首=首相となって勢力を拡大しました。

しかし、GHQマッカーサーは日本の事情を知るにつれて、この国の統治における天皇制の重要性を悟りました。東西冷戦と朝鮮戦争の危機に直面したため、GHQ天皇を政治的に利用し、鳩山一郎岸信介真正保守派を許して、味方に付けました。朝鮮戦争ベトナム戦争へと続く東西冷戦時代に対応するために、米国政府は日本政治の保守化を容認したわけです。

ところが、米国が作った精巧な心理戦の道具である「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」を、左翼勢力=反日勢力が取り込んで、戦後ずっとこれを大いに利用しました。

終戦直後から日本では共産主義者が盛んに活動しました。これに対してGHQレッドパージ公職追放)を行い、ブラックな弾圧を行いました。「未解決」の諸々の事件がありました。結局、1960年の安保闘争まで、社会主義を支持する者が多数派を形成する情勢でした。

ちなみに、戦後日本の復興において大きな力を発揮したのは、ケインジアンです。農地改革、労働改革、財閥解体などで明らかなように、ケインジアンはカクレ社会主義者です。

戦後日本の国政においては半世紀にわたって「吉田学校」の門下生たちが「保守本流」を形成し、次々と首相を輩出しました。彼らは米国的な「自由民主主義」を掲げ、実態は「大きな政府」のリベラル派でした。

岸信介元首相の孫である安倍晋三首相は「真正保守」の流れにいるはずですが、米国流のリベラルの考え方や流儀にもよく通じています。

 

戦後、米国から日本に大勢の宣教師が来ましたが、彼らの多くは、日本人の信徒に偶像崇拝を固く禁じました。今日、米国から日本に来る宣教師は、日の丸・君が代についてどのように理解していて、どのように信徒に指導しているのでしょうか? おそらく、日本のキリスト者が国旗・国歌の問題になぜそんなにこだわるのか、理解しがたい宣教師が多いのではないでしょうか。

 

自国及び外国の国旗・国歌を尊重するのは、国際的には常識であり、重要なマナーです。スポーツの大会でも、国歌斉唱の時になると外国人の選手と観客は一斉に起立して、敬意を表しています。ところが、日本人で立つ人は少数です。日本の法律には、外国の国旗に対する尊重義務があるのに、自国の国旗に対してはそれがありません。これもおかしな話です。

 刑法
(外国国章損壊等)
第92条
外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。


終戦から70年を超えて、もう「戦後」は終わっているのに、日本にはなおも「戦後スキーム」「昭和ノスタルジア」を再現する「若手の牧師たち」がいて、それを囃し立てるキリスト教メディアがあります。彼らは、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」=東京裁判史観を利用する左翼勢力の影響を受けているように見受けられます。

しかし、国際化・グローバリゼーションが進む今日、確実に世界も日本も時代は変わっています。今、東アジアで政治的軍事的な緊張が高まっていますから、なおさら日米の緊密な協力関係が重要になります。昨年夏にオバマ大統領が被爆地・広島を訪れたことは、画期的な出来事でした。

終戦から70年以上にもなる今日、筆者は「日の丸・君が代を尊重することは偶像崇拝になる」とは思いません。私は個人的には式典で国歌「君が代」を起立して歌います。「君」は直接的には、天皇と国民を指している、と私は理解しています。この歌の本来的な意味からすれば、世界中の人々を含めることも可能でしょう。「君」が天皇を指しているとしても、昭和憲法のもとにあっては天皇は神ではありませんから、君が代を歌うことに問題は無いと思います。

参考まで、『昭和天皇独白録』(文春文庫)37頁から引用します。

「現神〔あきつかみ〕の問題であるが、本庄だつたか、宇佐美〔興屋〕だつたか、私を神だと云ふから、私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。そういふ事を云はれては迷惑だと云つた事がある」

昭和天皇独白録 (文春文庫)

昭和天皇独白録 (文春文庫)

 

 

旧約聖書には、次のようなテクストがあります。

ダニエルは王に答えた。
「王さま。永遠に生きられますように」

(ダニエル書6:21)

これは「君が代は 千代に八千代に……」と同じ意味ではないでしょうか。 


ただし、「日の丸は天照大神の象徴である」、「君が代天皇崇拝の歌である」と解釈して、「キリスト者であるがゆえに、そのような偶像崇拝はできない」という方々の思想や信仰、人権も尊重すべきではないでしょうか。この問題に関して我々キリスト者は、注意深くあるべきだ、と思います。自分と考えの違うキリスト者の方々を、傷つける必要はありません。

 

この世の問題はほとんどが相対的であって、100パーセント「黒」であるとか、100パーセント「白」であるとは言えないことが多いと思います。ところが、宗教はーーキリスト教も含めてーー、政治的な正統性を証明する道具として利用されがちです。

 

国歌「君が代」の原歌は『古今和歌集』(905年)の賀歌ですが、そのテクストは次のものです(古今和歌集巻七賀歌巻頭歌、題しらず、読人しらず、国歌大観番号343番)。

 

我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

 

原型は「我が君」ですから、「君が代」の「君」は本来、特定の人物を指すものではなくて、「あなた」という意味であったと思われます。実際、鎌倉時代以降、「君が代」は祝いごとの歌として広く用いられ、神楽、田楽、猿楽、謡曲、小唄、長唄浄瑠璃仮名草子浮世草子、読本、祭礼歌、盆踊り、舟歌、薩摩琵琶、門付などで使用されました。

参照:君が代 - Wikipedia

 

君が代」は本来、

愛するあなた、いつまでも、いつまでも、達者でいておくれ

という愛の歌なのです。

筆者は「君が代」を、キリスト教的な隣人愛の歌だと解釈しても良い、とさえ思っています。

 


君が代の本当の意味 国歌、君が代は恋の歌だった


このYouTubeのページから引用します。

その最初の男女神は、イザナキ、つまり「いざなう男」、イザナミ「いざなう女」として登場します。「いざなう」は、漢字で書けば「誘う(いざなう、さそう)」です。
つまりイザナキ、イザナミの物語は、誘(さそ)いあう男女の物語でもあるわけです。

二人は天つ御柱で出会い、
「我、成り成りて、成り余るところあり」
「我、成り成りて、成り足らざるところあり」
と声をかけあい、互いの余っているところと、足りないところを合体させて、子を産みます。

江戸時代には、この解釈が好まれたようです。

次に、新共同訳聖書から引用します。

主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。
「ついに、これこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉。
これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう
まさに、男(イシュ)から取られたものだから」
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
(創世記2:22-24)

イザナキ、イザナミの物語には創世記の影響があるように思います。聖書そのものが古代日本に届いていた可能性は、あまり高くは無いかと思いますが、聖書の物語や教えが部分的に伝わっていた可能性はかなり高い、と筆者は考えています。古代ペルシアやギリシア・ローマは中国と交易があり、古代の中国や朝鮮から日本に渡来した人々は大変な数です。遣隋使や遣唐使も行き来していましたし。

 

なんにせよ、立法も行政も司法も教育も宗教も、

やっぱり日本人は  じゃないといかんでしょう、ねぇ? ♪(^o^)♪

 

毎日新聞2017年4月12日 大阪夕刊

特集ワイド・ニュースアップ

大阪「君が代条例」のその後 「思想・良心の自由」揺れ続け=編集局・湯谷茂樹

https://mainichi.jp/articles/20170412/ddf/012/100/015000c

 

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ダニエル書の世界観と神の民の倫理

  旧約聖書の「ダニエル書」には、神の民の倫理に関して重要な事例が多数、記されている。この書は新バビロニア帝国、メディア王国、ペルシア帝国(アケメネス朝)に仕えたユダヤ人の歴史物語である。

 これには歴史的な特殊性もあるが、国家権力神の民三者の関係について普遍的な原則を見出すこともできる。なにしろ、この預言書は、キリストの再臨神の国の完成に至るまでの世界史における諸帝国の興亡を、予言しているのだから。

 以下、ダニエル書の重要なテクストを引用しつつ、ダニエル書の世界観と神の民の倫理について考察してみたい。

 

  1.ネブカデネザルの帝国とバビロン捕囚

 

 時は紀元前7世紀の末、メソポタミアに強大な権力を誇る王が現れた。新バビロニア帝国の王ネブカデネザルである。彼は前605年アッシリア帝国を滅ぼし、バビロン王に即位した。そして彼はカルケミシュの会戦でエジプト軍を全滅させた。ネブカデネザル王の支配はメソポタミアとシリアの全域に及んだ。

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ネブカドネザル2世 - Wikipedia

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アッシリア滅亡後のオリエント

 その年、ユダ王国の王エホヤキムの治世第3年(前605年)に、ネブカデネザルはエルサレムを攻略して、ユダヤの有力者たちをバビロンに捕囚として連行した。その中に4人の勝れた少年たちがいた。彼らの名前は、イスラエルの神である<>に対する信仰の告白を表していたが、バビロンでは偶像に関係する名前に改められた。

 <ダニエル>(神はさばきたもう)は<ベルテシャツァル>(彼の命を守りたまえ)に、<ハナヌヤ>(主は恵み深い)は<シャデラク>(アク神の命令)に、<ミシャエル>(神であられるのは誰か)は<メシャク>(だれがアクのような神か)に、<アザルヤ>(主は助けたもう)は<アベデ・ネゴ>(ネボ神に仕える者)となった。3年間の訓練を終えた4人は、王の前にはべることとなった。

 

  2.王の夢を解き明かすダニエル

 

 ネブカデネザル王は、治世の第2年(前604年)に特別な夢を見た。当時は、神々が夢によって人間に意思を伝えると、信じられていた。バビロンでは宮廷の先見者たちが、王の夢を解き明かす責任を担っていた。迷信深い王は直ちに彼らに説明を求めた。バビロンには大勢の呪術師と占星術師がいた。しかし、彼らは、その夢を説き明かすことが出来なかった。王は怒り、バビロンの知者をすべて殺そうとした。

 ダニエルは、この危機的状況の中で適切な処置をとった。彼は王の侍従長アルヨクに、王の判決の説明を求めた。ダニエルは王のもとに行き、しばらくの時の猶予を求めて、許された。ダニエルは仲間たちと共に、夢の秘密を明らかにして下さるよう神に祈り求めた。

 ネブカデネザルの夢の秘密が、夜の幻の中でダニエルに明らかにされた。彼は、それが何を意味するか、悟った。ダニエルは、賛美をもって感謝の思いを表現する。

神は季節と時を変え、王を廃し、王を立て、知者には知恵を、理性のある者には知識を授けられる。(2:20-21)

 

【原則1】 至高者なる神が計画性を持って、地上世界の歴史を支配しておられる。

【原則2】神が人間の国々の王を立て、また廃しておられる。真の神を知らない王においても、それは真実である。

 

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 ダニエルは王に、その夢を解き明かした。

あなたはあの金の頭です。(2:38)

 新バビロニア帝国(前625年〜前539年)の王ネブカデネザル2世(在位前604年〜前562年)は強力な王であったが、彼の王朝は長く続かなかった。

あなたの後に、あなたより劣るもう一つの国が起こります。(2:39)

 これは、メディアとペルシアが連合した帝国=アケメネス朝(前550年〜前330年)である。

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アケメネス朝 - Wikipedia

次に青銅の第三の国が起こって、全土を治めるようになります。(2:39)

 これは、マケドニアの王アレクサンドロス3世(在位前336年〜前323年)の大遠征によって、ギリシャが世界を支配することを意味する。大王の死後、帝国は分割された(アンティゴノス朝セレウコス朝プトレマイオス朝、他)。

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第四の国はのように強い国です。(中略)その国は鉄が打ち砕くように、先の国々を粉々に打ち砕いてしまいます。(2:40)

 これはローマである。<鉄とどろどろの粘土が混じり合っている>(2:41)ように、ローマは多民族が混在する世界帝国を築いた。

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s.webry.info

この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。(2:44)

 これは<一つの石>(2:45)=イエス・キリストによって地上に建てられた神の霊的王国、すなわちキリスト教である。

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キリスト教 - Wikipedia


 ネブカデネザル王はひれ伏してダニエルに敬意を表し、こう言った。

まことにあなたの神は、神々の神王たちの主、また秘密をあらわす方だ。(2:47)

 王はダニエルを、バビロン全州を治める長官に任じた。ダニエルは王の宮廷で仕えることになる。

 

【原則3】国々を支配する皇帝も、神の主権の下にある。神の王権は永遠に続き、それは地上世界においても具体的に行使されている。

【原則4】神が国々に対して行われる介入によって、王と民は真の神を知る。

【原則5】地上のあらゆる国々、あらゆる言語の地域において、王も皇帝も民もすべての者が、真の神の主権を認めて、神を恐れ、神を讃え、神の御心に従って公義を行うべきである。それが神の願われることであり、御計画である。

 

   3.偶像崇拝を拒否したシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ

 

 さて、ネブカデネザル王は、バビロン郊外のドラの平野に巨大な金の像を造った。その高さは約27メートル、幅は約2.7メートルである。この時代には金の像がしばしば造られていた。ネブカデネザル王は、この像の奉献式に諸州のすべての高官たちを招集した。

 そして、王は彼らに、笛や琴などの奏楽に合わせてひれ伏し、この像を拝むよう命じた。この帝国は、メソポタミアからシリア、キリキヤ、アラビヤ、ユダヤまで広がる多民族の連邦国家であった。政治的・文化的に多様性を持つこの帝国の国民を、宗教の力によって統一することを、王は願ったのである。
 その命令を守らない者に厳罰が課せられることが、告げられた。

ひれ伏して拝まない者はだれでも、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。(3:6)

 集まった者たちはみな王の命令どおりにした。しかし、ユダヤ人であるシャデラクメシャクアベデ・ネゴだけは金の像を拝まなかった。あるカルデヤ人たちが、それを見て、彼らを王に訴えた。その訴えを聞いてネブカデネザル王は激怒し、その三人を呼び出した。王は彼らに言った。

あなたがたは私の神々に仕えず、また私が立てた金の像を拝みもしないというが、ほんとうか。もしあなたがたが、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときに、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよし。しかし、もし拝まないなら、あなたがたはただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう。(3:14-15)

 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは王に答えて言った。

もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。(3:17-18)

 王は怒りに満ちて、炉を普通より7倍熱くし、彼らをその中に投げ込ませた。王は炉の中の様子を見てこう言った。

私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。(3:25)

 王は彼らに命じた。

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。いと高き神のしもべたち。すぐ出て来なさい。(3:26)

 なんと、この三人は、炉に投げ入れられる前と、何ら変わるところがなかった。その第四の者は、天使と思われる。
 ネブカデネザル王は、彼らの神をほめたたえて、言った。

諸民、諸国、諸国語の者のうち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神を侮る者はだれでも、その手足は切り離され、その家をごみの山とさせる。このように救い出すことのできる神は、ほかにないからだ。(3:29)

 ネブカデネザル王は全国に布告を出した。

ネブカデネザル王が、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに書き送る。(中略)いと高き神が私に行なわれたしるしと奇蹟とを知らせることは、私の喜びとするところである。
そのしるしのなんと偉大なことよ。

その奇蹟のなんと力強いことよ。

その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く。(4:1-3)

   この後、三人はさらに重用され、彼らの宗教は国家公認となった。

 

【原則6】真の神を知る者は、日々神を礼拝し、神に祈り、神に仕えるべきである。他の神々に仕えてはならず、偶像を拝んではならない。生ける神は、神に従う者を守り、豊かに祝福してくださる。

 

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  4.獅子の穴で守られたダニエル

 

 ネブカデネザル王の時代に大いに興隆した新バビロニア帝国であったが、大王の死後、王位が次々と代わり、ナボニドス王(在位前555年〜前539年)の時代に終焉を迎えた。彼は最後の10年間、アラビアに遠征したため、王子であったベルシャツァルが摂政として統治した。新バビロニア帝国は前539年にメド・ペルシアの連合軍によって滅亡する。ベルシャツァルは、バビロンが陥落した日の夜に殺害された。その後2年間<メディヤ人ダリヨス>(5:31)がバビロン王として国を治めた。
 ダニエルはダリヨス王から非常に信頼されて、3人の大臣のひとりに任命された。そしてさらに首相に任命されようとしていた。すると、他の大臣や太守たちが彼をねたみ、陰謀を企てた。彼らは王に進言した。

国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、禁令として実施してくださることに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると。(6:7)

 そこで、ダリヨス王はその禁令の文書に署名した。

ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。ーー彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていたーー。彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。(6:10 )

  陰謀を企てた者たちは、それを見て確認した。そして彼らは、王の前に進み出て、訴えた。

ユダからの捕虜のひとりダニエルは、王よ、あなたとあなたの署名された禁令とを無視して、日に三度、祈願をささげています。(6:13)

 王は非常に憂いて、ダニエルを救おうと努めたが、彼らは言った。

王よ。王が制定したどんな禁令も法令も、決して変更されることはない、ということが、メディヤやペルシヤの法律であることをご承知ください。(6:15)

 そこで、王が命令を出すと、ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。王はダニエルに話しかけて言った。

あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。(6:16)

 王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。その穴に近づくと、王は悲痛な声でダニエルに呼びかけた。

生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。(6:20)

ダニエルは王に答えた。

王さま。永遠に生きられますように。私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。(6:21-22)

 王は非常に喜び、ダニエルをその穴から出せと命じた。そして、ダニエルを訴えた者たちを妻子とともに獅子の穴に投げ込ませた。獅子は彼らをかみ砕いた。

 そのとき、ダリヨス王は、帝国に住むすべての民族、すべての言語の者たちに、次のように書き送った。

あなたがたに平安が豊かにあるように。私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇蹟を行ない、獅子の力からダニエルを救い出された。(6:25-27)

 ダニエルは、ダリヨスの治世とペルシヤ帝国の王クロスの治世において、栄えた。

 

【原則7】真の神を知る者は、地上の王や皇帝を敬い、主君の代がいつまでも栄えることを願って、忠実に仕えるべきである。

【原則8】真の神を知る者は、王や皇帝の命令あるいは国の法令であっても、他の神々や偶像や人間などを神として礼拝してはならない。そのために自分の命を奪われるとしても、真の神以外の何ものも礼拝してはならない。

【原則9】真の神を知る者は、真の神を知らない、あるいは恐れない王や皇帝や民に対して、神の存在と主権と支配を証しすべきである。また、神の公義を行うようにと、勧告すべきである。

 

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  5.諸帝国の興亡とキリストの王国

 

 第7章に進む。<バビロンの王ベルシャツァルの元年>(7:1)、紀元前553年のことである。<ダニエルは寝床で、一つの夢、頭に浮かんだ幻を見て、その夢を書きしるし、そのあらましを語った>(7:1)。

私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、四頭の大きな獣が海から上がって来た。(7:2)

これは神に逆らうカオス(混沌)の世界を象徴する(詩104:6-9参照)。
 第1の獣は<獅子のようで、鷲の翼をつけていた>(7:4)。これは地上と空中を支配する。獣に人間の心が与えられた。
 第2の獣は<に似た>もので、<その口のきばの間には三本の肋骨があった>(7:5)。
 第3の獣は<ひょうのよう>で、その背には4つの鳥の翼があり、4つの頭があった(7:6)。

その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現われた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現われたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。(7:7-8)

 <年を経た方>、すなわち永遠なる神が<座に着かれた>。<その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった>(7:9)。
 この神の<さばきの>座は火の炎である。法廷の前に告訴された者たちの行為を記録した<文書が開かれた>(7:10)。

その獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれるのを見た。残りの獣は、主権を奪われたが、いのちはその時と季節まで延ばされた。(7:11-12)

 続いて、メシアの預言がダニエルに与えられた。

私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。(7:13-14)

  このメシア預言は次の聖書テクストに関係がある。マタイ25:31、26:64、マルコ10:45、14:62、ルカ17:24。

 ダニエルは、神の御座の<かたわらに立つ>御使いの1人に、幻の解き明かしを求めた。そこで解き明かしが与えられた。

 これら四頭の大きな獣は、地から起こる四人の王である。しかし、いと高き方の聖徒たちが、国を受け継ぎ、永遠に、その国を保って世々限りなく続く。(7:17-18)

  <頭の大きな獣>は、新バビロニア帝国、メド=ペルシア帝国、アレクサンドロス大王ギリシア人の支配する4つの帝国・地域、そしてローマ帝国である。一方で、メシアの王国,、すなわちキリスト教会が聖徒たちによって受け継がれていく。

第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。 十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。(7:23-27)

  ローマ帝国の後には<十人の王>が立ち、<彼らのあとに、もうひとりの王が立つ>。これは終末時代に現れる反キリストである。最後に<さばき>が行われ、メシアの永遠の王国が確立する。

 

【原則10】現世の最後の時期に、<人の子>すなわちイエス・キリストが<天の雲に乗って来られる>。その時、死者は蘇り、全人類に対する最後の審判が行われる。永遠の命にあずかる者と永遠の地獄に入れられる者とが分けられる。命の書に記されている者はすべて救われる。

 

  6.ペルシア帝国、ギリシア帝国、アンティオコス王

 

 第8章。<ベルシャツァル王の治世の第3年>すなわち前551年に、ダニエルはエラム州の首都<シュシャン>(スサ)で第二の幻を見た。その幻の中でダニエルは、城の近くを流れるウライ川のほとりにいた。<一頭の雄羊が川岸に立っていた>。その<2本の角>は、一つがメディアで、もう1つの長い方はペルシアである。雄羊は<西や、北や、南の方へ突き進んで>いった。これはペルシア帝国(アケメネス朝)がエジプト、マケドニア、西インド、中央アジアにまで支配権を拡大する様子を表している。
 次に登場する<雄やぎ>はギリシア帝国で、<著しく目だつ1本の角>はアレクサンドロス大王である。この雄やぎは、<二本の角を持つ雄羊に向かって来て、勢い激しく、これに走り寄った>。そして、<怒り狂って、この雄羊を打ち殺し、その二本の角をへし折った>。<雄やぎは雄羊を地に打ち倒し、踏みにじった>。前331年にアレクサンドロス大王が率いるギリシヤ帝国がペルシアを圧倒した。彼はその後、インダス川流域まで征服する。
 <この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったときに、あの大きな角が折れた>。前323年にバビロンで、アレクサンドロス大王は熱病にかかり死んだ。32歳の若さであった。<そしてその代わりに、天の四方に向かって、著しく目だつ四本の角が生え出た>。大王の死後、ギリシア帝国は4人の将軍によって分割された。カッサンドロスはマケドニヤを、リュシマコスアナトリアを、セレウコスはシリヤとメソポタミヤを、プトレマイオスはエジプトを支配した。
 4つの角のうちの<1本の角から、また1本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった>。この<小さな角>はセレウコス朝シリヤの王アンティオコス・エピファネス、<南>はエジプト、<東>はペルシヤ方面、<麗しい国>はイスラエルを指す。アンティオコスは、エルサレムの神殿で、主への常供のささげ物を禁止し、異教の祭壇を築いて、主を冒涜した。
 ダニエルは、天使ガブリエルによって、啓示を受けた。

見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。(中略)彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。彼は、あきれ果てるような破壊を行ない、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人手によらずに、彼は砕かれる。先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。これはまだ、多くの日の後のことだから。(8:19-26)

 

  7.ペルシアの君、ギリシアの君、イスラエルの君

 

 第10章に進む。<ペルシャの王クロスの第三年>、すなわち前535年にダニエルは神から啓示を受けた。祭司のごとく白い亜麻布の衣を着て、腰に金の帯を締めたひとりの人を、ダニエルは見た。この人は受肉以前の主イエスと思われる。この人が言った、

ぺルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をぺルシヤの王たちのところに残しておき、 終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。(10:10:14)

私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか。今は、ぺルシヤの君と戦うために帰って行く。私が出かけると、見よ、ギリシヤの君がやって来る。しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。あなたがたの君ミカエルのほかには、私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者はひとりもいない。(10:20-21)

 

【原則11】 地上の国々の興亡と統治には、天使たちが関与している。神に反抗する堕天使たち、すなわち悪魔・悪霊もその中に含まれている。ミカエルは、神の民を守って悪魔・悪霊と戦う天使の将軍である。

 

その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。
 地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。
思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる」。(12:1-3)

 

【原則12】 現世の終わりの時代に、悪魔・悪霊に従う強力な王が立ち上がり、地上世界を支配する。彼は至高者なる神を冒涜し、聖徒たちをかつて無かったほどに激しく迫害する。しかし、ミカエルが立ち上がり、聖徒たちを救う。

【原則13】こうしてあるゆる世界のすべての国、すべての言語の人々がことごとく、キリストに仕えるようになる。その主権は永遠に続き、その王国は滅びることがない。神に仕える聖徒たちは栄光に輝く姿に化せられ、国を受け継ぎ、永遠にその国を保っていく。

 

ダニエル書 (ティンデル聖書注解)

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ユダヤ古代誌〈3〉旧約時代篇(8−11巻) (ちくま学芸文庫)

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教えの手ほどき (キリスト教古典叢書 (4))

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神の国 セット(全5冊) (岩波文庫)

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聖書VS.世界史 (講談社現代新書)

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